第67話 死者が彩る凱旋パレード
影から男が立ち上がる。
あたりに存在しているのは、狂気に墜ちた高笑いだけ。
一面の景色は、すべて灰となっていた。
微かに硝煙がのぼる。
焼けた臭いすら、もはやしない。
振り向いた少女は男よりも頭二つ分も小さく、そして巨大だった。
「さあ凱旋だ! 凱旋だ! ゼルマの威光が再び射す!!」
少女が地面に突き刺した旗は、わずかに舞い残った炎を切っ先に収めた。圧倒的な火炎は、全く無かったかのように完全に消え失せる。
白き旗を振るうに相応しい者だけが、無傷でこれを操る事ができた。
「行くぞエドガー。王を殺す」
そう言って旗を携えた少女は、唯一形を成して焼け残ったヴァイスマウアー城へと向かう。
あまりにも堂々とした往き様に、一言たりとも異を唱えずについてゆく兄。彼は、無残な焼死体となったリコを横目で弔い、過ぎ去った。
背後では、妹の配下と思しきものが呻いていた。
「わた――おうけ――まのために――」
塵に混じってその声は遠ざかった。
目を伏した兄は、妹を追った。
大正門は、アリーの蹴りで打ち倒れた。門前の警備も城周辺の護衛も、一切が燃えかすとなって既に存在しない。
舞踏会の頃の豪勢な風格は消え失せ、衝撃波にぐらつく無人の大宮だけが口を開ける。
電気線が吹き飛ばされたのか、宮内は真っ暗だ。豪勢なシャンデリアも、今や吊るした死体にしか見えない。
アリーはエドガーに顎で指図し、上階を目指そうと階段に脚をかける。
しかし、すぐに身を翻して天井近くまで跳ね上がった。彼女を狙って数発の矢が放たれたからだ。その矢は、光の束となって分解して消える。
「やはり来たか――ちょうどいい。貴様にも地獄の苦痛を味わわせてやるぞランペルツ」
エントランスは暗い。
アリーは魔法の出どころを探り、辺りを見渡す。その際、手で何がしかの合図を後方へ送る。
すぐに気配を察知すると、その方向へ異様な笑みを向けた。
「手下は二人か? 勇ましいことだな逆徒よ」
相手は不気味にも答えないが、アリーは高揚状態にある。敵をどのように苦しめて殺してやろうかと、それについてのみ思考していた。
日陰から出てくる様子がないと見るや、遠くから衝撃を伴った風を放ち攻撃する少女。大きくえぐれた壁は、向こう側の廊下を現わした。敵には当たっていない。
更に接近して追い打ちをかけようと意気込んだ時、少女の脚は止まった。
敵の一人が、あけ放たれた玄関門の近くに躍り出たのだ。
曇り空のわずかな日に照らされ、もう少しで全容が見える。
アリーは、それが大凡何なのかを理解した。
「貴様――」
こちらを見ているのは、おそらく生気の無い何かだ。
まるで葬られた死者。いや、まさにだ。
何らかの液体に浸けられて、肌は変色している。心なしか異臭も漂う。それがどういうわけか、立って歩いている。
アリーはその存在を睨むと、本物を罵ってみせた。
「卑劣な餓鬼め。私の前に出てこい。八つ裂きにしてくれる」
すると、上方後ろから声が響いた。一言目の時点でアリーは場所を察知し、獲物を捉えたタカのように振り向く。
「それは怒りですか? 骸を弄ぶのはいたたまれないと。あれだけお仲間を鮮やかにふっ飛ばしておきながらですかぁ?」
声は間違いなくランペルツのものだ。
ソレは舞い降りると、窓から射す光に顔を明かす。正体はやはり、死体となってもなお動き続ける青年だった。
「死体喰らいが」
「お褒めの言葉どうも」
アリーは問答無用だと、手に持った旗を突きあげる。しかし、すぐに異変に気付いた。
先ほどのように、意のままに火炎を解き放つことができない。
少女は目を疑い、戸惑った。
すると死に顔の小男はケタケタと笑う。あまりにも拍子抜けし、おかしくて仕方ないといった様子で。
