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第54話 愛

 フーゴは、曇天の第一区を歩いていた。

 特別戦力( 魔女狩り )詰所(つめしょ)が設営された付近で、暇をつぶすように、気を紛らわせるように。

 差し迫る心に胸を圧迫されながら、見えない目で寒気を見送る。

 今頃、家族はどうしているだろうか。

 自分を殺すための算段を立てているのだろうか。

 今にも、この街を襲ってくるのだろうか。

 彼の中には既に怒りは無く、使命感と、問題を先送りにしたいという逃避しかなかった。

 離反したことをわずかに悔いる気持ちと、それを許したくない心が揺れる。

 彼は何気なく、雪を蹴った。


 その時気付いた。

 自分の背後に、人が付いている事に。

 雪を蹴飛ばしたことで乱れた己の足並みが、それに合わせて消されていた懸想人(けそうびと)の靴音を発覚させた。

 フーゴは立ち止まり、振り返らずに相手に告げる。


「誰ですか」


 返事は案外すぐに帰ってきた。

 声の正体は、何度か会ったローズマリーだった。


「私だ。ずいぶん長い事気付かなかったな。なにボケボケしてやがる」


 フーゴはすぐには答えない。

 ローズマリー・フリードリヒ・ゼーベック。父親のフリードリヒを早々に退陣させて舞台に上がったこの女は、ランペルツに次いで若い貴族家当主として有名だった。

 白に近く非常に明るいブラウンの髪を結ぶ、まき毛でボリュームのあるポニーテール。そして顔の右半分を縦断する切り傷が、彼女のアイデンティティだ。

 その(じつ)は、階級意識の強い典型的な名門出。腕が立ち、誇り高い彼女は国が確実に頼りにできる魔女狩りの一人だった。


「僕が信用ならないか」


 フーゴは広い道に吸われて消えそうな小声で喋った。

 ローズマリーは向き合わずに話す態度に睨みをきかせながらも、礼儀として問いに答える。


「当たり前だ。我がゼーベック家は魔女狩り墜ちの濁血(ネルベ)なんかに敬意は払わねえ。それにてめえは向こうのもんだろうが」


 彼女は、フーゴを全く信用していないらしい。

 それで、彼が秘密裏に情報のやり取りなどしていないかとつけていたと言うわけだ。

 これまでの数日間、ずっとの事だったと考えれば、彼女の尾行の腕が並でない事はすぐに分かる。

 見える者以上に目が利く自分の感覚、その隙を縫い続けてきた彼女に、フーゴはわずかに戦慄する。


「僕は家族を裏切った。こちら側で戦う事に揺るぎはない」


 フーゴは、そう言い切った。

 しかし、それが彼女にとって満足できる回答でなかった事は、次に起きた出来事で表明される。

 雪を蹴る音が響き、鋼の擦れる音、長いものが空を斬る高い音、皮膚のぶつかる(はた)いたような音、と続く。

 ローズマリーの取り出した厚い剣が、フーゴの首筋に迫っていた。

 その彼女の右手首を、彼の左手が押さえつける。


「腹の見えねえ奴に後ろは預けられないね……てめえの心は何だ」


 女は即座に蹴りを繰り出し、フーゴを突き飛ばそうとする。

 しかし、その蹴りが左から出たことを(さと)ったフーゴは、右手を払い受け止める。

 剣を握る方の手が押す力を弱めた事を確認し、それらを払い退ける。

 二人の距離は離れ、にらみ合いの様相に。


「陰気な奴だ。吐かせてやるよ」


 ローズマリーの構えは、颯爽たる騎士らしいものだった。

 稽古(けいこ)の積まれた正当な動きには、我流と違い独特の読みにくさはないが、隙も無い。

 最も強く美しい状態を追及して編まれた()は、決して低い柵ではなかった。

 支給されていた剣で応戦するフーゴは、彼女のキレのある戦いに()されていた。


 半刻もやり取りをすれば、二人ともへとへとになった。

 フーゴの奇怪な速さは、気分が臨戦状態を受け入れ始めてから目立ちだし、ローズマリーを翻弄した。

 集中さえしていれば死角の存在しない彼の防御を崩すことは、結局彼女にはできなかった。

 いつの間にかお互いが了承していた、魔法を使わないという制約の下の戦いは、果てしなく続く。




 いつの間にか、二人は人気のない場所に倒れていた。息も絶え絶えに、暮れゆく曇天を見上げて。

 切り傷があちこちに見られる。

 打ち合いは、互いの消耗によって幕となったようだ。


「僕は――」


 ふと、フーゴが天に向かって吐いた。

 ローズマリーは、寝転がったままにそれを聞く。


「僕は……正しくありたい。僕は、道を踏み外した行いには耐えられない――この街を攻撃する事が、どれだけの人を傷つけるのか……これ以上戦争を……無意味な戦いをばら撒くことが……」


 彼女は、青年の言いたいことを何となく()んだ。


「僕がやるしかない……アリー様は、僕が止めなきゃいけない。それが家族としてできる、最期の――」


 それを聞いて、女は笑った。

 雪の冷たさに汗を溶かして、気分よさそうに高笑いをする。


「バッカだなお前」


 あまりにも面白そうに彼女が笑うので、フーゴもだんだん馬鹿らしくなってきた。

 そろそろ冷え始めたので、どこかに脱ぎ捨てたコートを探すために起き上がる。

 やれやれと、彼はため息をついた。

 すると、女はぽつりとつぶやく。


「愛ゆえに愛を滅ぼすか」


 フーゴは、そのわずかな詩に核心を突かれた。

 その愛という言葉を何と捉えるかによって、受け手によって、想いによって意味の変わる深い詩だった。

 彼はそれを傷心に受け取り、腰を上げた。

 戦いを通じていつの間にやら和解していたローズマリーに手を差し伸べると、フーゴは微笑む。

 彼らはまた、歩き始めた。


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