第22話 前日ともなれば
静かな夜だった。
アリーは、珍しく外のベンチで星などを眺めている。
必要な細工は施した。あとは、明日の出撃に備えて眠るだけ。
計画的で、留まることを知らないと思われたこの少女も、しかしこの時だけは、夜空を見上げていた。
星見にふける時間は、彼女が過去へ立ち返るまたとない機会。
そして同時に、立ち止まる機会だった。
夜もすっかり腰を落ち着けた時間。アリーは、放心していた。
「よおアリー様」
「――ああ、ドロノフか」
彼女の不意を突いた大男は、ベンチの隣に腰かけた。
彼は、家の者は支給品を確認して眠ったと伝える。
アリーは了とだけ答え、再び静寂の足音は迫ってくる。
振り返れば最近、ドロノフはアリーと時間を過ごすことが無くなっていた。
彼なりに彼女に対する気遣いと、そして憤りがあったからだろう。
ドロノフは、口を切る機会を幾度も逃す。
その体のわりに、彼は言葉には細心の注意を払う男だ。
そうこうしているうちに、アリーの方が彼に語りかけた。
「なあ、ドロノフ。わたしは――」
アリーは、そこで呼吸を止めてしまった。
次の言葉をどうにか工夫して、細工して、練っているようだった。
ドロノフはそんな彼女を見て、それまでと表情を変えた。
そして深いため息を吐き、背もたれに寄りかかって上を見上げ言う。
「心配ない。マーシャも皆も、誰もあんたを責めたりしない。ただ少しばかり不安なだけですよ。間違いなく、奴らはどこまでもついてくる」
それを聞き、少女はうつむいて笑った。
「奴ら、か。お前はどうなんだい? わたしが――アリーが暴君に見えるか」
「ええ。そりゃあもう」
ドロノフは意外にもすっきりとした返答をした。
アリーは未だ視線を動かさない。
「あんたは俺になにも話さない。なにも語らない。あんたが何に迷ってるのか、その正義が本物なのか、なにをそんなに抱えていやがるのか。俺には計り知れない」
ああその通りだと、アリーは口角を上げることでそれを表現する。
「だが、迷うことはねえ――と、思う。やればいいんだよ、あんたは」
アリーはその末尾までを聞き終えて、それからドロノフと同じように椅子に寄りかかった。
その表情は未だ、形だけの笑みを湛えた緩やかなものだった。
彼女は、石像のようにその後の時間を過ごした。
そこいらの友達同士ならとっくに耐えきれなくなるほどの、奇怪で、長きに渡る沈黙が二人を固めていた。
言葉の無い語らいが、真空と見間違うほどの静寂の中に飛び交う。
飛び交って、雪のように舞い落ちる。
そしてやっと、アウレリアは静かに息を吹き返した。
「わたしはどこへいけばいいのか――本来の目的か、それとも――迷っているんだ。大義か、あるいは――心が求めている。だがそれに応じるのはあまりに――そうだな。そう……お前はわたしの本性を知れば、わたしを殺すだろう――」
今にも消え入る乏しい声量で、彼女は抽象的な本心を語った。
その声色には、憂いと、嘆きと、迷いと、そして思いやりが映し出されていた。
目は、虚空を見つめていた。
ドロノフはアリーの過去を知らない。
彼どころか、この世に彼女の心を知る者は数人も居ない。
だがこの男は、彼女の家族だった。
家族となった、大切な縁の持ち主だった。
かける言葉は、すぐに見つかったらしい。
「味方さ。俺は」
それだけ言うと、彼は去った。
置き去りにされたアリーは、彼の背中を目で追って、そしてそのまま星見を続けた。
深いため息が夏夜に溶け、氷は静かにしずくを垂らした。