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第70話 銀の槍、番うは罪

「気――済んだか?」


 ホールは血まみれだ。

 それらは被害者のものか、或いは少女の拳の放ったものなのか全く定かではないが、ただ一点のみ、淑やかな様でないことだけは誰の目にも確信できた。

 息を切らした小さな背中に語りかけた男は、べったりとしたくせ毛に表情を隠しながらうつむいている。

 少女は、予想よりも早くあっさりと返答した。


「馬鹿かお前」


 よろめきながら立ち上がると、凄惨な遺体を背景に翠緑の瞳が振り返った。


「こんな程度で気など晴れるか」


 つい数秒前まで喚きたてながら肉を打っていた彼女は、急に静けさを取り戻し、そして男の問いとは反対にいら立ちを見せながら横を通り過ぎる。

 アリーは、兄の肩を押し退けた。


「さっさと殺す。急げウスノロが!」


 エドガーは、聞こえないように小さなため息をついた。

 階段を踏み鳴らすアリーについて、うつむきがちに上階を目指す。

 たった二人の戦列は、あまりにも整然と静まり返ってしまった王城を駆け上がる。

 もはや軍靴の列は唸らない。

 もはや鉄玉の弾く音は叫ばない。

 響くはただ、削り取られた復讐の幕のひと切れ、その舞う音のみ。

 とうとう二人は、王冠の収められる階に辿り着いた。


 贅沢に間の取られたその階は、城本体から突出した塔に位置している。

 扉前の広い空間は、式典用と思しき装飾に飾られていた。

 王座を守るに相応しい金銀の彩り。しかし、そこに暗い影を落とす鉄の塊が居座っていた。

 アリーは目を細める。

 よく見ると、それはかなり古びた、伝統的なあしらいが目につく甲冑のようだった。


「何のつもりだ」


 声がこだますと、それまで微動だにしなかった鎧はわずかに音を発した。


「来たり――」


 がしゃりと金属の()を打ち鳴らしたそれは、ようやく立ち上がると聞き覚えのある声で更に吠えたてる。


「亡国の仇敵……来たり!」


 その者の背後には、二人の兵士の死骸があった。

 恐らく、王を守るために最後に残った近衛の者だろう。しかし彼らは、アリーに向かって真っすぐ立った男に切り捨てられていた。

 鎧の男は、ゆっくりとフルフェイスのマスクを脱ぎ去り、その場に落とす。


「――エッフェンベルクだと? は、これはいい。無様にすり潰されにやってきたか下等種が」


 もはや懐かしいその素顔を見るや、少女は邪悪な笑みを浮かべて吐いた。

 今の今までどこへやら姿を消していたエッフェンベルクは、満を持した登場に相応しい不穏さを醸している。

 アリーの侮辱の音をはじき返すように、やつれた顔の男は剣を抜いた。


「往かせはせぬ」


 目が血走っている。その様はアリーを鏡の前に立たせたかのようだ。

 彼は憎悪と堪えようのない復讐心に融解した拳で、剣を強く握りしめていた。


「踏み入らせはせぬ」


 男は一歩、また一歩とアリーに近付いてくる。

 鎧の足音が高鳴る。


「貴様だけは――!!!」


「エドガー!」


 振り下ろされた剣を防いだのは、アリーの前に躍り出た兄の剣だった。


「片付けろ」


 的をすり替えられたエッフェンベルクは、更に激昂してアリーを追いかけようとした。

 しかし、エドガーとのつばぜり合いがそれを許さない。


「おのれ……!」


 アリーは組み合う二人を振り返りもせず、あっという間に飛び去って王の間へと消えてゆく。

 黒いマントがはためいて、重厚な扉は閉じられた。

 鎧騎士は、邪魔をされた怒りのままに標的を目の前の青年へと移す。

 汚れたロングコートの青年は、いかにも隙の無い、武芸に通じた者の風格に直面しながらも、余裕の沈黙を保っていた。それは、相手との間に存在する決定的な力量の差を確信していたからだった。

