第65話 王域舞踏会・裏切り
各所で、遠くからでも目に見えるほどの衝突が発生している。
立ちのぼる灰炎、煌めく熱風。家族たちの危機は一目瞭然だった。
そんな中をドロノフは、ひたすらに走る。
敵城はもう目の前だ。千人の歩兵と共に最後の防衛をうち破れば、あとは王を殺し、この戦いを終わらせるだけ。
あと一歩で、アリーの憎悪を、終わらせる事ができるのだ。
男の脚は急いだ。
だが、壁は厚く、そして高い。
目の前に黒い影が飛び出し、立ちはだかった。
ドロノフは合図で進行を停止させ、敵の登場に見合わぬ指示に動揺する魔女たちをとどめた。
「ドロノフさん、あれは魔女じゃないですか!? 攻撃を――」
男は、落ち着かない少年を黙って諌める。
魔女たちの中には敵の顔を知っている者もあり、さらに静かなざわめきは強くなる。
「お久しぶりです」
第一声を発したのは敵だった。
ドロノフは反応しない。
「その人たちを下がらせてもらえますか」
何だと、と魔法をかけようとする者がいた。
「第三攻撃線まで進行。目に付く敵はすべて殲滅しろ。敗残兵や伏兵に注意しつつ、そこで俺の帰りを待て」
驚きの様相はさらに広まったが、隊長の指示は死守せよとアリーに命じられていた魔女たちは、大人しくそれに従う。
ぞろぞろと城に向けて走り出した魔女たちを敵が見逃すはずもなく、苦い表情のまま筆頭の魔女にむけて飛び出した。
しかし、肉の切れる音はせず、骨の鈍い音がこだまする。
ドロノフが、その腕を止めたのだった。
「往け!!」
組み合う二人を避け、魔女の群れが過ぎ去った。
互いに繰り出した蹴りがぶつかり合って、戦士達は再び距離を取る。
「相変わらず優しいですね、ドロノフさん」
「敵にかける情けは無い。お前を相手に、大勢を庇いながらやるのは分が悪いってだけだ」
「――僕が弱い人を盾にするって意味ですか」
「てめえは敵だ。フーゴ」
ドロノフと相対したのは、盲目の青年だった。
話し合いで解決するといった様子ではない。二人は、一連のやり取りでそれを確かめたことだろう。
ドロノフは背負った散弾銃を。フーゴは腰の剣を抜いた。
わずかな戦火の音がこだまする間、噛みしめるように今冬の異風に吹かれる。
とうとう盲目の男が駆け出し、戦いの火ぶたは切られた。
容赦ない二発連続の発砲。それを薙ぎ払い、間を縫って抜け出したフーゴがドロノフに斬りつける。
剣は高い音をたてて空を切り、次に鈍い打撃音が響く。
銃を握ったままの拳の振りで、フーゴの手から剣を叩き落とした音だ。
しかし、即座に身を翻した青年が、今度はドロノフの銃を衝き落とす。
勝敗は、各々の格闘戦術に委ねられた。
隻腕である分、魔女側が不利かと思われた。だが、むしろそれが適切なハンデとなって戦いを拮抗させる。力量差は、動きからわずかに理解できる程度だ。
幾重にも拳が応酬し、ひとつ進み、ひとつ退く。
高度な魔法は繰り出されず、二体の獣が技の芸術性を競う。
ひたすらに打ち、弾き、止めて、蹴る。払い、投げ、刺して、殴る。
きらびやかな汗が飛び、土埃に紛れて泥となる。
音の領域にまで届くスピードの戦いはごくわずかな舞台に集約し、その場で足跡を幾重にも重ねる。
白熱の乱舞には終わりなどないように思われた。
ドロノフが突きだした一発の拳が、戦況を一気に転覆させた。
十数分間に詰められた戦術の中には含まれなかった、まるで速度の異なる一撃だった。
青年は、大柄の男の苛烈な突きをまともに食らってしまった。
ふっ飛ばされて地面に転がったフーゴは、更に加えられる追撃の発砲から辛うじて逃げ切る。ドロノフは、落とした銃の近くまで彼を追い込んでいたのだった。
