第38話 奇襲的防勢
アリーの朝は早かった。
午前二時、生き残ったハイラントフリートと六個の砲兵師団を率いて、彼女はコンツェルトを出発した。
輸送車両に揺られる四時間程度の道程で、少女たちは兵士に混じって心地の悪い夢を見る。
アリーは後方に厳重に隠された主要車の中で、腕を組んでじっとその時を待っていた。
夜が明ける頃、部隊は戦場一歩手前の小村に到着。
そこで準備を整え、にらみ合いの続いている防御線に加わる。
けん引式の砲を大量にしつらえ、一帯に物々しい緊張感ばかりが増す。
アリーはその大勢の代表数名に対して、改めて指示を確認した。
「二十キロ程度に渡って広く展開だ。配置は各々に任せる。微調整は軍団長が行う。戦術につけては、私からのゴーのみに従え。その時は、配備したマスクの装備を徹底するように」
連隊長たちは散っていく。
輸送車の再び走り出す音が聞こえ始め、そろそろ出るかとアリーも広場を離れようとした。
その時、そこにコソコソとした来客があった。
彼はアリーがウルでも会った事がある口伝の兵で、無線には流せないような情報をやり取りする係だ。
その彼が、前回地雷の正確な位置を知らせに来たときとは比べ物にならないほどの焦り様で耳打ちする。
アリーの眉間に力が入り、少し遅れて引き裂くような笑みが来る。
その様子を奇妙に思いつつも、彼は返しの文言を受け付けた。
「どうせすぐに戻ってくるさ。少将には案ずるなと伝えておけ。それと、第十九混成軍は相応しい代理指揮が就くまで加わらなくて良いと」
承知した兵は下がる。
アリーは今にも吹きだしそうな、痛快な笑顔であらためて輸送車に向かう。
その足取りはやけに軽かった。
「マヌケめ。油断を衝かれたな?」
その独り言は、何人かに聞かれたかもしれない程度のボリュームだった。
相当に気分が乗ってきた様子の主人に、バディのカミラは視線を向ける。
師団は、列を組んで再出発した。
アリーが今回初めて訪れたその場所は、まさしく泥沼の攻防が続いた事実を一望できる、その状態だった。
オーレンドルフ要塞。南端の最前線。
土地の原型は無く、遠くに見える城壁も一部が瓦解しかけている。
壁が撃たれていることから、一時は前進がかなったのだろう。
だが、現在両軍は砲の射程圏争いに徹しており、突破のとの字も見当たらない。
塹壕も静まり返り、魔女たちにとってはあの中がいか様な地獄かすぐに想像できた。
「楽しみだよ、エドガー」
アリーは魔女のみを近くに寄せ、小さな声で話した。
その中には、病み上がりでまだ腕に包帯をしたマーシャもいる。
彼女を連れて行くことへの反発もあっただろう。そういう雰囲気が漂っている。
「いいか? 私の指示通りの動きをしろ。それぞれに通信兵を付けさせる。作戦は二段階にわけてあるが、重要なのは初動だ。一切のためらい、戸惑い、疑問、反抗は許さない。一瞬たりとも遅れずに、私に追従しろ」
家族は、息をのんでそれを聞いた。
誰もが、どことない不安感を覚えたはずだ。
「分かり切っていることとは思うが、戦場では我々は家族ではない。友人ではない。指揮官と、兵卒だ。一律、各個指示を全うするように」
これからの作戦が、家族の意に沿わないことを前提としたような、改まった物言い。
誰もが重い心持で配置についていった。
「フーゴ、お前は私のそばに付け。近接特化のお前には、しばらく仕事は無い」
呼び止められたフーゴは数秒遅れて返事をし、銃を取る。
決定的な打撃を与えるには射程外と言っていいこの位置で、引きつれた砲兵と何をしようというのか、やはり不安をぬぐえない様子だ。
時の流れは一瞬で、すべてが一様に準備を整えた。
アリーはめいっぱい引っ張って、無線の兵士に告げた。
「撃ての後、各個全力を以て攻撃せよ」
戦場にクエスチョンマークが浮かぶのが見えるようだった。
再三確認するが、この距離ではせいぜい前衛の小砲を威嚇することくらいしかできない。
バルトブルクの技術力でも、砲の射程にはそれほど差はないはずだ。
アリーは魔女に対する指示を続ける。
「エルスベト、ドロノフはできる限りの規模の壁を作り、維持せよ。それ以外の者は攻撃。止めの合図は無い。中らずとも撃ち続けろ。休み休みでいい。とにかく攻勢を維持する事だ」
しばらくの間、アリー自身には届かない疑問の声が上がる。
フーゴは案の定、彼女に意見した。
そのために彼はここに居させられたといっても過言ではない。