 エドガーには、妹の復讐を見届ける義務(・・)がある。彼は早々に決着をつけようとした。

 たちまち、二人のつながった影から槍のように黒い物がのびた。


「許せ」


 鎧を強く撃つ音が走った。

 敵は弾き倒される。

 一瞬の静寂の末、決定打が過ぎた後の殺しへの後悔が、エドガーを襲う。

 敵の不意を衝くのにあまりにも効率の良い彼の魔法は、影にその姿を暗ましていく。




「魔法は効かん」


 もうしないはずの男の声が耳を衝いた。

 扉へと向かっていた青年は、恐る恐る振り返る。


「立ちあっても気付かぬものか。此れなるは――」


 ゆるりと立ち直って、エッフェンベルクの痩せた笑みは牙をむく。


銀の槍(・・・)。魔女を穿つ力なり」


 男の全身鎧は、純銀製だった。

 銀の前では、魔女は無力となる。肌に接すれば自由を奪い、技に接すれば威力を殺す。銀とは、古来よりの魔女封じであり、魔女が亡びた第二の要因である。


「我が曽祖父より引き継がれし、魔女殺しの宝物。かつてこの国に巣食った悪を滅ぼした槍だ。討ちたくば剣技で破るがいい」


 エッフェンベルクは、その代物が前時代において実際に魔女と戦った物であることを告げる。

 しかし、曽祖父から正しく冷徹な客観性を伴った正義は継承されなかったようだ。彼の目には、殺意と暴虐的な野心のみが宿っている。

 エドガーは静かに決心を固める。敵を一騎打ちで堂々と倒そうと、これまで暗がりに身を潜めてきた贖罪(・・)の男が真っすぐに立つ。

 青年は、足元の影へと沈んで消えた。

 刹那の静寂に研ぎ澄まされた精神力は、背後から迫った風切り音に敏感に反応する。エッフェンベルクは、エドガーの剣を防いだ。


「度し難い叛逆者め!! 愛君に背く不埒者どもめ!! 皆殺しにしてくれる!!」


 立ちあっては影に消える魔女にいら立ちを隠せない銀騎士だったが、暴言を吐きつけながら、それでいて闘争心による集中は途切れることはなかった。

 一方、接触の直前に微妙に抜け落ちる腕力に苦しみながらも、エドガーはその堅牢な砦を攻め続ける。

 体躯の強靭さのみを頼りとした戦闘スタイルは、正当な騎士道に通じた敵をなかなか打ち砕けない。

 扉の向こうから激音が迸りはじめ、焦りも一層高まった。

 野良狼と猟犬の戦いは、一刻程も続くのだった。



 互いに四肢の疲れが身体を軋ませる。

 撫でる汗が脚のよろめきを知らせた。


「下劣な悪魔め」


 エッフェンベルクが、不快な疲労を端的に表現する。

 だが、その言葉は彼が思うよりも深く相手に突き刺さったようだ。

 エドガーは荒い息の合間に、その癖の強いこげ茶髪を掻いてこうつぶやいた。


「その通りだ」


 エッフェンベルクは相変わらず憎悪に沈んだ表情をしていたが、ただその一瞬だけは懐疑の色を見せた。

 青年はずいぶん刃こぼれした剣を改めて握りしめる。


「だから償わなきゃならない。あの子の全てを奪ってしまった罪を」


 その瞬間に、ここ最近すっかり聞こえてこなかった音が、久しぶりに訪れた。

 肉を貫く音だ。

 鈍い悲鳴を漏らしたエッフェンベルクは、目前の男が黒ずんで溶けていくのを確認した。

 そのエドガーは、影の織りなす虚像だった。

 強靭なことに背後の暗殺者を肘で薙ぎ払った銀騎士だったが、鎧の隙間から腹を()いた剣に耐えかね、唸って倒れ込む。

 そして、傷口から徐々に痺れのようなものが広がっていくのにも気が付いた。仕込み毒だ。

 他方、一世一代の大技を連発しすぎたエドガーは、元よりアリーに劣る魔力の払底に跪く。

 力無くひざを突いた彼に迸るのは、勝利の台詞、その(いとま)もない疲労だ。


「退きは――せぬ――!!」


 だが、しかし、それでも尚、エッフェンベルクは立ち上がった。

 よろめきながら振り返り、一歩、また一歩と、いつ崩落してもおかしくないその足取りで敵ににじり寄る。

 エドガーは狂心の力強さに圧倒された。


「母なる……バルトブルクよ」


 騎士は腹の剣を自ら引き抜き、血をばら撒きながら赤い目で睨む。

 ボロボロの狼は、立ち上がることができない。


「我が故郷――我が理想――我が聖地」


 限りない赤が、太陽無き天に掲げられる。


「何人たりとも刃すること――この私が許さぬ!!」


 憎悪の剣が振り下ろされた。

 最期の瞬間、青年は既に諦めていたようにも見えた。

 処刑を待つがごとく、抵抗は静かに引き留められ。

 自ら放った剣の反撃を受けて、鋭く引き倒された。

 彼の贖罪が果たされたのかは、彼自身が己の結末に納得していたのかは知られていない。

 ただ、その死骸からあふれ出た闇が、鋭い刺突の波となって敵の頭蓋を打ち砕いたことは客観的な事実として示されている。

 王前の金色の広間に、憐れで血まみれな肉塊だけが、結果として残された。



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