第33話 魔女は勝利する
アリーは、演説台に立っていた。
凱旋、その翌日のことだ。
急きょ用意させたわりに作りは立派で、その音声はラジオを通じてバルトブルク全国に放送される。
無罪の報告と共に帰還した彼女の第一の晴れ舞台に相応しい、大規模な催しだ。
アリーが見下ろす足元には大勢の兵士。
マイクの向こう側には、全ての国民が待機している。
満を持して、アリーは第一声を放った。
「魔女は勝利する」
挨拶もすっとばして行われた宣言は、これまでの彼女の活躍によって強い説得力を帯びていた。
アリーには目の前の群衆の他に、遠い地であがる歓声が聞こえてくるようだった。
兵士たちはすぐに喝采を送り、アリーはこれ見よがしに勇ましく台に手を突く。
「私が不在の間、長らく戦局はこう着したようだ。だが、此処にアウレリアは戻った。即ちそれは、明日にでもあげられる宴の用意をせよということだ」
声が鳴りやまない。
既に彼女は魔女ではなく、この国をあっさりと勝利に導いた超常的な英雄だった。
戦場に立ったのは弱冠十四歳の美女。更にはそれは下層の魔女。
にもかかわらず、国の未来を瞬く間に切り開いて、見せつけられたのだ。大衆がたぎり狂うのも道理というもの。
あまりにも声援が止まない。
アリーは次の言葉を放つため、いったん静まるようジェスチャーする。
静寂は沸騰した物の周りにはなかなか訪れないもの。時間はしばらくかかった。
「さて。いつになったら別荘を建ててよいものかと、待ちくたびれていることと思う。安心するがいい、すぐに新天地は手に入る。我々は幾日か準備した後、バウムヨハンの突貫へと向かう。これまでとおなじように、魔女の力によってこの道は開かれるだろう」
少しだけ会場がざわついた。
そのはずだ。この中にスパイが居れば、もしくはラジオの向こうで聞いている敵が居れば、いま彼女はそれらに向けて作戦の方向性を暴露したことになる。
いいのか、大丈夫かとまばらに聞こえてくる不安の声。
だがそれもパフォーマンスの一部だと、すぐにアリーは証明する。
「まあ騒めくな同志よ。慌てる必要などどこにあろうか。魔女は戻り、更には特別な手立てすら携えて来た。作戦の枠を言い零したところで、もはや何の問題も無い。無警戒な全国への放送が、その確信の証明だとも。傍受するならすればよい、力無きベルネブットよ。我らは堂々歩いて臨み、そして貴国の王冠を頂戴しにあがろう。たった一日とかからずにな。そうだろう兵よ!」
アリーは挑戦的な通告の後に、場の者達に声を挙げる機会をくれてやった。
その調子にすっかり乗せられて、沸騰した号を鳴り響かせる兵士たち。
「非道な兵器を使ってこい虫けらども! 何をもってしても、我らの勝利は揺るがない!」
言うだけ言って士気を爆発的に高めると、アリーは壇上を去った。
全国のラジオ放送を伴った規模であるにも関わらず、その演説時間はわずか二分。
その半分が、拍手喝さいによって占められていた。
アリーは、自室に戻った。
椅子に腰かけ、机の正面にある窓の外を見つめる。
目の前に資料がばら撒かれているが、そのいずれにも手を付けない。
ただ、じっと、背もたれに掛かっている。
真昼に昼食も取らず何もしないで座っている姿は、まるで老後の時間を持て余す老人。
一時間も、二時間も。日の向きの観察でもしているかのよう。
だが、それにも目的はあったらしい。
次の出来事が証明した。
「見事な演説だったな。お前らしい」
ずっと無音だった部屋に、男性の声が響き渡った。
ドアは開いていない。
窓も閉まっている。
通気口からも誰も覗いてはいない。
アリーに変声の技があるわけでもなければ、実は男性だったということでもない。
答えは、イスの影にあった。
イスに座るアリーの姿を映す影の中から、真黒な何かが立ちのぼる。
人の形に変形し、立体的に立ったその影は、再びアリーに声をかけた。
「どうやって俺に伝えるのかと思えば、なるほど。お前は賢いよ」
影はその姿を現実離れしたものから徐々に変化させた。
最終的に、それは一人の男性の姿となる。
アリーの傭兵業が軌道に乗り始めたあの時、アリーが行動の準備を始めたあの時、奴隷州の路地で密会した黒髪の男だ。
「早かったなエドガー。確か、車両より少し速い程度だったか。時間からして、この辺りに待機していたようだな。流石は我が意志を知る者。聡いことだ」
背を向けたままのアリーを見下ろし、長身の痩せた男は返事をした。
「……お前のその偉そうな口調には慣れないよ。エド、エドって、もっと可愛かったよ。あの頃は」
昔からの関係をにおわせるエドガー。
邪魔者もなく、会話は続く。
「何年前の話をしている。私から愛らしさを奪ったとすれば、それは奴らだ。奴らさえ滅ぼせば、私がお前に甘え、庭を駆け、少女らしく振る舞う日も来よう」
子音の強い発音をするアリーが、いつにも増してその舌を尖らせている。
顔は、エドガーからは窺えない。
しばらくの静寂が流れた。
そして、アリーから本題を切り出す。
「確か、腕の見せ所とだけ説明したな。魅せ方を教えてくれる」
そう前置きをすると、アリーは今後の動きに関する指示を淡々と述べた。
エドガーの方を一切振り返ることなく、順を追って、資料を音読するように話した。
彼はそれを、少し悲しそうな眼差しで聞いた。
指示が終わると、もう用は済んだと部下を下がらせるような口を利き、彼を追い払う。
それに対して一言だけ残し、エドガーは再び影の中に消えていった。
「もう余地はない、か」
それは、アリーを深く理解しているらしい男ならではの感想だった。
人が消え、再び静寂につつまれた個室の中で、残った少女はぽつりとつぶやく。
一言二言、空に向かって風船のように言葉を浮かべる。
それは重厚感を帯びた、かつ、深く暗いものの吐露。
この世のありとあらゆる魔物に憑かれたかのようであり、まさに浮世離れした様だった。
「ああ麗しい――屍満ちたる絶景かな……絶景かな」
その顔は、大きく笑っていた。