第31話 拷問
大きなターニングポイントのひとつです。ご注目!
ウェイセンフェルトの大敗には、司令部も顔をしかめた。
突撃に全てをかけた作戦だったとはいえ、首脳にとっては罠が敷かれていることに気付かず多勢の犠牲を出したことは見過ごせなかったようだ。
そして、ある疑惑が浮上したことも、アリーの元へ兵を差し向ける理由となった。
「アウレリア・カーティス・ベヒトルスハイム。議会よりの召喚命令だ。同行せよ」
それは、突然テントにやって来たものものしい憲兵隊の軍団によってアリーに告げられた。
本当に、全く予告の無い唐突な出来事だった。
意味を理解できなかったアリーは、顔をしかめて疑問を呈する。
「……シャッツカマーまで戻れということか? わけがわからない。今私が前線を離れればどうなるか――」
「証言は議会の場でのみ受け付ける。一時間後までに用意を整え、出立に同行するように。以上だ」
それだけ言い捨て、憲兵は一時的にその場を去った。
意図の知れないこの状況に、アリーは舌打ちをする。
証言、そして強制召喚ということは、アリー自身に何らかの疑いがかけられているということだろう。
誰が、何をもって、どう自分を疑おうと言うのか、アリーにはまるで見当が付かなかった。
しかし、どんな不都合もその舌で覆してきた彼女。
臨むところだと、指示に従い彼の地に赴くことに決めた。
一時間後、アリーは手錠をされ、まるで犯罪者であるかのように扱われながら輸送車に乗せられた。
話を聞きつけたカミラとエルザが、その場面に駆けつける。
アリーを呼ぶ声もむなしく、兵員輸送車はきっちり護衛付きでバルトブルクへと走り去っていった。
「どうしたんですか!? なんでアリー様が!」
動揺するエルザをなだめ、カミラは説明の無い不安を噛みしめた。
戦場の救いの神が連行される様子を、その場の兵士たちも怪訝そうに見送り、そして疑問をかわし合っている。
空は、今にも降り出しそうな曇天だった。
三日後、けがの治療もそこそこに、議会はアリーを強制召喚し、大動員の議事堂で問責を行った。
はじめの内容は、前戦闘での失態について。
あらかじめ探知を行わなかったこと、奥の手の可能性に気付かなかったこと。その他理不尽な、かつ一理ある非難が三時間に渡って続けられる。
歯を食いしばって謝罪をするアリーを他所に、軍責任者、そして大臣たちは、更に踏み込んだ尋問を開始した。
それは、反逆行為に関するものだった。
内容は、アリーが敵側と結託し、あえて大量のバルトブルク軍を引きつけた状態を演出。そして地雷を設置し、更に新兵器で一網打尽にするのを手引きしたのではないかというもの。
議会は、魔女の奇襲に伴う一斉攻撃をあらかじめ予期していたかのようなウェイセンフェルトの防御態勢を根拠に挙げた。
司令部の間では既に、エッフェンベルクによって広められたアリーの過去についての推測が周知されており、この疑いはそれ元にしたものだった。
事実無根だと激怒するアリーの訴えを、水掛け論でらちが明かないとみなした議会は棄却。
長期の尋問に伴う彼女の抑留を決定した。
この会議には、指揮任務のため統治大臣が不在であった。
銀の手錠に自由を奪われ、アリーは刑務所として使われている施設に運ばれた。
王城に次ぐ堅牢さを大げさに見せびらかすその施設は、中に入るだけでも息苦しく不快だった。
乱雑に個室へ投げ飛ばされたアリーは、椅子に座らせられ足を縛りつけられる。
そんな状態で、担当査問官の入室を待つように言いつけられて置き去りにされる。
少女は、十分に静寂を引きつけてから怒鳴った。
手を後ろに組まされ、椅子に腕と脚を縛られ、彼女は物に当たることもできなかった。
彼女は今、全権限を仮解除されたただの少女に過ぎない。
疑心暗鬼からあらぬ疑いをかけ、自分を不当に扱った上の態度が思い出され、少女は苛立つ。
五時間近くも放置され、ようやく鉄のドアをノックする音が聞こえた。
「久しいな。ベヒトルスハイム」
目を見開いたアリーが睨み付けた先に現れたのは、エッフェンベルクだった。
彼はその目的を遂行するため、尋問の担当を買って出ていた。
妙にニヤついて、それでいてクールな態度の彼は、ゆっくりと椅子に腰かけ対面する。
「まずはその目覚ましい戦果に、ねぎらいの言葉を」
「黙れ。内容だけを言うがいい」
立場を逆転させたような口調で敵意を露わにする。
