第40話 勝利
魔法を使い続けるのは、十数キロもある重い物を、腕の水平を保ったまま持ち上げ続けるようなものだ。という体でご覧ください。
「頑張れエルザ! もう少しだ! もう少しで終わる!」
無線の向こうで叫んでいるのはドロノフだった。
通信兵がおっかなびっくり慌てて下がる。
エルザはその足を震わせながら、必死に腕を掲げ、血すら滴り落ちる苦痛の中奮闘している。
いつ終わるとも知れない魔法披露会に、彼女の身体は限界点を八度は突破していた。
ドロノフの隣で火炎を放ち続けるマーシャも、まだ完治していない怪我を悪化させている。
大男は自らの苦痛を差し置いて、時折膝をつく恋人を介抱した。
その美しくそびえ立つ氷山と、砲撃を受け止める石壁をつまみに、アリーはそのままの意味で高みの見物をしている。
「さあ来い……」
前日に続いて後ろにつくフーゴは、その様子を暗い表情で見ていた。
家族たちの疲労を無視するやり方に、快く賛成できる青年ではない。
しかし、ここでやめよと咎めたところで、他に名案があるわけでもない。
これでいいのだと、これが最善なのだと自分自身に言い聞かせ、彼は拳を握りしめて黙り抜いた。
四時間だ。
今日の戦闘が始まってから、四時間もの間、苦行は継続された。
「ご、ご報告です臨時司令! さきほど、魔女が! 魔女の集団が! タイナートに!」
時は来た。
目を見開き、わずかに八重歯を見せたアリーは慌てる無線兵に言いつける。
「呼吸を整え、一言一句正確に伝えよ」
戦場を見据えたままだ。
彼女は、突如強くなった風にその髪を躍らせた。
「は、はい……! さきほど、魔女と見られる武装グループが出現。四個師団を追い越し、要塞に攻撃。これを突破しました……! 数は凡そ一個小隊。場所は、西北西のタイナート要塞付近です!」
敗北のウェイセンフェルト、その隣のタイナート要塞に、魔女は現れた。兵は現在、我が軍による追撃が行われていると続ける。
とうとうやって来たタイミングに、アリーは大喜びするかと思われた。
少なくとも、背後の青年はそのように予想した。
しかし、彼女は逆に、鼻で浅くため息をついて見せる。
「了解した。オーレンドルフ攻勢軍、全有指揮権者に通達。現状、維持せよ」
フーゴは驚いた。
しかし、連絡の兵が下がるまではそれを堪え、ようやく口に出す。
空が、曇ってきた。
「なぜですか!? 今が攻撃のタイミングじゃ……」
その質疑は、全く見透かされていた。
「お前が敵であれば、現状をどう捉える。それが、全ての答えだ」
フーゴは具体的な回答をされていないのにも関わらず、なぜか言い負かされた気分になる。
またかと舌打ちをしそうになるのを押さえ、いら立ちで冷静でない中必死に思考した。
雨が、ぽつりと頬をうつ。
アリーは残酷なまでに落ち着いた様子を披露しながら、腕組みを解いた。
そして、舌遣いの良い発音をいっそうはっきりとさせながら、本を読み聞かせるかのように本意を話し始める。
「狙いは不意打ちだ。ここまで目立っておいて不意も無かろうと思うだろうが、私は、であるからこそだと回答する。敵は既に、要塞の一角を破られている。バルトブルク軍も続き、捨て置けばじきに防御網は瓦解する。防ぐためには、その傷口に戦力を投じ立て直しを図らねばならない。が、此処はどうする? 魔女がその存在を高らかに宣言していながら、背を向けられるか?」
アリーは、勝ちの目を前にしているとは思えないほどに普段通りの表情をしている。
わずかに寒気を感じながら、フーゴは食い入るように聴く。
「敵が完全に術中にあるということは、タイナートの迅速な突破で確定した。ヤツらは、思ったよりもこの場所に兵力を集めていたようだ。ガスも無く、また特別な被害も無い。報告に上がるのが見知らぬ魔女の戦果だけだということは、紛れも無くそれを説明する」
そして、アリーは今後の説明をする。
「ここまで来れば、お前に何を語っても結果は変わらない。敵の結末は二通り。ひとつは、このままオーレンドルフを捨てきれず、我が同志の突撃に敗北すること。もうひとつは、タイナート防衛のために戦力を半減させ、ここを我々に明け渡し敗北することだ。まあ、再び奇襲への疑心暗鬼に陥り、戦力をさらに各所に分配するというシナリオもあり得るが、後者と大差はないな。いずれにしても、ここからは場当たり的な対処しかできない。それを待ち、行動する」
フーゴはぎりぎり話についていく。
自分が情報漏えいの種になると考えられていた事、そのせいで今まで作戦を説明してもらえなかったことに傷付きつつも、彼は言葉を振り絞った。
「……なら、あとどれくらいこれを続けるんですか。どれだけエルザや、ドロノフを――」
彼は、思いのたけを控えめにぶつけようとしていた。
しかし、用意されたその台詞はかき消され、上書きされる。
「三時間だ。三時間待って降伏が発表されなければ、我々が突撃する」
フーゴは、その言葉を確認した。
我々が、突撃すると。アリーは確かにそう答えた。
彼は思い切って、アリーの視線を遮る位置に出る。
