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第59話 声降る朝に早起きを

「おかしい」


 第二区南方、指示された区域に到着した魔女狩りの連隊は、迅速に接敵、対応が可能なよう広く展開していた。

 しかし、今の兵の呟きが証言する通りの現状が鎮座する。

 締め切られた窓。鍵のかかった家々。人気のない大通り。いずれも、つい数十分前に通り過ぎた風景と同じだ。二区の曇天の夜明けに、変化は見られない。

 銃声どころか、憲兵の張り込む様相すら垣間見えないのだ。

 既に時は、午前五時を過ぎている。


「どういうことだ。共和派の暴徒だと? そんなもんがどこにいる」


 ローズマリーが不機嫌そうに車両の兵に問う。

 仕方のない事だ。目の前に、全く異常なし、という想定の遥か外である光景が提示されてしまっている。疑問と同時におこるいら立ちが場を蝕む。

 誰の表情に解を求めても返しの言葉はない。誰もが謎めいた状況に混乱するばかりだ。

 リコが怪訝そうな表情を浮かべている間に、フーゴは車両に駆け戻る。

 そして車の胴に手をかけて覗き、機械をいじっている兵士に状況の打破を求めるのだった。


「無線はどうなってますか」


「相変わらずです。数分ほど前から応答がまったく……他の隊とも連絡が取れない状態です」


 ますます不可解なことだ。兵は、連隊の全ての無線機が正常に機能していないらしい旨を再度報告した。先ほどから技術班が点検に回っている。

 遠目にそれらを窺っていたリコは、やや声を張り上げ、自分たちの置かれている切迫した状況について共有する。


「無線が停止しているとすれば、指揮が乱れ瞬く間に全戦局が崩れる。この場の状況も不可解ですが、一刻を争うのは意思疎通手段の回復。我らがすべきことは――」


 機材にまつわるトラブルであった場合、装備を整えなおし、再度直接の指示を仰ぐために司令本部に向かうべきであると、今はそう思われた。

 しかし、リコがそのように説明を施そうとした矢先に、他の車両から声が響く。


「全無線機異常ありません! 繋がります!」


 その一声は、リコにある最悪の可能性を覚悟させた。

 機器の故障ではない。なら、通信監理局に異常が起きているのではないか。

 だとするなら、それはどのような異常か。

 リコは散った全隊に再度集合の旨を伝えるよう、兵士を走らせた。

 しかし、彼らは遅すぎた。いや、正確には、そのように仕向けられた。

 完全なる作戦(・・)の号令が、劇震となって耳を穿(うが)つ。

 朝露が凍り付き、蒸発して消える。水たまりの氷が引き裂け、沈んで落ちる。天地逆転の第一声が、まさに、それだった。




「おはよう。諸君」




 (めし)いた青年にとっては、正に人相と同じ。よく聞き、よく見、よく覚えた声色が、彼の耳に届いた。その発生源は他でもない。彼の目の前の無線機だった。

 それだけではない。

 街中のあちこちから、全く同じ声が聞こえる。

 響き渡り、こだまする。

 次に、彼の視界(・・)の端で、民家のドアがばたりと開くのが聞こえた。

 慌てふためいている様子だ。その奥から、更なる恐怖が響き始める。


「本日はあいにくの曇天。記念すべき戦勝(・・)の祝日には、実に惜しい」


 フーゴには、その声の主が何を言っているのか理解できなかった。

 そして、なぜ彼女がラジオから、街頭のスピーカーから、はては軍用の無線から語りかけてくるのか、まるで理解が及ばなかった。

 ローズマリーが動揺し、周りの兵士が息を飲み、リコや士官が奔走する。その雑音は今、イオニアス・ベンソンの世界から除外されていた。


「バルトブルクの平穏なる諸君は、知っているかね。今日という日がどのような吉日であるのか」


 真冬の朝に冷や汗が流れ、青年の喉元で凍り付く。

 あまりにもじっくりと間を空けた彼女の演説に、街全体が改めて静まりかえっているのがわかった。それが集中によるものか、それとも(すく)みなのかは定かではない。


「百を生きた者なら聞き知るやもしれぬ。今日は偉大なる祖国の戦勝日。私の十五度目の誕生の日。そして――」


 青年は拳を握りしめる。


「魔女が死んだ日だ」


 そこで兵の一人が、場所が割れた、と叫ぶ。位置は一区中央の演説場であるとのこと。

