第56話 故郷より、いざ絶たん
実に、静かだった。
動物がわずかに息づく音以外は何も聞こえない。
人の立ち入るべくもない村跡。そこに転がっている苔むしたクワなどの鉄器、崩れた壁石。
ここから人が去ってからどれだけ経ったのか。そう淡い歴史を感じさせるまでに朽ちてしまった集落に、彼女たちは居た。
深緑に侵された村の中心で、真昼の木漏れ日に輝く金色の風。彼女は、その両の腕を大きく広げて目を閉じる。
自然にこだまする音々をかき集めて、目いっぱい吸い込んで吐き切る。
少女は、木に遮られた炎を見上げた。
「我が魂の地――」
異常気象と言えるほどの晴れだ。
アリーがこの場所、アーテムよりはるか南にあるエアトベーレンの森にたどり着いた日に限り、太陽は冬を消し去った。
彼女が振り返ると、そこには果てしなく続く軍列があった。
千や二千と続いているであろうその列は、この小さな集落には収まりきらずに森の中に埋もれている。
そこで、先頭の集団にアリーが言い放った。
「伐り払え」
一時間程度。
苛烈な伐り開きで、手つかずの森だった村周辺は、半径約一キロに渡る荒野となった。この村に生きた者達を育んだ森は、姿を消した。
それは、魔法が成す業だった。
アリーは、解放した魔女を駒としていたのだ。
彼女の呼びかけによって、ほとんどの魔女はハイラントフリート側についていた。巧妙に増長させられた憎しみをはらわたに。武器を手に。
魔女たちは、既にその激情を押さえきれなくなっており、必要以上の威力で森を焼き切った。
これまで自分を虐げて来た、虐殺しつくしてきた人間の影を木々に重ね、アリーの一言のために烈を尽くす。
不可逆とも言えよう。彼女たちは既に、理性を復讐心と取り換えてしまっていた。
しかし、八つ当たりが目的だったわけではない。アリーがこの場を空地としたのには、理由がある。
彼女は、南西の隣国からの武器の密輸を待っていた。
エアトベーレンが位置するのは、南東端のニーダーヘクセライ県、その更に南方。ベルネブットとも接する大国との接点だ。
アリーはこの場所に武器と大軍を集め、身を隠しながら準備を進めるつもりであった。
二日後に約束の武器が届き、彼女たちは金と引き換えに大量の銃と車両を手に入れる。
隣国の力が窺える、最新鋭の装備。人を殺すには十分すぎる器だった。
こうして、大規模な軍隊が完成した。
しかし、その行き先を明確にしておかなければならない。それを語るのは、アリーだ。
大筆頭は軍勢の前に立つため、廃墟の屋根に上がる。
拡声器など要さない。彼女は一帯が静まりかえるまで待ち、わずかに声をあげた。
注目が一挙に集まり、ぐるりと取り囲む大軍は彼女の言葉に釘付けになる。
はじめは静かに。そして徐々に感情を乗せ、荒々しく。
魔女たちの闘争本能は掻き立てられ、臓に眠る激情があらわになる。
絶叫が地鳴りに変わり、エアトベーレンをかき鳴らした。
そして最後に、アリーは最高の言葉で宣戦を布告する。
「復讐戦争だ」
煮えたぎった熱狂が吹き荒れ、色とりどりの魔女たちは奮起した。
全員が一斉に、マントを羽織る。どこから調達したのか、黒く、内側の紅い大きなマントがはためく。
尖った帽子を深々とかぶり、黒金の槍を突きあげて。
さあ、伝統的な魔女の騎士団の完成だ。
焼き付いた憎しみを巨旗と掲げ、大軍団は出発した。
目指すはアーテム。
彼らが憎悪の故郷だった。