「まさか知らないとはねぇ! いやぁ、失礼失礼。その旗は王宮では威力を発揮しないんですよねぇ」
舌打ちをしたアリーは旗を床に落とし、その黄金の白を踏みつけた。
「白旗はあなたの曾祖母君、いや、もうひとつ上だったか。彼女の製作物であり所有物だ。当時、魔法の研究がかなり盛んでしてね? 彼女は類稀なる学識をもってあまりにも強大すぎる武器を生んでしまった。国焼きと呼ばれた槍旗は持ち主の魔力を拡大し解き放つ、まさに無敵の力を発現した。ですが、我が王はそれはそれは用心深いお人でねぇ。その旗が、奪われることを恐れた」
アリーは、下まぶたを釣り上げて睨む。
しかしもうしばらく、死人の奇妙な昔話を引き出す様子だ。
「もうお分かりでしょうが、この宮は昔と変わっていない。なぜあなたの攻撃を寄せ付けなかったのか。なぜ旗が使えぬのか」
「強力な魔法がかけられている、か。つくづく度し難いことだ。盗人めがぬけぬけと」
憎悪に満ちた笑いを浮かべたアリーは、腹をすかせた獣のように姿勢を低くした。
前後を挟むように陣取った敵、もう一人の隠れた手下。それらに一気に攻勢をかけるためだ。
薄闇に姿を隠していても、彼女にはその位置が見えている。
「あーっと! もうすこぉし待っていただけますかなアウレリア卿」
指を立てて注意するようなジェスチャーで少女をおさめたランペルツは、そのまま彼女の後方を指さした。
「ご紹介しておかなければ」
奇怪な表情だ。
その不気味で不自然なセリフから何かを悟ったアリーは、はっとして目を大きく見開き、ゆっくりと振り返った。
顔の見えない人物が、依然としてそこにいる。
さび付いた人形のように前に踏み出したソレは、ようやく日の下に姿を現す。
示された単純な真理を、アリーは理解した。
「アリー様」
よく知った声でソレは笑う。
いや、笑っているように見える。
顔は焼けただれ、肉は朽ち、正確には声もしゃがれており正体は判然としない。
しかし、確信するには足りた。
アリーが復讐心を再確認するには十分だったのだ。
「あなたが戦場に置き去りにするので、這い出て来たみたいですねぇ、彼女」
気味の悪い引き笑いで喜悦を隠し切れないランペルツは、振り返ったままのアリーの金の髪を眺めていた。
彼女からは、さきほどまでの戦闘姿勢は消えている。
「さぁて、どうしましょうかねぇ。まずは適当にいたぶってから――」
肉の裂ける音が走った。
ランペルツは唖然とする。
さしもの小男も、まったく自分が悠々としている間に出来事が展開を推し進めてしまうとは考え付かなかったようだ。
アリーは、喋る死骸を貫いた。
「……へぇー。本気なんだ」
死体を斬り倒し、なけなしの血液を床にばら撒いた少女は、動かなくなったソレを見下した後ランペルツに視線を戻した。
その眼は、研ぎ澄まされた狂気に高揚していた。
小男は、笑いを押さえきれない。
こみ上げるものを我慢する事全く叶わぬ様子で、ひた笑う。
高々と、死んだ喉で、大声で笑いあげながらその者は言った。
「いいんじゃないの!!! ねえ!!! すごくいい!!!」
少女は悲鳴のような笑い声を挙げる奇怪な物体に、猛禽類のような視線を刺し付けている。
「お前はやっぱりそうだった――やっぱりあたしの思った通りだ! 穢れない狂気!! 理性の内の狂乱!! 綺麗だよアウレリア!! お前は! 綺麗だ!!!」
跳ね上がるような身震いに肩を抱くその者をじっと見つめながら、アリーは大剣を構える。
とうとう膝までついてうずくまるように小さくなったその者は、次第に呼吸を落ち着ける。
そして濁った灰色の目を輝かせて、復讐者を見上げた。
「好きだよアウレリア。おまえはゼルマと同じだ」