第48話 エッフェンベルクを呼び戻せ
「王は何をお考えなのか! こんな事態になっても尚、何も図らぬとは!」
事は、政府要人たちの想定を上回っていた。
王城ヴァイスマウアー。議室には、産業、行政、司法大臣が集まり急ぎの相談をしている。
「状況は日々悪化している。わしらだけで動かせる範囲では、対応しきれぬ」
行政を担うひと柱の老人は、その白んだ髭の間から深刻そうな言葉を零した。
それを聞いた産業大臣は、太った腹を震わせて唾を飛ばしながら強く論ずる。
「翠眼の魔女の台頭もある。やつに何らかの目論見があるとして、暴徒を野放しにしておくことは銃を放っておくのと同じことだ。もはや、王への目通りを待ってはおれん……陸上級大将に臨時憲兵隊統率権を与え、暴徒を鎮圧させる」
産業大臣が警察任務、つまりランペルツの代理をさせようと推したのは、今回の戦争でも多大な成果を上げたベレンキ大将だった。
彼にそうした判断を迫ったのは、つい先日起きた税務署への攻撃。
共和制移行を求める市民団体は日に日に過激化しており、指揮責任者不在では抑えられなくなってきている。また、職を失った奴隷商人たちの不満もくすぶり続け、大規模なストライキが相次いでいる。
国へ多額の税を納めてくれる奴隷商社が壊滅し、財政も破たん寸前。
憲兵隊の増員も、統治大臣の私兵のごとく扱えるその性質から、議会の承認を待つ必要がある。
そして、経済大臣の残したアウレリアへの恐怖。
戦勝の英雄の脅威が、更に状況を切迫したものへと昇華させているのだ。
まさに絶体絶命。今は最低でも、有能な指揮者が必要であった。
しかし、司法を担う背高の男が苦言を呈する。
「それはなりません。政軍分離は憲法における原則。王の同意があっても、現在陸軍指揮権を有している者に、政治側に責任を置く警邏任務を任せるわけにはいきません」
その分かり切った卓上論に激怒した小太りの男は、机を殴って立ち上がる剣幕でがなり立てる。
「そんな事はわかっている!!」
産業大臣は、頭に血が上りすぎていることを自省し、一息ついて腰を落ち着ける。
ため息をつくと、二人の重鎮に向けて小声でつぶやいた。
「吾輩の独断でやる。貴殿らは見ぬふりをすればよい。悔しいが、吾輩には、統治は務まらぬ――」
凄みのきいた表情の男だったが、それを行政大臣が鼻で笑う。
「ふん。エッフェンベルクの傀儡めが、言いよるわ」
小太りの男は、気に入らぬ一言に鼻すじを歪ませる。
それに続くように、司法大臣が口を添えた。
「一人が泥を被れば済む問題ではありません。ただでさえ空席のおかげで治世が滞っているというのに、統治兼任のあなたが権限濫用などで抜ければ更なること」
「わしらにはもはや、王に乞うて無理を通してもらう他ない」
小太りの男は、押し黙ってしまう。
のっぴきならない状況が三人の老人たちを苦しめているのが、嫌というほど伝わってきた。
しかし、その産業大臣の手の内には、まだ侵すべき禁忌が存在したようだ。
「いや……まだ手はある。法に触れぬ範囲で通せる無理が、まだ在る」
他の者達は、その問いに対しては刃向かわなかった。
むしろ、それを共通解として持ち寄ったといった具合に、低く静まった面持ちをもって同意を示す。
「エッフェンベルクを――あの愛国の巨人を呼び戻すのだ」
二人は、首をどちらにも振らなかった。
反逆の疑い人を、理由を捏造して釈放する。そんな強引な方法を選んででも必要な人物。
それが、エッフェンベルク元経済大臣という男だった。
閣僚たちは、彼ならこの状況を打破してくれるはずだと、疑いもせず信じていた。
「どういうことだ!!!! オットーが居ないだと!!!?」
産業大臣の怒声が廊下に響き渡った。
声を叩きつけられた部下は、冷や汗を垂らしながら必死に訴える。
どうやら、牢破りが行われたようだ。
エッフェンベルクは、牢の周辺に武装の奪われた看守の死体を残して消えていた。遺体の状況から、おそらく脱獄は六日ほど前。
なぜ要人の収容に細心の注意が払われず、しかも抜け出してから一週間も気付かないままだったのか。
疑問は尽きないが、とにかく大臣にとっては悲惨な出来事。動揺した小太りの男は、慌てて部下に彼を探すように言いつけた。
割ける限りの人員をもって何日もの間捜索が行われたが、いっこうにエッフェンベルクは見つからなかった。見つかったとして、既に彼は被疑者から容疑者になってしまっている。疑いを覆し名誉を挽回することは、既に不可能だ。
それでもなお、産業大臣はエッフェンベルクを探した。
来る日も来る日も、憲兵に拙い命令を出しながら、割譲領土のインフラ復旧を指揮しながら。
男は、愛国者を探し続けた。
産業大臣、アドルフ・ディートリヒ・ルーベンス子爵は、エッフェンベルクに崇拝に近い感情を抱いていた。
時をさかのぼること、凡そ六年。この国の重工業は、飛躍的に発展し、拡大した。
その成果をあげたのは、経済大臣。そして、産業大臣だった。
国の予算、税や通貨の管理など、財政を取り仕切る経済大臣は、家業で培った産業のノウハウを活かすため、当該分野を司る産業大臣と結んでこれを成し遂げた。財政においての無理を強引に通し、それを産業に投じたのだ。
その手腕に魅せられてから、ルーベンス産業大臣は彼に一目置くようになった。
この時以来、何かにつけては彼に意見を求めて功績を手にしてきた男は、周囲からエッフェンベルク家の飼い犬などと揶揄されてきた。
しかし、そんなことは大臣にとってはどうでもよかった。
良い結果さえ作り出せるなら、それを可能にする手段を選択すればいい。信条の下の行動はためらいを生まず、ついには淡い信仰心まで芽生えさせた。
男は、一回りも下の青年にこの国の未来を見ていた。
ルーベンスは、直々に現場の指揮を執るためにシャッツカマーを離れた。
彼が馬車での輸送に耐えたのは、第四区の奴隷市街跡を占拠している共和派が武装しているためだ。
恐らく、奴隷商社が保有してた自警用の装備。これが、横流しに遭ったのだろう。
まさににらみ合いの続く戦場と化してしまった市街地へ向けて、小太りの男は窮屈な車に揺られていた。
と、その時、突然馬の叫び声が響く。
動揺する引き手も、数秒の内に鉛に貫かれて消える。
どこかから、発砲されたようだった。
ルーベンスは馬車から飛び降りると、石の床に転がった。
伏せの状態のまま辺りを確認すると、目の前には男と思われる人物の長い脚があった。
見上げたルーベンスは、愕然とした後、希望の色を浮かべる。
「エッフェンベルク――エッフェンベルク! 貴様を探していた!!」
ぼろ布に身を包んだ男は、失墜した経済大臣だった。
彼の顔は、フードで見えない。
「エッフェンベルク……ぬしが居ねば、やはりこの国は回らぬ。戻ってきてくれ! そして再び――」
発砲音がして、石が鉄を弾く音が後に続く。
何かがばたりと床に落ち、そこらが途端に血だまりになる。
なぜだ、なぜだと呻く声が、最後の一息をカウントする。
冷徹なその男は、肉塊を見下してこう言った。
「裏切り者め――王に仇成す――逆賊め――!!」
若者の瞳は、黒く濁っていた。