第24話 ウルの戦い
「こりゃ滑稽だ」
丘陵の頂点から、アリーは最初の戦場を見渡していた。
その先に巨大な運河と山脈を控える、深い森林がそれである。
既にあちこちで爆音と火の手が上がり、戦闘の始まりは一見のうちに明らかになった。
もちろん、アリーにとっては初めてだ。
戦争など。これほどに巨大な仕合など。
土地を巡って大勢の人間が殺し合う、そんな光景に出会ったことのある者が何人いよう。
戦争という景色に、その身をもって臨んだ者がどれだけいようか。
しかし少女は恐怖しない。
うずく高揚が、彼女の小さな体を打った。
「――よし」
アリーは森に立つ見えざる死の煙に背を向け、直前の緊張にこわばる配下たちをかえりみた。
「皆に今一度確認を取る。まずは念押しだ。森の西方は地雷地帯。いかなる場合によっても、これは回避せよ。そして我々は現地点より東北東へ移動、主戦場を避け森を迂回する。遭遇次第敵を排除しつつ、後続の部隊を先導し敵先行軍を挟み撃ちにする」
彼女らの仕事は、今アリーが説明した通りだ。
森の西方には、陸軍の用意した地雷による見えない壁が敷かれている。
一度地雷にかかれば敵は攻勢を弱め、うかつには進めなくなってしまう。そこを迂回した部隊によって挟撃する、バルトブルクは正に地の利を活かした作戦を立てたわけだ。
敵が無造作に突撃してきたところを纏めて包囲殲滅する。
わざわざ運河での有利な防御力を捨てて後退したのは、誘いこみによる一網打尽の企て故だった。
上手いことを考えたものだと感心し、アリーは指揮を再開する。
西山と運河を繋ぐように広がる障壁の森の東側。ハイラントフリートは、戦線入場を果たした。
夏場の蒸れも伴って、足場の悪い森林の移動は少々疲れを感じさせた。
それでも凍てつく寒気よりは易いと、少女たちは走り抜ける。
普通ではない速度だ。
木々をぬって、魔女はオオカミの如く駆ける。
わずかに葉を揺らしたその音も、彼女たちには追いつけなかった。
音の出るライフルは、その手に握られ沈められている。
誰もがその様子を、シカかなにかの移動としか捉えないだろう。
ハイラントフリートはまったくもって作戦通りに、森の反対側近くまで移動した。
安全が確保され、後続の部隊も早足で迫る。
いよいよ、挟撃が開始されようとしていた。
アリーが身をかがめて先の様子を窺うと、そこには大きな空白が見て取れた。
なるほど、森に戦車は入れない。
敵は、伐り払いを進めていたのだった。
あたりには相当な木くずが転がっている。およそ数時間前から伐採が始まっているようだ。
彼女らの出口近くでそれが行われていることから、どうやら敵の作戦も同じようだ。
ただ、後手に回ったという事以外には。
「馬鹿め。はじめから森を消してしまえば死なずにすんだものを。まあ、それほどの火も爆薬もないということだろうが」
アリーは横についたカミラに、無線で一応の奇襲の可能性を連絡させる。歩兵部隊が進行していてもおかしくはない。
報告を終えたカミラは、再びアリーに耳打ちする。
「アリー様、指示を」
御隊長は隊列を整えた。
広く敵の東側に展開し、撃ち方用意のサインを挙げる。
草木の合間に緊張した空気が流れ、鳥も思わず身震いをした。
十分に狙わせてから、近辺の者に発砲のサイン。
鳴り響いた銃声に釣られ、連動する薬きょうの飛散。
四方から奇襲を受けた伐採現場は、瞬く間に死体の海となった。
続けて、その後方に鎮座する本部隊に向けても発砲が開始される。
塹壕も壁も無く、敵は慌てて木に隠れ散り散りになる。
五台ほどの戦車は、銃声の方向に向けて無作為に発砲を始めた。
流石の威力に木も薙ぎ倒され、アリーは次の行動に出る。
彼女が高々と砲撃始めの声を上げると、樹木さえ一網打尽に撃ち払う魔法が機甲部隊を襲った。
火が直撃し、いかずちが砲を払う。
水が兵を洗い流し、木が逃げ場を塞ぐ。
小戦場は、瞬く間にバルトブルクに勝ち星を与えた。
「おいおい――こんなバカげたことがあり得るのか」
ほとんど仕事のなかった追撃部隊がその光景の終端を目にし、感嘆の言葉を漏らした。
「これが魔女……いや、ハイラントフリートなのか」
死炎を背景に据えたアリーの後ろ姿は、苛烈な英雄にも、この世ならざる悪魔にも見えた。
指揮隊長はその金の髪を掻き、ゴーサインで更なる追撃に打って出る。
わずか一時間だった。
いや、移動の時間を除けば、わずか十二分。
たった十二分の間に、地雷にひるみ森の北端に後退していた本隊は壊滅した。
航空支援を待つ暇もなく、また反撃を許されることもなく。
ただ風を見送るように、この戦闘は終了した。
多少の砂塵は散れど、こと魔女の軍勢については一人たりとも死傷者はでなかった。
彼女らの圧倒的功績の前に、森林ウルでの戦いは敵方二万の兵を殲滅する結果に終わった。
天然の要塞を活用した包囲作戦を見事成功に導いたハイラントフリートは、立て続けに追撃作戦へと動員される。
次なる役割は別働ではなく、戦線主導。
森と川までを繋ぐ平野での追い立ては、その前線を広く取ったにも関わらず、彼女らの速度と攻撃力によって瞬く間に完結。
バルトブルク領内に立ち入っていた敵戦力のほとんどを削り尽したのだった。
自国はまだ拙い技術の航空機による制空戦にもかろうじて勝利し、戦局は一転、バルトブルクの攻勢へと移る。