第2話 ハイラントフリートは魔女の家
「さて、我々は組織だ」
翌朝。雪も止んだ。
アリーはエルスベトと二人っきりで、自室としている三階へ上がり事前説明を行う。
ほぼ何も飾った家具の無い、かつ散らかった無骨な部屋で、アリーはベッドへ、エルスベトは木の椅子に腰かけていた。
朝焼けの光に、エルスベトの赤茶の髪が照らされて綺麗に輝いている。
「組織の頭はこの私。構成員は全て魔女だが、それは一般と変わり得る根拠にはならない。無論、命令には従ってもらうからね。エルザ」
彼女にニックネームを与えたアリーは、一応の拘束があることを念押しした。
エルザはその呼び名が嬉しくて、うんうんと元気よく頷く。
ハイラントフリートは、こうして魔女たちを束ねた組織。
首はアウレリアその人であり、その威勢良い団名とは裏腹に静かな生活を営む家族だ。
「そして目的だ。これについてはその都度変わるが、根本は我らの共存、生活の維持だ。今は収入のために木こりをしているが、食料の調達だとか、畑もやっている。だが、近頃情勢は物騒だ。いつゴタゴタに巻き込まれるかも分からない」
アリーは近年の隣接国との領土をめぐるにらみ合いについて言及した。
この国に住まう以上、それは魔女といえど無関係ではない話だった。
「そこで今日から、エルザには魔女の訓練を課す。なぁに、しばらく外働きは他の者に任せていい。命あっての生活だからな」
アリーはエルザの肩をぽんぽんと叩き、下の階へ降りる。
「ついて来な」
「あ、アリー様おはよう!」
二人が一階へ降りると、起きだしていた少女があいさつをする。
真っ赤に染め上げた髪を右側に掻き寄せて、左のこめかみには二本の剃りこみを入れている厳つい風貌の女性だ。
アリーは彼女をマーシャと呼び、応と返した。
マーシャは外身とは裏腹に、誰よりも早く起きて朝ごはんを用意しているような女だった。
昨晩不在だった彼女は、無口なエルザに声をかけた。
「おー! 新入りちゃん? いつきたの?」
エルザは話慣れていないのか、おどおどした様子でぺこぺこお辞儀をするばかり。
経緯はアリーが補足し、そのあと彼女はエルザにそっと耳打ちする。
「あの怖いお姉さん、ああ見えて家では一番のお母さんだ。緊張せず甘えるといいよ」
半分聞こえていたのか、髪をいじったマーシャはそそくさと料理に手を戻す。
すると今度は、ソファでぐっすり寝ている男性に目がいった。
少女ばかりで見慣れないが、今度は大柄のガッチガチの男だ。
エルザは経験ゆえ男性に恐怖があるのか、アリーの後ろにそっと隠れるようにする。
「ん? あーあー。平気だよエルザ。彼はドロノフ。この家の番人だ。この上なく優しい男さ。彼は周りに姓で呼ばせているから、ドロノフと呼ぶようにね」
銀髪のオールバックに頑丈そうな体躯。一見では後ずさりせざるを得ない見た目だが、アリーは安心するよう説いた。
「だがいくら魔女と言っても、やはり女より男が強い。力仕事も夜の番も彼任せで、少々悪いとは思うんだが、ね。彼は基本、マーシャの起きる時間から昼までは寝ているから、用がある際は忘れぬように」
エルザは主人の袖を握りながら頷いた。
二人はまだ震える寒さの朝霜に繰り出し、近くの林へ潜った。
しばらく行くと山小屋が見え、そこが訓練に使っている休憩拠点であるらしい。
小屋に近付くと、何やら大きなモノが横たわっているのがわかった。
エルザが目を細め確認してみると、それが動物の死骸であることが分かった。
ひっ、とたじろぐエルザ。
「イノシシか。こりゃ上物だ」
丸々太った大きなイノシシ。この牙を退け討ち果たしたのはいったい何の怪物だとびくびくしていたエルザだが、彼女を小屋で待っていたのは、黒い肌と真っ白に脱色された髪の、風変わりで華奢な少女だった。
彼女は挨拶もせず、手振りでボスを迎える素振りも全く見せなかった。
だがアリーはそんなことを気にとめてはいないようだった。
「やあマルク。いいイノシシだね」
ショートの白い髪に目元を隠した彼女は、うんと頷くばかりだった。
「マルキア。マルキア・ドゥルダーナ・ラウク。聞き慣れない言葉だろう? 彼女は移民だ。こんな国に来たおかげで奴隷となってしまった」
移民は自らの名前を嫌う傾向にある。
それだけで差別の対象のような気分になるからだ。
彼女も例にもれず、アリーはそこを気遣いマルクと呼んでいるようだった。
「マルクも良い子だよ。ここの者はすべて奴隷上がりだが、彼女はいち早く立ち直って貢献してくれている」
そこで、無口かと思われたマルクの口から唐突に言葉が出た。
「アリーのおかげ」
ひどく小さく、細く、簡素であっという間の言葉だったが、その言葉には真摯な重さがあった。
それは彼女たちの乗り越えて来たなにかを、エルザに遠回しに訴えた。
「あ――あの――――」
その時、なにか閊えているような声で、エルザが喉から声を絞り出した。
久々の発声だったのだろう。二人は、何か言おうとしている彼女を見守った。
「わ、わたし――頑張って、役に――立ちます――――」
アリーはにっかり笑った。
「ああ。期待している」
何故小屋にマルクがいたのか。
それは、狩猟による食料確保の当番だったからである。
これからそういった仕事をこなす上でも、やはり魔法は習得しておかなければならない。
今日、エルザはさっそくその訓練に取りかかるというわけだ。
