第3話 同じ苦しみを知る者
エルザはこの日、訓練を一日休んである用事に向かっていた。
木こりの仕事、つまりドロノフの手伝いだ。
加盟から一週間が過ぎようというところだったが、未だに数回しか顔を合わせていないドロノフの元へ彼女を送り込んだのは、他ならぬアリーだった。
早めに家族と馴染ませたほうがいいとの計らいは、当のエルザにとっては少々ありがた迷惑。
なにしろ、つい先日までのトラウマが付きまとう。
「あの――」
エルザは、山積みの丸太の前で腕組みをする大男に恐る恐る話しかけた。
低い声で返事をしたドロノフは、その高い視線から彼女を見下ろす。
勘のいい男はすぐに目の前の小動物が震えているのを察し、背を向けて離れた。
「そう怖がりなさんな、お嬢さんよ」
腰を下ろして、斧の束を縛る縄をとく。
ほれ、とぶっきらぼうに一つを手渡した彼は、目的地に向かって深い雪の中を歩き始めた。
道中、会話はなかった。
やはりといったところではあるが、それでも無音の旅ほど疲れるものはない。
どうにかして話題をひねり出したであろうドロノフが、まず口を開く。
「お前、出はどこなんだ? どのくらい奴隷だった。まあこんなこと聞くのもなんだが、場合によっちゃ言葉から教えないといけねえからな」
確かに、アリーの性格からしても、この組織は歓迎パーティを開いて自己紹介をさせる雰囲気ではない。
ドロノフはエルザの事をほとんど知らなかった。
おっかなびっくりで質問に答えるエルザに、彼はやれやれといった様子で頭をかく。
どうすれば打ち解けられるのか、厳つい男は自分なりに色々と思案した。
そして、それなりに賢いやり方を思いつく。
「――俺はよ、こう見えても一番最低の奴隷だった」
エルザはだいぶ距離をあけて後についていたが、そのうつむきがちな顔を上げた。
久しぶりにしっかりとその目に映った大男の背中は、独特の影を雪に落とす。
「価値無し。若くもなけりゃ女でもない。嗜好品として売るに値しないってわけだ。そういう奴隷がどうなるか――そりゃあ、死だ」
彼の口調は強まった。
「働きに出されて、死ぬまでこき使われる。重工業とかなんとか、そういういけすかねえもんが発展してきた世の中だ。工場で毒塗れになって死んだ奴も何人もいた。俺達は人間じゃねえ。ただの労働力だったってわけだ」
つい、熱がはいってしまう。
これでは本末転倒だと思いなおし、声色を元に戻すドロノフ。
エルザは、黙って話を聞いていた。
「――まあ、なんだ……お前と不幸比べしようってわけじゃねえ。俺が言いてえのはだな……」
言葉が上手くまとまらなくなってしまった彼は、雪につまづいたりして慌てふためいている。
そんな不器用な優しさを汲み取った少女は、男に恐る恐る声をかけた。
「同じ苦しみを知る……です、よね?」
どもり気味だったが、その言葉は確かに届いた。
ドロノフは思わず彼女の方を振り返り、意外そうな顔をする。
そして、その口角を上げる事で心の内を表現した。
「……ああ。俺たちは同じだ」
エルザもその笑みに釣られて、表情が緩んだ。
それらは、ようやく始まった雪解けの合図だった。
「よし! そんじゃ同じ苦しみのついでに、同じ働きの苦しみも知ってもらおうじゃねえか! 行くぞ!」
気分が晴れたのか、ドロノフは子供のように走り出す。
膝まで積もる雪の中を、二人はきゃーきゃー騒ぎながら駆け抜けた。
その光景を木の枝に乗っかって見ていた者も、満足そうに笑みをこぼす。
「なんだ、意外に早かったねぇドロノフ。心配した甲斐はなかったか」
独り言を漏らすと、金色の風は走り去った。
木々の合間を跳ね行き、やがてその姿は見えなくなる。
楽し気な二人は、保護者の存在には最後まで気付かなかった。