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第53話 偽王/義王

 全ての手配を済ませたバルトブルク王は、自室で一人、豪雨の夜を眺めていた。

 城の頂上付近にある王室のひとつは、冠の収められている豪勢な部屋とは違い、華やかさに欠ける書斎だった。

 棚には溢れんばかりの本がぎっしりと並べられ、しかしまるで十数年手を付けていないかのように整頓され尽くしている。

 壁に掛かったいつの頃のものか分からない古びた羊皮紙には、()のバルトブルクの領土が記されている。奇妙なことに、自国名は塗りつぶされているが。

 そんな薄暗い部屋で、王はただ雨を見つめる。


 ふと、声が響いた。


「雨が凍らず落ちてくるとは、今日は妙に気温が高いようですねぇ」


 王は振り返らない。

 声の主は、さきほどの召使いの女だった。

 黒い制服に白いエプロン。スカートは長く、この時代らしい淑女的な出で立ち。

 しかし本棚に寄りかかる姿が、彼女が本人でない事を表している。


「声も無しに私のドアを開けるか」


 明らかに不自然な顔で笑うと、彼女は王の背に続けて語りかける。

 腕組みを解き、後ろの棚から本を抜いて開く。


「貴方は尊敬すべき王ですよ。いやぁ、本当にねぇ」


 本のページでバラバラっと音を立てた。

 彼女は宙に遊ぶ指先でなにかリズムを取りながら、美しい音楽に耳を澄ますように目を閉じる。


「あぁ聞こえる。人の音が」


 雨音に支配された静寂に酔いしれ、召使いはゆっくりと呼吸をした。

 王は奇妙な女を捨て置き、雨ざらしの城壁を見下ろしている。

 しばらくすると、はー、と深くため息をついた召使いが話し始めた。


「先ほどの作戦、いやぁ、実に大げさなものでしたねぇ王様」


 女は指で本の字を追う。

 わずかに、爪が紙を擦る音がする。


「ベンソン家の御子息(いわ)く、アウレリアはアーテムを襲撃する。つまるところ、その手段が判然としていないわけです」


 まるで、その手の本の昔話を読んでいるかのように、老婆のように、女は口ずさむ。

 はっきりとした抑揚で、繊細な息遣いで。

 王は、未だ吐く息の音も立てずに外を見つめている。


「王様。貴方はまだ――期待しておられる。市民の革命を後押しするか、或いは新たなる国を作り上げるか……彼女にその可能性が残されていると」


 伏した目で字を追い続ける女。

 柔らかな語りは続く。


「多くの共和派が新たなリーダーに彼女を推しているのも事実。何も知らぬ王国民からの支持も未だ厚い。過剰な防御を張れば、それらを利用せざるを得なくなろう、と。実に(とうと)きお導きだ」


 そこまで話すと、彼女の指はぴたりと止まった。

 数秒間身体を放置した彼女は、再び動き出すと共に本をバタンと閉じる。


「しかしまぁ――王様。貴方も賭け事がお好きなようだ」


 王の方を振り返り、薄闇にぎらりと光る灰色の目でせせら笑う。

 小さく、斬るような引き笑いが床を叩いた。

 王は微動だにしない硬直を破り、ようやくその口を開く。


「願わくば、私の賭けるほうに向いてもらいたいものだな」


 透き通った低い声質が、雨に溶け落ちる。

 彼は、ようやく後方にその翠眼( すいがん )を見せた。


「時が来れば解る」


 召使いの女に向けられた淡い笑みは、毒蛇のような視線とぶつかった。

 すると、女の引き裂く笑みが消える。

 雷が窓を震わした。


「お父上も喜ばれる」


 一転して笑みを浮かべる側が入れ替わった。

 王は闇を溶かして落とすような微笑みを、女は影から睨む獣のような眼光を。

 雨は、壁を叩く音でそれらを仲裁しているかのようだった。


「カルロス三世。バルトブルクに幸あれ」


 召使いの女は王と向き合ったまま言うと、それを最後の言葉に部屋を後にした。

 王は表情を再び無に落として、窓の方を振り返る。




 が、すぐにまたドアの方に視線をやることになった。

 こっそりと覗いていた少女に気が付いたからだ。

 たちまち王の表情は柔らかなものになり、その子供に向かって笑いかける。


「どうした、リリー。眠れないのかい」


 まだ十にも満たないその女の子は、彼の妹であり、六年前に死んだ両親の忘れ形見だった。

 才色兼備で優秀な兄への評価が手伝ってか、彼女は親亡き後も親戚たちによく可愛がられている。

 決して不幸ではなく、寂しくもないはずだが、それでもやはりまだ子供。

 こうした不穏な雨の夜には、兄の部屋を訪ねたくなる。


「お兄様……怖い夢を見たの」


 仕方ない、といった表情を浮かべる彼は珍しかった。

 妹の前でのみ、王は王でなくなる。

 かなり高い身長を二つに折って視線を合わせ、リリーの髪の毛を撫でる。


「大丈夫。俺が傍にいる」


 妹は彼に抱き着き、彼はそれを優しく受け止める。

 兄は安心するまで彼女の背をさすり続けた。

 やっと兄から離れたリリーは、その手を握ったままに言った。


「一緒に寝ましょうお兄様……」


 怖くて仕方がないといった彼女の様子を可愛らしく思い、兄は優しく頷く。

 彼の夜は、寝支度と懐かしい子守歌で終わった。

 この日は、確かに穏やかなまま、終わったのだった。


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