第5話 さようなら第三の故郷
街での噂話が、カミラの耳をかすめた。
ハイラントフリートにエルザが加わって一ヶ月程度。カミラ・エルンストは第二区へ食材を買い足しに向かっていた。
寒さもややなりを潜める昼下がりの事である。
純粋な黒を湛える短い髪、希有な黒い目を持つ彼女は、アリーとはまた違った目立ち方をしている。
茶系の毛にブラウン、または緑灰の目といった一般の容姿とは離れ、地味で暗いと言った印象を受ける。
そんな彼女の今日の用は、ニンジンとじゃがいも、麦と砂糖にあった。
自家製のキャベツやイモ類は、一家に集まる七人全員の頬を潤すだけの量が無い。
木こりや獣皮との交換によって得ている資金で、彼女らはその生活を賄っていた。
そこそこの賑わいを見せる市場に着くと、すぐに彼女の耳に婦人たちの会話が忍び込んできた。
「二区に魔女がたくさん集まってるって聞いた?」
「あら、私は三区って聞きましたけど?」
「いやねぇホントに、汚らしい。どっちにしろ近くにいるって事でしょ? 息子、外で遊ばせるのやめようかしら」
カミラはぞっとした。
この二人だけではない。あちこちで、同様のささやきが聞こえた。
中には殺せだの、憲兵隊に通報するだのと強硬な宣誓もあり、事はそれなりに大きく知れているようだった。
彼女は確実に、噂の波が自分たちの喉元に押し寄せていることを感じていた。
魔女とは不浄であり、歪劣であり、そして脅威である。
者どもには御し得ない神秘を解し、また神座を侵す者である。
此の国の全ての人間は、そう教わり今世紀まで生きて来た。
事実、史上には魔女の反乱もあったし、その存在が彼らの脅威となり続けてきたことには違い無い。
しかしながら、なぜ無条件に差別されなければならないのか。
解せない事は悪であるのか。
異なることは許されざる罪なのか。
カミラは人知れず歯を軋らせ、さっさと買い物を済ませ戻った。
帰り道。早足のカミラは己を振り返っていた。
滑る足元に気を払いながら、これまでの自分であれば、あそこで憤ることもなかったのだろうと想い返る。
アリーに感化されてか、彼女はそれまで持たなかった誇りや、反抗心や、愛といったものを得ていた。
魔女であることを貶され怒り、友である人々を侮られ憤る。
アリーに買い取られ、家に迎えられ。
主君に救われ奴隷でなくなった彼女は、自分自身が人間であることを噛みしめていた。
しかし問題はそこにはない。
その事はカミラも心得ていた。
彼女はアリーが山小屋へ出かけ留守であることを聞くと、荷物を置いて後を追った。
二時間程度歩いて着くと、山小屋ではエルザが特訓を行っていた。ここ二日間、彼女は家に帰ることも無く身体づくりに没頭している。
大変熱心な様子のエルザを見守るアリーだったが、唐突に訪れたカミラに異変を感じ、目で合図して彼女を小屋に入れた。
「どうした」
アリーは簡素な椅子に腰かけ、木の机に肘をかけた。
「はい。街で噂が」
彼女の報告を受けたボスは、三週間前の心当たりを振り返って顔をしかめた。
「……まずったかねぇ」
「やはり例の件でしょうか。もしあれがきっかけなら、その時の魔女狩りは大小なりの組織ぐるみだったということになりますが」
アリー曰く、奴隷商が直々に人狩りを雇う事は少ない。
というのも、商人の多くはその行いを差し置き、白々しい誇りを持っているのだ。
人狩りは言わば犯罪行為。商人は汚い手を使わずまっとうな取引を行うというのが、彼らの矜持のひとつだ。
その価値観故に、魔女狩りから仕入れる、つまりは他人に手を汚させる選択が好まれるという構図が生まれる。
商人たちがそうして関与しない以上、魔女狩りは魔女狩りで職業として独立する他ない。
その結果が、彼らがただの山賊であるという現状なわけだ。
しかし、ならず者の中にもやり手は居よう。
それらが一体となり統率された場合、欠員が出たり連絡が滞ったりすれば必然的に異変にも気付く。
商売のパイプが太くなっていれば、それほど魔女の反抗の事実が迅速に広まるというわけだ。
「魔女狩りもそろそろ、ただの野盗ではなくなってきたということか――――」
「しかも噂は、魔女が集い、拠点を持つという所まで明確になったものでした。アリー様……」
カミラは落ち着いた口調を保ちつつも、今にも不安を吐露しそうな様子だった。
どこまで調べが付いているのか、それを確実に判断し安心し得る情報がなかったからだろう。
アリーは窓の外のエルザを見つめつつ、こう下した。
「移動しよう。形も色も違う女どもが屯するには、街は似合わんということだ」
カミラは静かに頷いた。
翌日から引っ越しと、そのための荷づくりが始まった。
行く先は、エルザがまだ会った事のないメンバー二人の居るところ。前々から遠方に作っていた新規拠点だった。
棚は中身だけを降ろし、食料をそれなりに背負う。暖炉を消し、思い出の写真を手に取る。
そうして部屋は小一時間のうちに、まったくもって綺麗に片付いてしまった。
アリーを含め、六人はなじみ深い三階建てを寂し気に見回っていた。
置き忘れた物がないかどうか、思い出がないかどうか。
皆、ここに初めて踏み入った時と現在の自分を顧みている様子で、面々にはしんみりとした表情が浮かんでいた。
「こうも早くここを出ることになるとはな。二年と少しか」
アリーは歳に似合わず老人のような口を利く。
その顔は、泣いても笑ってもいなかった。
「アリー様も大きくなりましたよねぇ。最初会った時はこんなだったっけな!」
マーシャが軽口を利き、皆が名残惜しさを帯びた静かな笑いに包まれる。
間の悪い談笑が後を引き、気付けば出立の準備完了から数十分も経っていた。
そしてアリーが見切りをつけ、部屋へ向き直り呟いた。
「――――さ、往くとしようか」
アリーたちはそのドアを開け、我が家からの最後の出発を終えた。