アリーは、見届け人を用意したかったのだろう。
「アリー様、魔女は魔法を使えば身体に負担がかかる。大規模な術を続ければ、それこそ壁を作り続けるなんてしたら――」
アリーは、彼が言葉の続きを持っていることを見抜いている。
それを口にするのを、じっくりと待っているようだった。
フーゴ自身も、その目が見えない代わりに研ぎ澄まされた感性をもって、それを覚っていた。
「撃て」
容赦ない命令が飛び、あちこちから轟音が聞こえ始める。
朝早い先制攻撃に、敵側もさぞ驚いていることだろう。
そこに、氷の巨大な山と隆起した土の壁が現れる。
火が飛び、水が舞い、雷が閃く。
一目にして魔女の襲来が理解できる、そんな絶景だった。
小高い丘からその朝焼けを一望するアリーに、フーゴは疑問を呈する。
「打開策はなんですか。このままじゃ、魔女の有利が失われる一方だ」
彼の言う事は正しかった。
魔女が戦場において無敵であり続けたのは、その速さのおかげだった。
戦闘機や戦車、ほかのあらゆる破壊兵器とは違い、人と同じ見た目をしている。
戦略的な先読み以外では何処に現れるのか予測もできず、どのような探知方法によってもその存在を明らかにすることはできない。
電撃的な攻撃を受け、そして被害が伝えられてはじめて、そこに魔女が現れたと認識できるのだ。
つまるところ、魔女の攻撃力が最大限に活かされるのは奇襲だということ。
アリーの作戦は、わざわざ魔女の出現を可視化して、敵を呼び集めるようなもの。
このままでは、ガス兵器など厄介なものが集合する時間を与えてしまうだけだ。
アリーは、ヒントを出した。
断片的で、意地の悪いクイズだ。
彼女はそういう話し方を好む。
「敵は我々の少人数を把握している。それは、コンツェルトを落とした時に判明した。分散せず、固まって突破行動に入った我々を、敵は全力で迎え撃ってきた。都市防御の全勢力を注ぐ勢いでな」
フーゴは注意深く言葉を捕らえる。
真っ暗な視界において、さぞ忙しく分析が行われていることだろう。
「単に、倒れるなら目の前のこいつらだけでもと。そのような作戦方針だったとも考えられる。が、あそこは首都攻撃において重要な拠点となる。そう簡単に捨て身になるだろうか? あの時の私の隊が魔女の総力でなかったとしたら、挟撃の可能性があると、そのように考慮していたとしたら。あの戦術はあまりにも軽率だ」
アリーはコンツェルトでハイラントフリートが集中攻撃された点について挙げ、敵の腹を暴く。
「こちらもいい加減、手の内を披露しすぎた。我らは複数の戦場に同時に出現する事は無い。また、数は知れていなくとも、これだけご覧に入れれば魔法の種類から総員が揃うことを理解できるだろう」
フーゴは、突出はしていなくとも間違いなく頭が切れる方だ。
その出自に由来する優秀さは、彼女の意図をある程度理解した。
「つまりあえて見せつけたうえで、これまでとは手を変えるってことですか? こっちの小人数を利用した、となると――そうか!」
アリーは背中で回答を聞いている。
「主戦力は別の戦場に送っているんですね。だからここには大部隊を連れてこなかった。囮ってわけだ、俺たちは」
そこで、これまでせいぜい喋れと言わんばかりの態度だった彼女が、初めて振り返る。
明察だ、と人差し指を振った。
「流石だね。与えた情報の中では正解だ。だが、最重要なのは魔女が全員ここに居るのだということ」
「他にもいるってわけですか。魔女が」
フーゴは解を言い当てた。
アリーはそれ以上は言わず、来るべき時を待つ姿勢に入る。
「――なんて人だよ。だからあんな、敵を挑発するような演説を」
それも正答だ。
彼女のシナリオにおいて意味を成さない行動は一つとしてなかった。
傍受を前提とするため、あえて全国放送に。
そこで敵にわざわざ改まった宣戦布告をすることで、こちらが存在をアピールした時、それは正面からの勝負を意味するものだと誤認させる効果が期待できる。
そうでなくとも、優勢への反抗心、攻撃心を煽り、より魔女の囮としての役割を確実にするというわけだ。
あまりにも準備が良すぎる、そして、相談ひとつ無しにチェスに勝っていく主人に、彼はその複雑な感情を吐露せざるを得なかった。
砲撃、魔法の行使は、その後十二時間近く続けられた。
陽が落ち始める頃になってようやく魔女たちには休息が与えられ、明日に備えるための撤収が許された。
作戦の二段階目とやらは未だ決行されず、勝負は明日に持ち越しとなる。