第28話 後ろを向くな作戦会議
ヴィスキ渡河戦から一ヶ月半。
バルトブルク軍は、大攻勢によって首都圏クローネラントの街を次々に陥落させ、その七割近くを制圧した。
市街地戦では単純な兵力の差は覆され得るが、そこは魔女を擁する特殊部隊。損失を最小限に、ほとんどの防御を突破した。
砦も瓦解し、残すところは首都攻略。
碁盤の様相は終局をむかえていた。
本日、占領地の一角に設置された駐屯兵舎で行われているのは、最終作戦会議。
現場で中隊を率いる尉官、さらに大規模な師団単位を動かしている佐官、これまで戦略指揮を執ってきた将官クラスの重責任者。そして、現在最も名誉高い功労者の魔女小隊から、それぞれ高い位置にある代表者が出張ってきている。
十年ほど前に起った隣国との紛争、その解決に一役買って名を立てた英雄も数えるほど着席している、実に豪勢な会議だった。それがこんな、占領地のただなかで行われている。とても尋常ではない。
特に、もっとも名高いベレンキ陸大将がこんな前線付近まで出張ってきていることが、この会議の異質さを物語っている。
しかし、それもそのはず。
隣国の中枢からわざわざ自領内にまで魔女を引き返させるのは、と。そのように国に気を使わせるほどの存在感を、既にアウレリアは有しているのだ。
もう誰も魔女を無視できないばかりか、顔を立てさえする。
その背を借りて、寄り掛かりさえする。
この空間におけるアリーの重圧感は、シャッツカマー会合の時とはまるで違うものになっていた。
「自軍の状況は手元にある通りだ。さて、前置きはそろそろ終わろう」
すでに数十分が経過していた。
夜更けに広いテーブルを囲むおごそかな軍人たちは、地図や数字の並んだ資料を確認している。アリーもその例にもれず、隣のカミラと共に自隊への物資の配分量をチェックする。
司会を務めているベレンキ大将は、次の戦略について語り始めた。
「知っての通り、首都ラオシュ攻めは容易ではない。これまでの河川、市街地の突破よりもはるかに難度の高い、要塞戦となるからだ」
バルトブルク軍が臨む先には、これまでのようなきれいに敷かれた絨たんは用意されていない。
むしろぬかるみ、焼いた針が逆立ちさえする過酷な道がそこには広がっている。
ベルネブット首都、ラオシュ。
攻勢につける腕は天下一品と名高いベレンキが苦戦を予想する理由は、そこを守る要塞にあった。
バウムヨハン線だ。
ラオシュ全域を囲む、八つの要塞から成る長城。
城造りの名手である設計者に因んで名付けられたその防御線は、三重の壁と数多の砲塔、それらを繋ぐ地下に張り巡らされた移動路によって難攻不落を誇示しており、並の攻撃ではその一極をも瓦解させることはできない。
ラオシュ絶対要塞と異名をとる砦に、常識の範囲では明確な打破手段は考えられなかった。
「バウムヨハン要塞群が建造されてより三十年。これを破る手立ては、今のところどんな戦術家からも提案されていない。我が国が、ひいては世界がベルネブットを攻めあぐねていたのは偏にこのため。それほどに強固な防御であるということなのだ」
その解説は、かなり誇張を帯びた声色で行われた。
しかしだ、と続けたがっている事が誰の目にも窺い知れ、そしてその様子はアリーに肘をつかせた。
満を持して、ベレンキは魔女にその話題を転換する。
「しかし。もう分かるだろう、諸君よ。マルトリッツ大将の懸念を一蹴し、エーザー少将の叱責を払いのけ、戦果をもって我々の蔑視を取り消させた、第三区の空け者がいる。彼女に切り開いてもらおうじゃないか。砦の向こうの、宝物庫への道を」
大々的な期待の宣言に、アリーは喜々として応えると考えられた。
勇ましく答弁するものだと、これまでの彼女の雄々しき行動からはそのように予想された。
しかし、思いのほか彼女は、その辛気臭い表情を変えることはなかった。
数秒間、あてられたスポットライトの中で沈黙していた。
自信がないのか、はたまた何か不満があるのか。あらゆる出席者が彼女の様子を妙に思った。
崩れかけた演説のリズムに、ベレンキは補足を付け加えようかと迷っている。
場がうろたえてきたところで、ようやくアリーがその腰を上げた。
アリーが立つと、木の椅子の音を最後に場は静まり返った。
鼻をすする音も聞こえない。
紙をめくる音も聞こえない。
すべての注目の矛先が、一意となる。
アリーは深呼吸したり、もったいぶったりしなかった。
ただ、無音の後に、唐突に言葉を発したのだ。
そのことが彼女の、言葉以外での心情の吐露となった。
「やってみせよう」
目は一心に大地図を見つめている。
要塞線と予定配置の書き込まれた地図に、アリーは何かを見ていた。
そこへむけて、以上のように答えた。
場からは、拍手がまばらにあがった。
カミラは主の横顔から必要な事を汲み取ると、そのまま視線を落とした。
会議は五時間ほど続き、詳しい戦術の練り上げが行われた。
バルトブルク軍は、補強・最新化が行われていない北、西に切り札を投じることを決定。
主戦力はバウムヨハン要塞群を取り囲み、魔女の奇襲を隠し手助けする形で長期継戦という策に収まった。
アリーの顔は兵舎退室の際も、会議疲れとは少し違ったやつれ方をしていた。
同伴したカミラは彼女にかける言葉を見つけられないまま、書類を抱える手に感情を込めるだけだった。