それを受けても、エッフェンベルクは実に冷静な態度だった。
それだけならまだしも、むしろ嘲笑の笑みを強めて舐めるように語りかけてくる。
「よかろう、では問う。貴女が地雷の有無を確かめなかったのは、単なるミスか? 追い込まれた敵が切り札を切ってくる可能性を見落としたのは、単なる不注意か」
含みのある言い方だった。
それはアリーの癇に障り、激しく言い返させる。
「私が意図的に自軍を滅ぼしたと言うつもりか? そんな事実はない。議会と言い……その使えない頭蓋を縊り取られたくなければ、すぐに私を解放する事だな」
挑戦的な物言いを聞き届ける前に、エッフェンベルクはふらりと立ち上がる。
何事かとアリーが疑問を持つよりも早く、彼は机をばげしく前へ蹴り飛ばした。
それを胸に受けたアリーは、椅子ごと後ろへひっくりかえってしまった。
悶える彼女に近付き、その胸倉をつかんで引き起こし、今度は壁へ叩きつける。
椅子に固定されて動けず、アリーはされるがままだ。
無言の暴力が続く。
彼女が言葉で反論するいとまもなく、エッフェンベルクはただ無心に考え得る全ての虐待を行った。
傷口が悪化し、血まみれで転がったアリーは、ようやく彼の次の言葉を聞いた。
「問う。貴女は国家に仇成す隙を狙っているのではないか? 敵に勝利する目前で壊滅を狙い、戦力を失った両国を手に入れるか、或いは単なる虐殺が目的か。王家への復讐とやらに我が国の者を巻き込もうとは、度し難いことだな」
アリーは、ちぎれそうな声でうなった。
「何故――王家が出る――」
その瞬間、男は彼女の腹を強く蹴った。
再びアリーは壁へぶつかる。
そして、エッフェンベルクは全ての核心に触れる内容を口にした。
それは、消し去られた歴史の一端に触れるもの。
アリーのすべての意義の、その片鱗に届くものだった。
「貴女はバルトブルク成立時に現王家と座を争った分家の者ではないのか? 魔女の国を滅ぼし、そしてようやく手に入りそうだった王座を兄妹か親類と争い、破れ追放された。その末裔であるということは調べで分かっている。その髪と目、顔立ちを見てもわかる通り、貴女は王の血縁者だ。歴史から消えた分家が今になって台頭するという事は――つまりはそういうことだ」
アリーはそれを聞き、一時唖然とした。
しかしすぐにその表情は、笑みへと変わる。
微かに鼻で笑い、息も絶え絶えに彼を見上げた。
「貴様は詰めが甘い」
それは王と似たような態度だった。
もちろん、エッフェンベルクはそれを不愉快に感じたことだろう。
すぐに行動となって、彼のいら立ちは現れた。
「国家に仇成す……! 邪悪が……!」
蹴りに蹴り、打ちに打つ。
その所業はもはや、正気を疑うほどだった。
アリーを逆賊と断じ、盲目的な忠誠心に従うエッフェンベルクは、彼女を頷かせるためにひたすらに手を上げ続けた。
二時間に渡る拷問、いや、こんなものは既に拷問ではなく、ただの暴虐だ。
その凄惨な虐待は続き、エッフェンベルクは死にかけのアリーを今日の所は見逃した。
彼が欲しがっていた回答は得られず、アリーはその傷を負ったまま幽閉を継続されることになった。
翌日も、その翌日も、国家への歪んだ忠義と正義を暴力に変えてアリーにぶつける。
そんなエッフェンベルクを睨む彼女の目もまた、日に日にいびつなものへと変わっていった。
彼はその中で、アリーに焦りを与えるため様々で、かつ断片的な情報を与えた。
ウェイセンフェルトへの第二次攻勢が始まった事。魔女は引き続き戦闘に借り出されていること。犠牲者の名前。難航している作戦状況。
もちろん、嘘も多分に含まれている。
実際には魔女は動員されておらず、第二次攻勢も小規模なものでしかない。
それを彼は、誇張してアリーに伝えた。
アリーは仲間に関わることには特に噛みついた。
自分を指揮に戻さなければ敗北すると何度も訴えた。
しかし、聞き届けられるはずもない。
当然のことだが、心は日に日に消耗していった。
三週間が過ぎ、バルトブルクは未だにバウムヨハン線を乗り越えられず、第二都攻勢も滞っていた。
アリーが反逆の腹だとしても戦闘を指揮させるべきだとの意見まで出始める、そんな戦況が鎮座する。
温存されている魔女たちはもちろん帰らぬ主を心配し、傷もあいまって疲弊している。
エッフェンベルクも流石に良心を痛めはじめ、その任を他の者と交替に行うようになっていた。
