第21話 過去の探索者
陛下、陛下と呼ぶ声があった。
カルロス・ダリウス・バルトブルク王は、その名を呼ばれる事の多い人物だ。
しかし今回のそれに対して、彼はとりあうに値しないと判断し歩みを進める。
まったくの無視を貫き、足を速めることもなく目的地への舵をとり続けた。
それもひとえに、これからの一時間が彼の最も気を遣う食事の時間であるからだ。
声をかけた男のつまらない用事など、それに比肩するに値しなかった。
それでも熱心に彼の横耳を刺激する男。
エッフェンベルクは、王に問いただしたいことがあった。
「陛下に、どうしても進言申し上げたい」
とうとう眼前に立ちふさがってしまったエッフェンベルクに、王は尚も無表情を貫き問い返す。
「貴公の浅知恵の披露会か」
大臣は須臾の動揺を隠し切り、はいと答えた。
この王には、自らのようやく暴いた真実をも上回る、驚がく的な理智が備わっている。
それを痛感せざるを得なかったエッフェンベルクは、それでも威圧を押し切り口を切った。
「ご参加願おう」
鼻で笑う、嘲る笑みを浮かべる。そういった反応をいっさい見せない王。
ただ、いかなる取りこぼしをも逃さず穿ってやらんばかりの凄烈な視線だけが、エッフェンベルクを突き貫くのだ。
いつも平静を崩さず深い器を持った彼でさえ、以降の発言を軌道に乗せるのには手間取った。
「ベヒトルスハイムを軍事に関わらせるのは危険です。彼奴めは、戦局の穴を突き国崩しを企んでいる」
現状においてはなんとも奇怪な発言だった。
激突まで二日と残さない。
その中で、魔女を排斥せよと男は語った。
「ほう。今更気に食わぬことでも見つけたか。いか様な内容か」
王は興が乗った様子であごに手をやった。
山のように高い身長からエッフェンベルクを斜めに見る王の様は、さながら人間の言葉を聞き受ける神のようだ。
追及されようという立場にも関わらず。
「あなたは――略奪者だ。その話からさせていただこう」
エッフェンベルクはその言葉を皮切りに、攻めの手に転じる様子だった。
しかし、君主への限りない侮辱であるその言葉にも、眼前の王は特段気に留める様子を示さない。
その裏にも動揺と核心に応えるざわめきがあろうと、彼は一層まくしたてた。
アウレリア・ベヒトルスハイムと接触してから六日。彼はついに用意し終えた。
彼の抱いた違和感、その答えに相当し得る結果を。
王と歴史の隠したであろう真実を、その謀略の疑いを。
自身の正義感にまかせて、彼はそれらを王にぶつけた。
わずか数分の間の出来事だったが、ターンを終えたエッフェンベルクは長い登山を終えたが如く汗ばんでいた。
「お答えください……あなたは――」
王は、これまで長らく彼を観察してきた。
そしてその感想を、一言で述べてみせた。
「やはりその程度だったか」
たった一言で、エッフェンベルクは打ち砕かれた。
具体的な理由や反論などない。
しかし、その一文だけを送りつけられた彼は、それだけで自らの敗北を認めさせられた。
王は興の失せた様子で彼を横切り、去っていく。
「では奴の存在をどう説明されるというのか! 今の推論が誤りであったとして、あの金色の髪、翠眼の魔女は!」
他人の空似で片付けられる、根拠に乏しい反論だった。
しかし、彼の取りざたする事実につける一番の問題も、それであった。
「あれは私の隠し子だ。とでも言ってしまえば、事もすり替わろう。突き付ける証拠が見た目の類似では、あまりに脆い」
彼が集めた情報に期待していた整合性がとんとうやむやになり、そしてこの王の前だ。何も言い返し難い状況がエッフェンベルクを力ませた。
これ以上言う事はないな。そう見限り、今度こそ王は去った。
どうやら、食前の立ち話に花は咲かなかったらしい。
その場にはただ、口げんかにあっさり負けた惨めな男だけが残されてしまった。
「ビビりすぎじゃないですか? オットー君」
「――いちいち腹立たしい男だ」
相変わらずの声のかけ方を衝くエッフェンベルク。
にまにましたランペルツは、彼をなじるように陰から覗いていた。
「でもまあ、惜しくはありましたよ。具体的に添削してあげる気はないですがねぇ」
「やはり貴様も知るうちの一人か。他の魔女狩りもだな?」
