第39話 無理強い
腕が痙攣する。
エルザ、ドロノフは特にそれが顕著で、軍医の治療を受けていた。
世界が長らく魔女から目をそらしてきたツケを払っているのは、彼らだった。
神経系にダメージを受けていることが分かるという以外には、医療は無力だ。
魔法の酷使による身体への影響をケアできる技術は、この時代に無い。
そして、彼らがここまで無理をしたのも初めてで、前例すらない。
できるだけ腕に力が入らないようにテーピングされたドロノフは、移動式の医療機関である野戦病院を去った。
エルザは特に頑張りすぎたらしく、スプーンも握れないほどに消耗しており経過観察中だ。
攻撃のメンバーにも、彼らより軽度であるとはいえ無視できない反動がある。
明日に総攻撃を行うのだとしたら、それはあまりにも無謀に思われた。
一人、丘陵から静まり返った前線を見わたすドロノフ。
彼は、その場に腰を下ろした。
影でも光る灰色の目は、夜の景色をより鮮明に捉える。
目が利くこの夜にこそ、あの敵陣を破り戦争にケリを付けに向かいたいと感じているのか。男は、鋭く強張った視線で城壁を衝く。
然も堂々とした、ライオンのような存在感がそこにある。
この男の何がそれを醸すのかは、一概には解けない。
その後ろ姿には、重いものを感じざるを得ない。
「明日かな。攻撃」
ドロノフは、隣で声がしたことに身を揺るがして驚いた。
それが恋人であることに気が付くと、小さく息を吐いて姿勢を戻す。
「なんだマーシャか……ああ。たぶん明日だ。明日、何かが起きる」
二人は寄り添い、まるであの戦闘機のような、あの時広場に突っ込んだパイロットのような、これから死にに向かう、そういった気配を漂わせていた。
少しの諦め、大きな不安、わずかな焦り。
そして、巨大な決意。
マーシャはドロノフの左手に触れた。
指を絡ませ、握った。
「お腹すいたね」
「後でスープ作ってやる」
「トマトのね」
「……なんとかしよう」
「ウソだよ。そんなん配給にない」
「柑橘類で代用できるかもしれねえ。林で探せばなんとかなる」
「あんたってホントにいっつも無責任だよね。言う事が」
「大胆で自信に満ち溢れてるって言え。最終的には必ず何とかするんだよ、俺はな」
「……あたしも、なんとかできるよね。最終的には」
「ああ。俺がそれに頷いた。これで間違いねえや」
「ホント、むっせきにんなヤツ」
二人は、常に前を見ていた。
前線のその先の、もっと向こうを。
そこを目指す固い決意が、彼らにスープを作る約束をさせた。
明日は、いよいよだ。
「エルザ、大丈夫?」
アリーの元から帰ってきたカミラが、野戦病院のベッドに横になるエルザをゆすった。
彼女は目の下にクマができており、また、大量に汗をかいていた。
あわててカミラが置いてあった水桶でタオルを濡らし、彼女の顔をふく。
そうとうな痛みに耐えているのが、嫌でも伝わってきた。
「痛みますか? どんなふうに?」
エルザは真面目な子だ。
寝たままでは話せないと、身体を起こそうとする。
カミラはそれをそっと慰めて、布団をかける。
「攣ってるみたいで……あとは、力が入らない、です――」
「魔法の使い過ぎなんて、今まで経験した事がないです。でも、どうしようもないわけではないと思います。大丈夫、なんとか緩和を――」
エルザは、あてを探しに離れようとする彼女の手を掴んだ。
力無い、震える手で。
カミラがはっと振り返ると、涙とも見間違うほどに汗をかいたエルザが必死に言う。
「平気です! 私は、大丈夫です……!」
その言葉の理由を、カミラは知っていた。
彼女が自分の容体を大げさに宣伝したくない理由を、姉代わりの少女はちゃんと覚っていた。
「――アリー様には伝えません。だから手当てをさせてください、エルザ」
しばらく震える鱗のような目を離さなかったエルザ。
ようやく、その手から最後の力が抜けた。
優しく頷くとカミラは、氷を探しに施設を回る。
その最中の彼女の表情は、硬くひそめられた眉が印象的な、カミラ・エルンストには似合わないものだった。
満月の夜風に、金色の髪はなびいていた。
その彼女は、たった一人ぼそぼそと何かを呟いているようだ。
遠くからでは、今一つ聞こえない。