 隊は、敵の首領の座するその場所に急行する用意を始める。しかし青い青年は、彼女の言葉を聞きながら単独で走り出してしまうのだ。

 車両をはるかに超えるスピードで去った青年を見限り、リコたちは隊を前進させた。


 屋根を伝い、音の速度で彼女(・・)を目指す青年。

 彼の心は、他者が想像するほど多くを考えてはいなかった。

 ただ、確かめたかった。

 家族を目の前にした己の行動を、確かめたかったのだ。






 誰も居ない、ただ広い演説場。

 空虚な空間が口を開けているその場所に、彼女は居た。

 黙って整列する空席に、少女は何を見ていたのだろう。

 静まり返った会場に、少女は何を聞いていたのだろうか。

 録音機に向けて、まっすぐに見つめた姿なき大衆に向けて、アリーは語りかけた。


「魔女は……長い眠りについた。いつの日かの栄光をまぶたに閉じ。私たちは、ひたすらに忍んで(ながら)えた。その歴史を知らぬ者など存在しまい。ああ。当然のことだ」


 傍には、表情のない瞳で(くう)を見つめる()が立つ。

 彼は黙って、少女の背を見守っている。


「魔女は奴隷となり、人類の座から転落した。一概に、打たれ、踏まれ、(なじ)られ、(けが)され。そして、焼かれた」


 寒風がぴたりと止む。


「奪われた。幸せをか? いいや。心をだ。私たちは心を奪われた。誰にだ。誰に奪われた。いったいぜんたい誰に奪われた。誰だよ。誰だよ。いったい誰なんだ」


 そして、少女は台を強く叩きつけた。

 何度も何度も何度も何度も、激しく、激しく叩く。


「誰だ!!! 私から奪ったのは!!! いったい誰だ!!! ええ!? 答えろ!!! 答えろ!!! 答えろ!!!」


 耳鳴りのする反響音が、都市全体をかき鳴らした。

 とうとう台を打ち破ってしまった少女は、録音機を取りあげて口元に。

 彼女は、民の耳元で怒声を挙げた。


「貴様だ!!!! 貴様らだ!!!! 貴様らが穢した!!!」


 震える唇は、内包する舌をそこで止めた。

 一呼吸置くと、子音の強い発音が、その様相を激昂から奇妙なものへと転調させる。


「――そこでだ。諸君らに提案がある。平和的解決を図ろう」


 打って変わって、まったく小さな声だった。

 静かに、眠りにつく我が子を起こさぬよう気遣う。そんな優しい声色だった。

 しばらくの間、彼女は黙り込んでしまった。

 うつむいて、崩れた演説台の前にたたずんだ。

 兄の目は、まったく憐れむようなものである。

 小さな背中は、徹底的な生き様をもってそれに応える。


「同じでいい――私と同じでいいよ――同じものを味わってくれよ――ねえ」


 手にぶら下げた録音機がその声を拾えていたのか、定かではない。

 しかしすぐに、そんな心配は無効と化す。

 彼女は、両の腕を大きく、高らかに掲げ天を仰いだ。


「立て!!!魔女よ!!!!復讐せよ!!!!!!!」


 彼女のがなり声は、それそのもののみで、この世界のすべての人間に打ち轟くものと思われた。

 アリーは、復讐せよ、復讐せよと繰り返し叫ぶ。

 幾度も幾度も繰り返し、その叫び声を延々と上げ続ける。

 そしてそこに、フーゴがたどり着くのだ。

 目と、見えぬ目が合う。

 アリーの手から録音機が零れる。

 ガシャン、という粉砕音に導かれるように、青年の身体は刹那のこう着を切り裂いて短銃を取る。

 家族に、それを向ける。

 撃てない。

 青年は、撃てなかった。



 わずかな秒数を見送った。その時に、地鳴りは起った。

 あまりにも巨大な爆発音が人類の内臓を揺るがし、フーゴは震えあがって後方を顧みた。

 いや、正確にはその必要はなかった。或いは、そうしなくても理解できた。

 街中が、都市中が一斉に燃え上がったのだ。

 熱風と轟音が巻き起こり、もはや盲目の青年にはその規模を知り得ることすら困難だ。

 何もかもが、一瞬のうちに炎上した。

 大量の時限爆弾がさく裂したかのように、そこいら中が地獄と化す。

 青年は訳が分からなくなり、同時にはっとして、アリーの方を振り返った。

 見えぬ目にも見えた。

 彼女は剥き出しの復讐心で笑い、付き人と共に影の中に沈み消えた。

 ゆっくりと、見せつけるかのように、沈んで、消えた。

 フーゴは、しばらくの間立ち尽くすしかなかった。






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