税管理局の建屋、その影に逃げ込み、いったん態勢を整える。
「どうしたクソガキ。バテたか」
低く太い声が、青年の耳を叩く。
強烈な打撃にいまだ呼吸もままならないフーゴは、気をしっかり持たなければと自身を律する。
声は、徐々に迫っている。
「僕が――やらなきゃ」
必死に腕をさすり、暗示をかけるように言い聞かせる。彼の心は、未だ曖昧なようだった。
「その様子じゃ、お前は俺たちを殺せねえようだな」
途端、フーゴの表情が変わった。
ドロノフの貫く一言が、男の脚を無理矢理に立たせる。
胸を射抜かれた青年は、歯を強く食いしばって飛び出した。
不意打ちで殴りかかるも、大男にはお見通しのようだ。あっさりと手首を押さえられ、膝で蹴られた挙句放り投げられた。
受け身すら取る余裕のない青年は、散々痛めつけられ最早勝負とは言い難い状況に落とされる。
それでも何とか這いつくばる彼を、大男は苦みの走った顔で見下ろした。
「フーゴよ」
北の寒風のような声が、泥の付いたフーゴの頬をよぎる。
青年の喉は、何らかの感情に打ち震えていた。
「それは優しさじゃねえぜ」
拳が強く握られる。
男の言葉は、青年にとって最も鬱陶しく、そして正しいものだった。
フーゴは、敵を仕留めるつもりの戦いをしていなかった。できなかったのだ。だからこそ、戦いは無意味に舞いの様相を呈し、長引いた。
そして今は、もはや戦いの意志すら潰えてしまったことが、彼の砕けそうな吐息から十分に理解できる。
「お前に家族を殺してでもって気がないなら、大人しく捕虜になれ。いいな」
残酷な言葉だ。青年の心を逆なでするためとさえ取れる、突き刺すようなセリフだ。
犬を馴らすかのような男の言い様に、唇をかみしめた青年は腹の底のものを吐きつけた。
「あなたはそれでいいんですか――!」
地面を殴りつけると、青年は上方から向けられる視線に向かって声高に吠える。
「あなたは目を背けているだけだ! 裏切られたという事実から!」
男は青年の閉じた目を見つめ続けている。
厭世的な戦場のど真ん中で繰り返される問答には、どうやら神の息吹がかかっているらしい。彼らの吐露を邪魔しようという存在は、何一つとして現れなかった。
「そうだ。僕たちは裏切られた――あの方を……あの方の正義を信じた僕たちは」
とうとう、青年は立ち上がって男に殴りかかった。
やみくもな腕の振りには攻撃の意志は無く、ただ自身の怒りと悲しみを、その葛藤を体現したいという悲痛な思いのみが放たれる。
「誰も悲しまない世界を作ると……! 魔女が自由に暮らせる世界を目指すと! その先の幸せのために! 家族のために命を賭けたブランクの! 死んだやつらの信じていたものが!!」
最後の一撃は、ドロノフの大きな手によって掴み止められた。
「――裏切られたんだ!」
青年を押し止めた大男の目は、憐れみでも悲しみでもない感情を向けた。
「僕は許せない……僕たちが信じたアリー様を、彼女自身が裏切ることが!」
その回答を聞いて、ドロノフはなぜか少しだけ笑った。
二人の瞳は、初めて真に向き合っているようだった。
彼らの行動に、すぐさまそれは現れる。
フーゴが一瞬のうちに銀色の閃光を放ち、ドロノフの頬をかすめた。
後退しながら、大男は滴る血を拭う。
「ようやく抜いたな。その心をよ」
再びしっかりと構えを取ったドロノフの立ち姿は、少し雰囲気が変わっている。
フーゴは、強い表情で敵と真っすぐに向き合った。
「僕が止めます。ハイラントフリートを」