「お言葉ですが、賛成できません。たった今の時点でも、ほとんどの者がかなりの疲労状態にあります。僕やあなただけで出るのも、全員を戦わせるのも、危険すぎます。しかも、向こうで毒ガスが使われなかったってことは、それがここにあるってことなんじゃないですか? それを考えても、攻撃は無理です」
はっきりと言い切った。
自信なさげではこの羅刹を説得できないと、彼は腹に力を入れて進言した。
そして、少しずつ強まってくる小雨の中、更に続ける。
「それに、さっき仰った通りバウムヨハンが崩れたとするなら、もう僕らが動く必要はないでしょう?」
アリーは、眉をひそめた。
その発言にだけ、彼女は即答した。
「お前は忘れている。この戦争は、魔女によってもたらされる勝利のもとで終決しなければならない。魔女の攻撃によって敵は倒れ、魔女の火炎によってその旗は落ちなければならない」
「もう十分でしょう!! 僕らの、いや、あなたの評価は既に最高だ! 誰も文句なんて言いやしないし、魔女の働きが不十分だったなんて言うはずが――」
彼は自分の言葉が空を切っているのをひしひしと感じていた。
自分の嫌な予感が、雨に弾かれて地面に落ちていくのを感じていた。
主人は彼に頷かず、結局、時は過ぎた。
怒声が響き渡る。
勝利を目前とした兵士たちの血潮は、沸点を超えている。
けたたましく花火のように砲弾を撃ち上げながら、前進に前進を重ねる。
その迫力は、降り注ぐ火球、弾く雷鳴、落ちる大水に後押しされ、壕を乗り越えていった。
毒ガスをばら撒かんと飛び立った数機の戦闘機も、マルクの狙撃の前では鈍足極まりなく、全てが落ちる。
魔女の進撃は、ここまでの創意工夫も不必要であったと思わせるほどに強力だった。
一瞬たりとも立ち止まらない魔女たちの風は、あっという間に壁際まで吹き抜けた。
上方からの掃射を死に物狂いでかいくぐりながら、金を筆頭にした虹色は一斉に跳び上がり、砦に押し入る。
マーシャの振りまいた火炎が、要塞上を火の海にする。
それを皮切りに、慌てふためく兵士たちを薙ぎ払い、撃ち殺し、縊り倒す。
アリーの指示で近接戦闘中でも構わず味方の砲撃が行われ、要塞の淵は土埃と怒号の混乱する凄惨な状況となった。
疲れ、柱に身を隠すエルザ。
震える手で自分の肩に抱き着き、律して律して、銃を取り、まだこちらに気付かない敵を撃つ。
味方もろとも魔女を倒そうと、毒ガス弾らしきものが放たれるが、彼女がそれを瞬時に凍結させて防いだ。
足で床を抜き、ひっくり返して壁にするドロノフ。
隻腕となってしまい、更に疲労でガタつく安定しない照準のなか、辺りの敵をなんとか散らす。
水の槍を投げ飛ばし、壁の向こうに居る敵を貫き殺すカミラ。
後方への注意が散漫になったところを撃たれ、腕に被弾するもハイラントフリートの一人に庇われて、その死骸ごしに反撃。難を逃れた。
砲塔を斬り崩し破壊するフーゴ。
その三百六十度の暗い視界と素早さで、銃弾にかすりもしない。
高い位置に登り、車両などの大きな目標を稲妻で貫いていくマルク。
その真っ白な髪が目立ち狙われるが、彼女のマスケットは正確で速く、一手先に相手を仕留める。
「掃除はもういい!! 内地へ侵攻する!!」
黄金の虎がそう叫ぶ。
要塞上部の敵はほぼ駆逐され、城壁はズタボロ。
クリアと見た魔女たちは、下階の筆頭のもとへと集合しようとした。
その時、突然の轟音が周囲を踏み鳴らす。
ドン。一音だけが、鼓膜を打ち、揺るがす。
それは、アリーの目の前で起こった。
爆風に顔を覆った彼女が次に見たのは、立ちはだかる巨大な戦車だった。
こんな大型の物は見たことが無い、と壁を突き破ってきたそれに驚嘆する暇も無く。
瓦礫を乗り越えひと波打ったそれは、砲口を彼女の喉に差し向けた。
勝負あった。
アリーが次の瞬きをするまでの間に、彼女の上半身は吹き飛び、ばら撒かれる内臓と共に、その物語も粉砕して潰える。
全ての者が、凍り付いた。
大激音がこだまする。
肉の弾ける音が反響する。
鉄塊に貫かれた肢体は、散って飛んだ。
炎が舞い上がった。
火の粉が降った。
戦車の搭乗者たちは焼け出され、もがき息絶える。
一瞬だけ、最後の輝きを放ったその火炎は、巻き上がり消えた。
ドロノフが唸り声を轟かせた。
目にも止まらぬ速さで飛翔し、その死体に駆け寄った。
身体は、右半分が失せていた。
頭も無かった。
ただ、その腕に巻いてやった包帯が、彼が換えて、結んでやった包帯が、彼女が誰であったのかを証明した。
大男がその肉片を強く抱きしめると、どこかで銃声が響く。
戦場ながら静まり返ってしまったその場所に、フーゴの退避の号令が飛んだ。
腰を抜かしてしまったアリーを抱いて、ドロノフは周囲の魔女たちと遮蔽物の近くへ移動した。
城塞内側に控えていた機動防御隊を迎え撃たなければと体勢を立て直しているうちに、サイレンが鳴った。
その途端、ちらほらと姿を見せた敵兵は銃を捨て、両手を上げる。
白いハンカチやタオル、様々なものを使って、降伏の意志が示された。
戦争は、終わった。
※師団……だいたい一、二万人くらい
※小隊……三十人くらい(今回は四十人)
ここまで説明が無くてごめんなさい。軍隊を数えるための単位です。