第41話 戦勝、始動
アーテムの街では、誰もが楽しげだった。
数年の間緊張と不安をもたらしてきた敵は、排除された。
勝ったのだ、この国は。
バルトブルクは、戦勝した。
街頭で社交ダンスを披露する老夫婦や、熱いキスを交わす恋人たち。
誰もが笑い、誰もが喜び、誰もが祝った。
ここ一週間、人々は寝ずの勢いで浮かれていた。
バルトブルク=ベルネブット戦争は、この国の勝利によって完結した。
バルトブルクは、終戦の証として敵領都市ヴァルムシュタットで調印されたヴァルムシュタット条約によって、ベルネブットに対し四十八億バークの戦争賠償の支払い、ヴィスキ川隣接の四県の割譲、一県の東部の割譲を命じた。
バウムヨハン線の瓦解時点で領土の九割以上を占領されていたベルネブットは、これに逆らう立場など無く、望むがままを受け入れた。
条約内容は自国有利の一辺倒であり、完全勝利を知らされた国民は発表と同時に大いに湧いた。
この日は、その締結からちょうど一週間が経過したというところだった。
伝統的な馬車で、広場に運ばれてくる要人が一人。
その車が行く道沿いには、この世のすべての人間の総数とも見間違う大軍勢が見物に並ぶ。
抱えきれない声援につつまれながら、第一区の演説場に到着する。
すでに会場は満員御礼、それ以上。
少女はゆっくりと馬車を降り、また壇にあがった。
拍手喝さいが鳴りやまない。
果てしない地平の彼方までも届く歓喜の声。
彼女がマイクの前に立つ頃には、それらは絶頂を迎えていた。
見渡す限りの大声を一望し、壇上の彼女は静けさが訪れるまでじっと待つ。
話したげな様子に流石に気付いた大衆は、徐々に聞く準備を整え始めた。
あらゆる集中が一点に集約し、アウレリアはその言葉を贈った。
「まずは、戦勝おめでとう」
大歓声は、再び盛り上がる。
指笛が高らかにこだまし、はっきりとした喜びが跋扈した。
これらもまた、アリーの沈黙によって静められる。
「諸君らの団結と、前線部隊の大健闘によって、この勝利は完全な結末として訪れた。我々魔女の助力ももちろん役を買ったが、それはひとつの勝因でしかない。故に今宵の乾杯は、自らと、バルトブルク、そして、国の人々に捧げよう」
すでに説明の要らない会場の様子は、アリーの言葉を大英雄のそれへと昇華させる。
誰もが称え、尊重し、感激する。それが、今の彼女のすべてだった。
さらに興奮を煽るように続けながら、アリーはその手を高く掲げる。いよいよもって声は高まり、なかば狂乱状態となった。
ひとしきりの間客を疲れさせたところで、彼女は、次の作戦を口にする。
それこそが、彼女の本当の始まりであり、本当の、第一章の幕開けだった。
「時に、諸君。いい祭りだ。実に楽しい。楽しいが、嬉しいが、ひとつ。この私としては気がかりがある」
突然のトーンダウンに、一瞬だけざわつきが見られた。
そして、先ほどまでとは打って変わった静けさが会場を掃き慣らす。
「それは、奴隷たちのことだ」
音がしない。
「魔女は、これまで何の理由もなく囚われ続けてきた。そして今も、たった今現在も、私の同類たちは特権階級に虐げられている」
わずかなざわめきがあがる。
「我々、ハイラントフリートが証明するように、魔女とはそれそのものが危険で、皆を脅かす存在ではない。一人ひとり、諸君らと同じように、人間なのだ。痛み、苦しみを感じる、人間なのだ。それを、この機会に説明しておきたい。少なくとも私は、魔女という資質によってではなく、私という本質によって、この国を愛し、守り、皆と共に歩みたい。そう考える」
彼女は、これまでで最も熱を込めてこの台詞を放った。
台本など一切ない。
ただ真っすぐ大衆を見つめて、はっきりと宣言した。
「魔女を、助けてはくれないか! 私たちの家族を、救ってはくれないか! 誰もが笑って手をつなぐことができる、本当の正義を! 平和を! 親愛なる国民の力を、貸してはくれないか!」
アリーは声を張り上げる。
それに呼応するように、あちらこちらから共鳴の叫びが上がる。
「その通りだーー!!」
まるでそれらを合図とするかのように、一斉に熱気は湧きかえした。
すべての人間が、それまでの喜びから、今度は熱い正義に遷る。
まるでスポーツの応援をするかのように、自らがチームに参加するかのように、怒声にも似た猛りの熱狂があらゆるものを支配した。
アリーはここぞとばかりに手のひらを掲げ、そして深く深く頭を下げた。
数分間もその姿勢を維持し、溢れんばかりの声援を十分に引きつけてから顔を上げ、髪を乱しながらこう叫ぶ。
「決起を!!!」
演説が終わったその日の夜。
大手の奴隷商のひとつであるゲルトブーフ奴隷商社が壊滅。
本社が謎の集団によって打ち壊しに遭い、百六十人近くの魔女が解放されるという大事件が起こった。
それらが何者であったのかは一切判明することが無かったが、いずれにしても事件は号令となり、市民を行動へと駆り立てた。
それを皮切りに、魔女解放をスローガンとした市民団体が声明を発表。半ばテロリズムのような形で奴隷商が襲われていき、最終的には奴隷業社連盟において全業務の停止、魔女の全面的解放が決定され、わずか二十日間で悪しき文化に終焉が訪れた。
魔女解放という、念願の正義が成し遂げられた瞬間だった。
すべてはアウレリアその人の計略通りだった。
あらゆる事が、まったく想定通りに運んでいる。
傭兵業や戦争での貢献で評価を向上させた。
それによって世論を自分たちに有利な方向へ誘導した。
たびたび行ってきた演説でも、サクラを使って場をコントロールしてきた。
そして、今回もだ。奴隷解放の先鋒となった討ち入り事件も、彼女がかつてエドガーに指示したもの。
徹頭徹尾、何もかもが彼女の手の上のことだった。
彼女は解放された魔女たちに、アーテム各地に設営されたハイラントフリートの拠点を、住まいとして与えた。これも、傭兵業で稼いでいた時期に用意しておいたもの。
この日、その一か所に彼女は立ち寄っていた。
五十人は居るであろう、ぎゅうぎゅう詰めの部屋。
伝達のために二か所の家から集めているとはいえ、その数は比較的広い空間を簡単に埋め尽くしてしまった。
アリーは机の上に立ち、見わたした。
「あれから十日。少しは生活に慣れたか? 家族よ」
全員が穏やかな顔をしている。
男女入り混じる年齢もまばらな若き魔女たちは、初めて得る、或いは久しぶりに感じる家族の温かさに感涙した。
そして、それを与えてくれたアリーに対する信仰心にも似た尊敬と忠誠が、今この場においても飛び交っている。
挨拶もそこそこに、彼女は部屋に向かって本題を話し始める。
誰もが食い入るように聞き、そして驚く。
驚がくする。
わずかに畏怖する。
そして、熱狂する。
言葉巧みに心の底を掘り返され、穢れた魔女たちは拍手と同調をもって彼女に応えた。
背後についていたカミラは、自分のぞっとした表情を変えられなかった。
四十八億バークは、だいたい十倍円です。
地図は、ちょっとわかりにくいかも知れませんが、赤で描いた県がベルネブットからバルトブルクへ割譲される地域です。地図自体に関しては、国ごとに色分けしてます。同色がその国の領土です。