「よし。まずはお前の魔法の質を見極めよう」
魔女には、生まれ持った魔法の才能がある。その種類は物理的な性質となって現れるため、ある程度の系統に分けることができる。
「魔女はほとんど、この性質で通り名が付く。私はつむじ風と嵐の魔女。マルクは光と雷鳴の魔女だ。さて、エルザはどんな技を見せてくれるのかな?」
エルザは久しぶりの事で不慣れながらも、初めから魔法を扱えた。
というのも、彼女は十歳ごろまでは王都第三区で普通に生活していたのだ。
もちろん、魔女の家では魔法を仕込まれる。
しかし、彼女は不運だった。
隣接する第四区、通称奴隷州には奴隷商がおり、その業績から強い発言力を持つ者も多い。
そんな彼らの専らの仕事といえば、人身売買である。
魔女だと判明した者を捉え、商品とする。更にそれに対して国営の憲兵隊が一部加担しているというのだからたちが悪い。
つまるところ、国に認められた権限を持つ商いが、奴隷業だということだ。
そんな地域との境目に住んでいたものだから、彼女は捕まり奴隷となった。
エルザのような境遇の魔女は、現在三百万人ほどいると考えられている。それはおよそ、バルトブルク王国民の三割にも及ぶ数。
今や、魔女と言えばすなわち奴隷を指す。
現状は悲惨だった。
「ほほう、氷か。珍しい」
アリーは氷結させた柱を作って見せたエルザに感心していた。
魔女の能力としては珍しい部類に入るらしい。
そしてその珍しさは、総じて優秀さと連なることが多い。
「ポテンシャルはあるようだ。それに、不慣れなだけで既に完成度が高い。期待できるね、マルク」
マルクは黙って頷く。
エルザは嬉しそうに頭を掻いた。
しかしその時、他の二人の空気が一変する。
何か、天敵を感知した動物のような動きだった。
アリーとマルクの視線は一致している。エルザも慌てて、その方向を探った。
するとその果てに、猟銃と何やら重たげな鎖を担いだ二人組の男が見止められた。
エルザはその様子に見覚えがあった。
昨夜アリーに解いてもらった、あの鎖。
奴らが担いでいるのは、それと同じものだ。
「おやおやおや、おあつらえ向きに。雑種の登場だ」
エルザが振り返ると、アリーの顔は一変していた。
目は見開かれ、横鼻がつり上がり、眉間はしわくちゃ、口角はこれまで以上に大きく引き裂けていた。
それは紛れも無い、憎悪の表しだった。
「みっけだぜーお嬢ちゃんら。今、魔法使ったよなぁ?」
「この銃でパーンと抜かれたくなけりゃ、大人しくしろや」
彼らがライフル一丁で強気になれるわけは単純だった。
魔女は、銀に弱い。
更に純正の真銀であれば、触れさせるだけでその力を完全に抑制できるのだ。
それを利用し、奴隷たちは銀製の鎖に足を縛られ、飼われている。
この人さらいに関してもその常とう手段として、銀の武器を持つことが挙げられるというわけだ。
しかしどういうわけか、アリーもマルクも動じていない。
よほどの自信があるのか、それとも数で勝るので勝算があるのか。
兎に角エルザは恐怖を律しながら、戦闘態勢で構えていた。
「エルザ、お前は下がってなさい。弾が当たらないように小屋にでも入っていろ。そしてよぉく見ておけ。お手本のショーだ」
「で、でも――」
エルザは自分も役立ちたいと前に出たが、アリーがそっと押しとどめる。
「いいから見ていろ。私達の――――」
途端、暴風が吹き荒れ辺りの雪がまき散らされる。
人さらいも動転してひっくり返った。
木々がきしみ、針葉は吹き飛ばされる。
アリーの目は、戦意に輝いていた。
「魔女の強さをな」
アリーが小さく低い声でうなった後、小屋から何か大きな物体が吹っ飛んできた。
手に捕らえられたそれは、大きな鉄の大剣だった。
二枚の刃が一つの柄にまとまり、その間には隙間があるという変わった造形の剣だが、それはアリーの身長ほどもある不釣り合いな大きさを持っていた。
それをブン、と一回しすると、何かに突き飛ばされるような動きでアリーが空中に舞い上がった。
再び、後ろからの圧で真っすぐ飛んだアリーは、その勢いで身を捻りながら突進。
逃げる人さらいを地面ごとふっ飛ばした。
エルザが混乱している間に巻き上がった雪と土は収まり、そこには真っ二つに裂かれた人間の死体と血の海が。
思わず目を覆った彼女だが、死体が一人であることに気付き慌てて周囲を確認する。
すると木々の合間を逃げ遂せようと、ふらふらで走る敵の姿が。
それを目視で確認したマルクは、背負っていた年季もののマスケット銃を取り出し、構えた。
次の瞬間、落雷の如き轟音と共に銃口から光が撃ち放たれ、エルザが瞬きする頃には敵は焼け死んでいた。
エルザは愕然とした。
さっきまで動いていた命が、唐突に消え果るのを初めて目にしたからだ。
それがたとえ憎しみの対象だったとしても、人の死は十六の少女が目の当たりにするには重すぎた。
「怖かった?」
ふと気づくと、マルクが彼女に寄り添っていた。
優しく声をかけられ安心したのか、彼女は首を横に振った。
「こんなものは余興に過ぎない」
エルザは、王のその一言に違和感を感じた。
アリーは、これから更なる弾圧に立ち向かわなければならないと言いたかったはずだ。
しかし、なぜかエルザには、その言葉がそのままの意味で伝わらなかった。
彼女は、しばらくこちらへ表情を見せなかった。