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第66話 意表。光。

 リコとウラの戦いは、まさに激化していた。

 他所の戦闘が比較的短時間で局面を決定したなか、この地点だけは、未だに拮抗の様相を覆していない。

 怒りに我を忘れかけたウラも、敵の動きのクセを(けん)が捉えはじめて以降、行動がより鋭敏になってきている。

 どのような決心が少女を突き動かすのかは知れたところではないが、いずれにしてもリコにとって彼女から目を逸らすことは命取りだった。

 しかしどうしてか、敵の動きをよく見ていればその意図というのも伝わるもの。お互いがお互いの狙いを確信しはじめた頃合い。今がその時である。


「そこまでこの旗を欲しますか」


「何度も言わせるな! それは貴様ら賊のものじゃない! 正当なる王家、カーティス家のものだ!」


 リコは、ただでさえ糸に近い切れ長の目を細め言った。


「貴女の意志など関係ない。貴女の知る物など関係ない。私はただ、最善を採り使命を果たすのみ」


 あまりに冷たく、硬く重い岩のような言葉だ。

 ウラは火打石をこするように歯を噛み、疾風を纏った槍を次々に投げ飛ばす。

 単調で相変わらずな攻撃に見えて、その角度、速度の抑揚は巧み。自身の移動も併せた、より複合的な戦術に進化しつつある。

 実践経験の少なさと、才能の豊富さが一連の戦いに現れている。そう覚ったリコは、無理にでも早期決着を図る必要があると決心した。

 そして、襲い来る風の中で、苦みの走ったような表情を見せた。


 小さく腕を払い、リコは土埃を巻き上げた。

 槍はそれらを掻き切って突進したが、魔法によって挙動が乱れたのか、全てがリコをわずかに外す。

 直後、地面を殴りつけるような振動と共に異次元の熱が走った。

 リコの、その旗(・・・)を握る腕が焼き付いていく。服が燃え落ち、肌は赤黒く濁っていく。

 ウラは一連の異様な光景に釘付けになった。

 そのはずだ。視界と名の付く彼女の世界が、全く全て、紅い炎に覆われたからだ。


「バカな! 捨て身で――」


 唸る熱風は、悲鳴を上げる赤子のように悲痛に見えた。

 ただ中にいる青年は、苦悶に歪む蒼顔でこちらを睨み付ける。

 旗がどういう役割を果たす(・・・・・・)のかを知っていた少女は、恐怖と危険を同時に理解する。

 相手も自分と同じように、もしくはそれ以上に必死(・・)であるのだと、怒りに目の曇ったウラにさえ肌で感じ取れた瞬間だ。

 青年は、苦痛の中わずかに笑った。


「所詮は消え物……だが。最後の煌めき、見せてくれよう」


 リコは大きく旗を振り被る。

 たった一回しで、紅焔(こうえん)が天を掻き乱す。

 魔女を一体消滅せしめるには、あまりにも過剰な能力だ。

 ウラは、逃げ出すことすらためらわれるような、諦めを超えた硬直状態に陥ってしまう。

 リコが旗を振り下ろし、勝負は決した。



「旗の運搬、ご苦労だったな」


 リコは激しい動揺と痛みに貫かれ、口から赤い液体を零しながら振り返った。

 この世の終末を目撃するかのような青ざめた表情が、はじめて青年を彩る。

 背後で微笑んだのは、世にも恐ろしい翠眼(・・)だった。

 炎は消え失せ、何か言いたげだったリコは肺ごと胴を引き裂かれ薙ぎ倒された。

 大量の血と共に、石畳に叩きつけられる青年。ウラは、徐々に表情を明転させた。


「アリー様……エドガー様!!」


 彼女の主人は巨剣を手に、兄のエドガーと共に影から現れたのだった。その気配に、満身創痍となっていたリコは気付けなかった。

 黒と日陰の魔女(エドガー・カーティス)の魔法は、普通の者には敏感に察知できない。影を伝って近づいていることに気付けるのは、同様の能力を持つ魔女だけだ。多くの局面において、彼の力はアリーを思い通りに動かせた。


「来てくださったんですね殿下……! やりましたよ……憎き王家の仇の手から、その旗を――!!」


 アリーはその言葉に反応することはなく、ただしゃがみ、落ちた旗に手をかける。

 そして拾い上げると、まじまじと見つめ、全長を見渡し、光る()にうっとりとした。

 不穏な影が、彼女の顔にちらと見えた。






 ドロノフとフーゴの戦いも、死に物狂いの激闘となっていた。

 ようやく精神的対等にこぎ着けたフーゴは、ナイフ捌きを尖らせる。

 口数の少ない男たちの、たったひとつの分岐点の先にある決闘。どれだけ過酷なものだったとしても、彼らは納得しているだろう。ここでどちらかが死ぬ運命に。どちらかが家族を殺して先に進む事実に。

 優位はフーゴにあった。

 青年の持つ天性のものと言えよう戦闘のセンスは、戦いを避ける傾向にあったドロノフをわずかに上回っている。家族の中で唯一、独力で苦境( 奴隷牢 )を脱したという経緯も影響しているだろう。