互いの探り合いに時間を取られる二人。
開戦数日前にも拘わらない動揺が、指揮系統を揺るがしかねない規模にまで膨らもうとしている。
「誰もが疑問に思っているはずだ。なぜバルトブルクだけが魔女と相いれぬ国なのか」
階段の高所から足組みをして見下ろすランペルツの姿は、それを指して悪魔と呼べよう有様だった。
その悪魔は、神を穿とうという人間の弁論を面白そうに聞き眺め、ひいては口出しする。
「魔女を差別しているといえば、お相手の国もそうでしょう」
それに対して即座に切り返すことのできる、エッフェンベルクも竦んでさえいなければ頭の切れる男だ。
「民族的には、我々と敵国は同系列とされる。それが答えなのだろう?」
ランペルツの反応からは、それが正解か否かは分からなかった。
だが手ごたえを感じたらしく、先ほどの王に対する時とは打って変わって、普段の裏の裏を回って話す癖が調子を取り戻すエッフェンベルク。
「敵国に魔女はほとんど居ない。だが我が国においては、今も尚人口の三十パーセント以上を占める。推定だがな。それらはほぼ全てが奴隷だ。そして六十年ほど前までは、両国は互いを兄弟国と呼ぶまでに親密な外交関係にあった。一見関わりはないように見えるが、これらが歴史の根幹に関わるということは、疑ってかかればすぐに解せよう」
ああ愉快と、ランペルツは引き笑いを響かせる。
酒もタバコも女も食わないこの小男の、唯一の楽しみ。それが愚者と見える人間をいたぶることだった。
事実、彼はこの国の歴史における、他の知り得ない重要な何かを握っている。
魔女狩りという肩書きが、その事をも物語る。
それにさえ気づけば、エッフェンベルクは更に彼を腹立たしく思う事ができた。
「歴史を変えるなら、知なる者を皆殺しにでもしておくべきだったな。といっても、それは貴様の曽祖父宛ての言葉だがな」
「まあ、あなたが事実を掴んでいると仮定して。過去に気付いたところで、いったいぜんたい何をしようと言うんです? 史実をひっくり返しますか。それとも侵略民族とやらを根絶やしにしますか」
しかし、見透かした態度のランペルツも、彼の事を少しばかり見誤っていたようだ。
彼はその問いに対して、厳然と答える。
「私は反乱など期待していない。ただ――我が忠義を捧ぐべき王が、賊の後裔では少々腹が煮えるというもの。私はむしろ、故にこその事の起こりを危惧している」
それを聞き届けたランペルツは、唐突に表情を変えた。
それまでのあざ笑うような小賢しい笑顔は消え、木の棒かなにかを眺めるような態度を取った。
「なんだ、案外つまらない男でしたね」
何、とエッフェンベルクが顔をしかめるよりも速く、彼は背後に立っていた。
完全に知覚の外に消え、ランタンと太陽の魔女の片鱗を見せつける。
「おまえ程度ではアウレリアに届かない。何の障害にもならんな」
今すぐにでも殺されそうな冷たい気配を覚り、思わず息を飲む。
「貴様は……なにを考えている? いったい貴様は――」
この上なく余裕のなくなったエッフェンベルク。
彼は魔女という点でランペルツを警戒してきたが、ここにきて彼の正体につける恐怖を覚えたに違いない。
単に味方と信頼できない、腹に黒いものを抱えたこの男に対する、決定的な不信感と共に。
そして彼は、真意の一部を語った。
「面白いものを見る事さ。普遍的な娯楽の欲求だ。おまえの洞察は、今ある情報を鑑みればそれらしいものだった。そしてそもそも、過去の矛盾に着眼する姿勢。実に見事で、面白い懐疑の目だったよ」
嘲笑するかのような褒め言葉に、ランペルツは畏怖を感じ振り返った。
「だけどまあ、もう後ろより前を見たほうがいいんじゃないですかねぇ。あなたは」
ランペルツは、首を鳴らしながら軽快な足取りで去っていった。
しばらくの間、階段を降りる靴音がエッフェンベルクをその場に括りつけていた。
強い舌打ちが宮を穿った。
遠回し遠回しですみません笑
色々書かれていますが、この時点ではまだ出ている情報のすべてが憶測にすぎません。
エッフェンベルクさんの言っていることは本当に正しいのか? そして彼は王様に何と言ってつめよったのか? と想像していただければ幸いです。