第45話 日照らぬ決裂
フーゴは、涙するカミラと、それを抱きとめるドロノフの会話を聞いていた。
もう、雪が降りだす頃だ。今宵は寒く、心骨が冷える。
気配を消すのが上手いことが、彼にとってこんなにも有り難くない日は珍しい。全く完璧に盗み聞きができてしまうから、二人の話す重すぎる真実が、ありのままに伝わってきた。
青年は、拳を握りしめて去った。
それからすっかり夜が更けるまで、数時間といったところだろうか。見当たらなかった彼の姿は、三区の細道に見留められた。
コートの雪を払う事も無く、頭に雪を被りながら路地を縫い行く。
キツネかイタチのようにするすると裏道を抜けていく彼を、風が静かに追う。
すると、彼は墓所に入った。
街のはずれで寂しく冬を映しているその場所で、つまづきもせず盲目の男は奥へと進む。
「どうしたの」
とある石の前に立っていたのは、マルクだった。彼女は、フーゴの方を振り返る。
手にマスケット銃が握られている。恐らく、誓いの言葉を彼の気配に邪魔されて、慌てて持ち直したところなのだろう。続けて、目を隠す前髪をわずかに掻く素振りを見せる。
身だしなみを整え損なう彼女の様子は微笑ましいが、フーゴの要件はそれらを無視するものだ。
彼は不自然な間をあけて、マルクがおどおどし始める直前に口を開いた。
「家を離れよう」
その言葉は、少女の胸をぐさりと突いた。
彼のことを少しは知っているつもりのマルクは、安易には頷けなかった。
なぜならそれが、アリーに対する裏切りを意味する言葉だったからだ。
「彼女の企みを軍に伝えるんだ。僕は――決心した……」
マルクは、フーゴのその言葉を待っていたようなものだった。
いつか来てしまうであろうこの時を、たった今まで先延ばしに考えてきた。
彼女は、一応咎めはする。
「そんなの……だめ。私はみんなを裏切れない」
フーゴは、彼女の肩にそっと触れた。
「一緒に行きたい」
マルクは、唇を噛んだ。
「どうして……? どうしてそんなことしないといけないの? アリー様が……何かしたの」
彼女は口では理由を問うが、本当はわかっていた。
フーゴがアリーの何かを知っていること。それに対して、立ち向かおうとしていること。
家族を危険にさらす何かが近づいていること。それが、アリーによってもたらされるであろうこと。
全てがはっきりとしたものではなかったが、間違いなく、マルクは気配を感じ取っていた。
「アリー様は――」
フーゴは押し黙ってしまう。
マルクは、次に出てくる言葉に恐怖していた。
今までに別れを告げる、終わりの鐘の音がもうすぐ鳴る。
フーゴの口からそれを聞き届けることの恐ろしさが、マルクの口元を震えさせた。
そして、彼は真実を語ってしまった。
主君が何をしようとしているのか。いつそれを知り得たのか。なぜそれを止めたいのか。すべてを、彼女に告げてしまった。
マルクはそれを受けて、泣きも怒りもしなかった。
ただ、うつむいたまま、マスケットを握りしめている。
フーゴは、その細い身体を抱いた。
「やるしかないんだ――僕がアリー様を止めなきゃ」
彼は、涙の出ないその目で泣いた。
身体は、驚くほど熱かった。
その炉心に触れるように、マルクはそっと抱き返す。
「わかんない――どうすればいいの――私は――」
フーゴは覆いかぶさるように彼女を抱いたまま、小さな声で明かした。
「みんなにもこの事を話す。アリー様に知らされてしまうかも知れないけど、そうでないにしても向こうにつくなら戦わなきゃならなくなる。何も言わずになんて……悔いは遺したくない」
フーゴは、ドロノフとカミラはアリーの腹を知っていたと続け、そのうえで彼らにも自身の離反を告げると言った。
そして、恐らくついてくる者はいないと思うが、とも。
彼は、単身でハイラントフリートと戦おうとしていた。
これまで寝食を共にした家族と、自分を救ってくれた主人と戦う決意が。恩義に仇し、守りたかったモノと敵対する決心が。どれほど酷なものだったか、マルクには想像する必要も無く理解できた。
だが、彼女に答えは出せなかった。
それを察して頷くと、離反に参加する場合の集合場所を教え、身体を離し、彼は最後にマルクの手を握った。
「一応言っておくよ」
マルクは彼を見上げた。
目と目を合わせる事が何よりも嫌いな彼女が、その黄みがかった瞳をはっきりとのぞかせ、目を見開いてフーゴを見る。
目の無い彼だけが、マルクとじっと見つめ合うことができた。
フーゴの黒布の奥の光が、彼女に微笑んだ。
「さよなら」
フーゴは、去った。