 あらゆる方位を死角としないフーゴは、徐々にだが確実に刃を先へと伸ばす。

 鋼が弾き合う音ばかりがこだまする戦場は、もはや死体によって静まり返っている。戦闘は、局所的なものになった。

 夢中で戦い続ける二人には、いくら時間が経過しているのか確認する暇もない。

 相手の鋭く、しかし確実に鈍り始めた攻撃を読み、意図を看破し、脇を衝く術を試行する。

 打てども撃てども決着から遠ざかるばかりの騎士(ナイト)たち。だが、ようやく落としどころが見出された。

 ドロノフが、足場を打ち崩す大規模な魔法を放ち、割れた地面から逃げようとフーゴが跳び上がった。

 その時の不安定さに脚を取られたフーゴは、直後に目の前に現れた大きな拳をかわしきれなかった。

 石畳に叩きつけられた青年は、そこらじゅうの骨が折れ、立ち上がることも困難になる。


「ようやっと終わりかよ……強くなったじゃねえか」


 苦しい唸り声をあげ、青年は上体を起こす。

 その手には、決着と見た敵の不意を衝く小刀が握られていた。

 険しい表情で睨んで、今にも飛び出そうと構える。しかし、そこに甲高い声が響いた。


「動かないで!!」


 ドロノフは驚いて後方を顧みる。フーゴはその聞き慣れた声に息を飲んだ。


「マルキア! お前何でここに――」


 透き通った大声の正体は、はるか西方から戻ったマルクだった。

 手にはマスケット銃が構えられている。偶然か、その指の一端はAiyanaの文字に触れ、震えている。

 ドロノフは、無条件の第一印象を変えなければならないことに気が付いた。マルクが彼ら(・・)の味方だという先入観をだ。

 その銃口は、ドロノフに向けられたものか、フーゴに向けられたものか、どちらとも取れる。


「……ここに何の用だ。アリー様に報告は済んだのか」


 しばらくの沈黙ののちにドロノフが問うが、マルクは喉を震わせるばかりで応えない。

 大男は、彼女が何を考えているにしても立場を明確にさせておく必要があると考えた。


「撃つなら撃て。お前にフーゴが殺せるなら、今すぐにやれ。できないなら、俺が止めを刺す」


 盲目の青年は気配を研ぎ澄まし、つばを飲んだ。

 マルクは答えない。


「――わかった」


 大男は少女を見捨て、フーゴに向けて剣を振りかざした。

 だがそこで、答えは出た。


「私の方が速い……!!」


 ドロノフは、動きをぴたりと止める。


「……見逃して」


 マルクは、ドロノフに手を引くよう求めた。彼女はフーゴのためにここに現れたのだった。

 やはりといった感想を無表情の内に吐露した大男は、聞こえないようにため息をつき反応した。


「お前の気持ちもわかる。だが俺はアリー様の命令を実行する。それだけだ。その道をお前が立って塞ぐってんなら――」


「行って」


 ドロノフの眉がぴくりと動いた。

 彼にはその一言で、マルクの望むものが理解できた。

 同時に、それが自分にとって最も素晴らしく望ましい展望であることも。


「……わかった」


 ドロノフは、振り返ることもないまま歩き出し、倒れるフーゴを横切った。向かう先は、門が見えるほどに近付いた王城だ。


「待て!!」


 もちろん、フーゴはそれに食らいつこうとした。だが、マルクが撃つぞと声を張る。

 結局、敵は走り去ってしまった。

 マルクは諦めた様子のフーゴに歩み寄って、そしてぎゅっと抱きしめる。青年もそれに応えた。


「どうしてこんなこと……」


「どうしたらいいのかわからなかったの――でも、でも私……思った通りにした」


「僕はこのまま引き下がれないよ……すぐにでもアリー様を止めに行く」


「いやだ――! 私もう離さない!」


「頼む……! 退いてくれ!」


 二人は弱々しくネコのようにもみ合う。

 勢い余ったマルクは、フーゴを押し倒した。


「お願い――あなただけでいいの。あなただけ生きててくれたら」


 ほとんど誰にも向けたことのない真っすぐな視線が、真上から盲目に降り注ぐ。

 長い前髪に隠れたその眼からは、涙が零れ落ちていた。

 彼女なりに葛藤した、その結果だった。どうしたいのか、どうすべきなのかの板挟みに遭った小さな少女は、結局最愛の人を抱きしめることに決めた。青年にも、それがわかった。


「……僕には君を押し退ける資格がない」


 青年は、小さく言った。

 自分の心に従った答えを突き付けたマルクに対して、フーゴはそう漏らさずにはいられなかった。

 それは、彼の心が何のために刃を握るのか、何故アリーの前に立ちはだかろうとするのか、きちんと整理した回答を持たなかったからだ。

 身勝手な復讐のために裏切られたからか。利用されたからか。それとも平和とやらを守りたいからなのか。避難し行く女子供への憐れみか。国崩しという大罪への拒絶感か。家族を、死に追いやったことへの憎しみ(・・・)か。

 結局、凛として語るべき明確な正義は、彼には無かった。


「ああわかったよ。僕は君と――」




 諦めの言葉が宙に舞った。

 冬の寒さが、麻痺した感覚にようやく降り立った。

 しかし、彼らの目の前の世界は強く彩られた。

 紅く、白き赤光に。

 迸る閃光に。

 見たことも無い。太陽よりもまぶしい輝きに。

 その瞬間、二人は何も分からなくなった。




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