少し近付くと、気密性のないその音声は耳に届く。
注意深く聞いておく必要のある、主の真意だ。
「第二段階……もうすぐ完遂だ。もうすぐ……もうすぐ……」
ぎりぎりの距離だからか、彼女には断片的にしか聞こえなかった。
だが、その声色がひどく攻撃的であることはわかったはずだ。
いつも家族が耳にしていた、あの包むような話し方ではない。
虎視眈々と林からシカを狙うかのような、牙の立った声だった。
子音の強い発音が、特にそれを際立たせていた。
そしてその様子に息をのんだ瞬間に、緑色の瞳は振り向いた。
「なんだ起きていたのか。マルクよ」
マルクは、ひどく驚いた。
髪で目元を隠して窺えないとはいえ、その無表情が崩されたのは確かだ。
彼女は、いたずらを発見された子供のように、恐る恐る木陰から姿を見せた。
「どうした、こんな夜更けに。私が恋しくなったかい?」
マルクはその言葉遣いに違和感を感じた。
とってつけたようなものだ。これまでと違って。
真っ白な髪で表情を隠し、自分を防御していてはじめて、彼女はぎりぎり主人の前に立っていられた。
もともと、面と向かうことが苦手な彼女を、今のアリーはさらに追い詰めていた。
「アリーは……」
口ごもる。
緊張か怯えか、彼女がびくびくしているのをアリーは見透かしている。
腰に手を当てて、じっくりと発言を待った。
「アリーは……知ってる?」
切り口が浅い言葉に、アリーはダンスをエスコートするかのように返す。
「何をだい?」
マルクは、また黙ってしまう。
ようやく次の一言を出した時には、月がやや傾いてしまっていた。
「勇者……エグモントの……話の続き」
勇者エグモントとは、史上の偉人をモデルにした童話である。
通常この話は、虐げられた人々を救うために立ち上がった英雄の豪傑譚として語られる。
だが、初版のバージョンのストーリーには、それ以降の話が書かれていたのだ。
「ふむ……知らないな。聞かせてくれるか?」
「――むかしむかし、エグモントという正義に満ちあふれた青年がいました。その国では、悪い王様が重い税金をかして人々を苦しめていました。エグモントはまずしい人たちをいじめる王様に抗議しました。けれど、それは無視され、税金はさらに重くなりました。指名手配までされたエグモントですが、諦めず、人々に呼びかけて立ち上がり、王様の軍隊とたたかいました。勝利したエグモントは、人々から英雄と呼ばれ、王国の皆にしたわれる本物の王様になりました」
マルクは、いつになく多く喋った。
物語をつっかえることなく読み、本も無いのに全てを口に出した。
そしていったん口は止まる。
「アリー。続きはここから」
主人は、もう先ほどのようにニヤニヤとはしていない。
マルクは、思い切って話し始めた。
「……エグモントは、死にました」
アリーの表情がぴくと動く。
彼女が何を伝えたかったのかをその時点で理解したのか、アリーの視線は尖った。
「悪い王様を倒した彼は、その正義の心を暴走させていたのです。自分が悪いと思うものをかたっぱしから殺していき、彼はたくさんの恨みをかっていました。エグモントに従うものは誰も居なくなり、さいごには、彼はたいせつな友人だった青年に殺されました――」
アリーは最後まで聞き終えると、拍手を送り再びニヤついた。
「結構結構。口下手なお前にしては、なかなかいいアイデアだった。言いたいことはわかったよ。もう下がっていい」
マルクはそのようにいなされてしまい、どうしていいか分からず結局彼女に背を向けた。
玉砕し、大人しくキャンプに戻るために、一歩踏み出した。
だが、彼女にも意地というものはある。
どうしても、振り向くことをやめられなかった。
「アリー、お願い――」
だが、主人の顔は変わらない。
彼女の言葉は、届かない。
白髪の間から、マルクは悲しそうに彼女を見つめた。
自らが去った後に、アリーが心を取り戻してくれることを願いながら。
「第11話」と「メドゥーサ」の間に傭兵活動編を1話はさみたいと思ってます('◇')ゞ
明日更新する予定なので、申し訳ないんですけども、ぜひお読みなおし下さい!
と、いうことなので話数がまた一話ずれます笑 ごかんべんを~