第61話 撃滅せよ、壊滅せよ、破滅せよ
圧倒的な殺戮は、日がすっかり地平を超えても続いていた。
人々の不幸をあざ笑うかのような真っ黒な曇天は、乾いた空に雷鳴の気配さえ窺わせる。
ハイラントフリートは、いや、アリーは、アーテムの民に火をつけ燃やすことにこだわった。殺した後には必ず焼けというのが、直々の命令のひとつでもある。その象徴的な行為は、彼女にとって重大な意味を成した。
殺せ、殺せという怒号と、神に許しを請う絶叫が絶え間なくこだまする。
今朝の内にアーテムの命運は、完全に潰える。
一方にしてハイラントフリートの魔女たちは、通信での円滑な連携が不可能になったアーテム防衛隊に攻勢をしかけていた。
カミラを先頭にした南西の第一軍。西北西のドロノフ、南南東のウラのそれぞれの軍団は、足止めの鈍化の隙を突き、前進する。
敵の動きを目視で、かつ、各々でしか確認できないバルトブルク軍は、その混乱も相まってひざ裏を衝かれるように崩れ落ちた。
ようやく後方で信号弾が上がり始める頃には、王国の兵は戦線を維持できなくなっていた。
魔女の激軍もまた、泥を掻き捨てるように進み、大規模に削れていく。
砲弾に味方が弾けようとも、少年少女は全く動じない。血走った目でひたすらに駆け、敵を切り裂く事にのみ執念を燃やす。
それらはまるで、怒りに燃える獅子のよう。そして、海に飛び込むねずみのよう。
この戦争に風情を見出す者がいるとしたら、彼らは後世に憐れみと悲しみを語るだろう。
しかし、その余地は刻一刻と絶たれてゆく。
この地に生きる命が、秒を追うごとに消えてゆく。
魔女の旗が掲げられたのは、逆転攻勢のわずか五十分後だった。
白い、あまりにも白い、ただ一点のくすみも見当たらない旗。
運命の白き旗は、アーテム防衛軍の全滅の証としてのぼった。それでもなお、行進は止まらない。
首都第三区西部。震えあがったわずかな生き残りを、西からの攻撃軍と、東からの蜂起軍が取り囲む。それぞれの筆頭に、カミラとアリーが立って。
シャッツカマーを横切って皆殺しを働いてきた魔女たちが、戦士達を滅ぼし貫いてきた魔女たちが、群を成し、抵抗するための手段を一切持たない住民に迫る。
そしてとうとう、戦闘隊と殲滅隊は合流した。
軍団の真っ先に立っていたアリーは、しばらくぶりに目にしたカミラと顔を合わせる。
お互いに灰と血に汚れ、後方には多くの憎悪を連れ従えている。
ドロノフとウラも、その広場に顔を見せた。
「心地よい暑さだ……カミラ、素晴らしい戦果だよ」
街中を写真に撮った者は、間違いなく火の海と命名するだろう。それほどの劫火によって、気温は夏を上回ってしまった。既に呼吸すら苦しく感じる。
それらを絶景と笑うアリーに、カミラは、何も返さなかった。
「アリー様、次の命令を」
平たく小さな声で問う彼女に、アリーは最も重要なすべきことを伝える。大衆に聞こえるように、大声で。
「これより作戦は、最終行動段階に移行する!」
魔女が目指す最後の復讐は、シャッツカマーに存在する。
現地点付近の住民を根絶やしにしたのち、軍団はアーテム中央を包囲する。
悠々入城の末、王を抹殺し、この国を魔女の手の元に取り戻す。
アリーは、あまりにも喜々として語った。
誰もその意に逆らおうとも、首をひねろうともしなかった。
ただ破壊的な興奮が、高らかに叫び声をあげるだけ。
カミラは、目をくれた主君に静かに頷いた。
いよいよ史上最大の魔女の集団が動き出そうと言う時、金髪に隠れた耳が微音を捉えた。
靴音ではない。鼻をすする音でもない。火が散る音でも、火事の爆発の音でもない。
押さえつけたような、赤子の鳴き声だった。
すぐにその音は止んだ。正確には、隠された。
アリーはしばし停止した。そして、まだ燃えていない区画の、まさにその場所に立つ家に向けて歩きだす。
配下に背負う大剣を押し付け、長銃をそこいらに捨て、手先で待機の合図を送り、彼女は広場を離れた。
足音を大げさに響かせながら、道と数件の店を隔てたその家へ。
彼女の手は、ゆっくりとノブをひねった。
しかし、施錠されている。
その事がひどく気に障ったのか、投げやりな蹴りで木のドアを吹き飛ばすアリー。
砂ぼこりが舞う無音の部屋が目の前に広がり、翡翠の目は鋭く辺りを見回す。
電気が途絶えているためか、灯りは付いていない。
ただ、その魔女の肌には人の気配が分かる。
すすまみれの暖炉の方へと歩いていき、震える吐息をあざ笑う。
その時だ。
わずかに銀色が閃いた。
物陰から飛び出した女は、アリーめがけて刃物を盾に突っ込んだ。
その腕が、金色の少女の懐に飛び込む。
油断をつかれた魔女は、思わぬ奇襲に倒れるかに思われた。
しかし、彼女は女の両腕を脇に捕えていた。
ぐいと力を入れ、それらをへし折る。
絶叫が轟く猶予はなく、脚を払い、顎を殴り飛ばす。
力無く女が倒れると、再び大きな泣き声が響いた。暖炉の影からだ。
アリーは、表に女と数歳程度の子どもを引きずり出した。
数人の兵と共に後を追ってきていたカミラは、路地からこちらを見ている。
ちょうどいいと零したアリーは、僕を呼びつけた。
「殺せ」
カミラに非道な命令をする。
引き倒した憐れな女子どもに止めを刺すなど、命を冒とくした行為。しかし、カミラは主の命令を是とした。
直刀を引き出す少女。
それを振りかざして、強く握ることでためらいの時間を作る。
しかし最期に、憐れな女は言い残した。
「――」
それは夫か、或いは子どもの名前だったのだろう。
カミラは聞きたくなかった。
聞かぬうちに、聞かぬと通せるうちに、彼女は剣を振った。
背後からドロノフの声が響いたが、反響が炎に静まる頃には既に女は死んでいた。
カミラは、立て続けに子どもも殺した。
先ほどやめろと叫んだドロノフを振り返った彼女の目は、彼に自身の結論を語った。
アリーはその肩を素通りし、壊れた笑みを湛えて広場に戻った。
軍団は再び行進する。
行く手には、未だ破壊の余地がある。
復讐の余地がある。
その限り、彼女は立ち止まる事ができないのだ。