アリーは企みがあると認めれば死罪、そんなものはないと言い張れば虐待を受け続ける、のっぴきならない状況に置かれ続けている。
どんな策を練っても、どのような受け答えを考えても解決しようがない。
殴る蹴るといった暴力は減りつつあるが、爪をはがされたり、苦痛を与えられたりすることに関してはむしろ増えている。
不衛生な状態が続いた傷口の痛みも伴い、彼女は徐々に壊れ始めていた。
「おはようございます……」
浮かない顔で査問官がやってきた。
彼は昨日、彼女を初めて尋問した男性で、暴力にためらいがあった。
しかし命令とあらばどこまでも残虐になれるのが人間であり、彼も例にもれず相当ひどく彼女を痛めつけた。
その事を気に病んでいた男は、この日、浮かない顔でやってきたのだ。
「それでは――あなたは何らかの反逆に関与していますか? はいかいいえで答えてください」
いつも通りの質問。
アリーは首を垂れたまま答えない。
仕方なく男は、指を強く挟むための器具を取り出し、彼女の背後に回った。
青あざだらけ、腫れだらけの端整な顔を痛ましく眺めながら。
「ごめんなさい――!」
小さな呟きと共に、彼女の背後で思い切り器具を握りしめる。
手錠に縛られた手が激しく動き、苦痛に歪む叫び声があげられる。
男は思ったよりも長く彼女を苦しめた。
「さあ、答えてください……あなたは何らかの反逆に関与していますか」
黙りっぱなしに焦った男は、前傾でうつむく彼女のぼさぼさの髪を掻いてその顔を窺った。
安否を確認するためだった。
だが、すぐに後悔した。
彼はわずかな悲鳴と共に後ずさる。
彼女の目は、いまにも眼球が落ちてしまいそうなほど大きく見開かれていたのだ。
それは、とても人間の表情とは思えなかった。
その場に男はへたり込み、心で神に懺悔した。
涙を流し、この少女を救うよう希った。
その様子を受けてか、それとも悪魔にでも言われてか、アリーは久しぶりに言葉を口にする。
「悔いる事は無い――私は元々こういう人間だ――」
男は更に愕然とした。
自分に向けられた、僅かに覗く片目だけの笑顔に恐怖した。
その目同様に裂いて開かれた口が演じる獣のような笑みは、伸びた髪に覆い隠されていた。
少女はうつむいたまま、視線を正面に戻した。
男はただ、泣いて詫び続ける。
今日の尋問は、そんな調子を貫き終わろうとしていた。
「何をしているボルツ」
尋常でない様子の代理査問官を介抱したのは、エッフェンベルクだった。
冷静ではない彼を下がらせると、うつむいたままのアリーの正面に腰かける。
そして、ため息をつきながら恐ろしく頑ななアリーを眺めた。
「貴様という者は――つくづく……つくづくな女だな」
もちろん、アリーは何も言わない。
もはや尋問など不可能な状態といえるだろう。
敏いエッフェンベルクは、そこでひとつ打開策を練る。
しかし、これが大きな間違いだった。
それは目前の結果の変化には現れない、先の未来の瓦解を以て知ることのできる選択ミス。
致命的な、失敗だ。
「……貴様が頷き、素直に死ねば。仲間は死なずに済むだろう」
一言目は、安い挑発だ。
「脅しだと思うか? いいや、私にはできる。考えてもみるがいい。これまで幾度、貴様が死に直面したか」
がくん、とアリーの肩が震えた。
ゆっくりと、実にゆっくりと、彼女の顔が上がる。
そしてようやく髪から垣間見えた彼女の顔は、怨嗟に堕ちた亡霊がごとき悲惨なものだった。
息が震えている。
切れた唇が震えている。
彼女は、エッフェンベルクが何をしたのか悟った。
―――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!!!
その男も思わず身を揺るがすほどの、激烈な振動が響き渡った。
恐らく施設中の者を飛びあがらせるほどに強力だったその音は、アリーの叫び声だった。
冷静でかっこうのついたものではない。
裏返り、喉を裂いて飛び出してきた金切り声だ。
腕をちぎってでも噛みつこうと、アリーは苛烈に唸り、暴れる。
流石に危険を感じたエッフェンベルクは、捨て台詞を残して檻の外へ出る。
「これでは取りあえんか……また明日だ」
仇敵去りしあとも、アリーは床に椅子ごと倒れ込んだまま叫びながら暴れていた。
声が枯れ、喉から出血しても構わずに、エッフェンベルクが三日も尋問を見送るほど暴れ続けた。
彼女は力尽きた後、ようやく食事を与えられた。