第19話 王家の秘密
第一の議題終了後、アリーは退室しようとした。
しかし王に咎められて最後まで同席せざるを得なくなり、結局つまらない会議に座り続けた。
三時間といったところだろうか。
バルトブルクにおける、これからの大凡の方針が固まった。
あとは各部署ごとに、臨戦態勢を整え挑むだけである。
アリーは、真っ先に議室を去った。
「お待ちください。アウレリア女史」
さっさと消えようとするアリーに追いついて止めたのは、先ほどの海軍将官だった。
彼は静かに礼をすると、アリーを見下ろさない距離で話した。
「先ほどは失礼致した。どうか気を悪くなさらぬよう――」
悪びれているようには見えないが、礼を損じない対応ではある。
彼女は、謝罪を真摯に受け取った。
「いい。魔女などこんなものだ。にしても、策士でありますなぁ少将殿。言の葉遣いが上手い」
キキっと笑うアリーに、海少将は続けた。
「初動においては共に船を駆ることはないが、いずれ戦果が私の耳にも入りましょう。それ次第では、我らが砲として活躍してもらうやもしれませぬ。期待を申し上げておこう」
応、応と帰路を急ごうとするアリーだが、海将の肩を退かせて再び彼女の背中に声をかける者がいた。
今度は何だと振り返ると、そこには経済大臣が。
彼はアリーを一服にエスコートして、その場を後にした。
城下町まで視野の届くベランダは、心地よい夏の夜風に晒されていた。
椅子を引いて着席を促すエッフェンベルク。
アリーは、その時ばかりは面倒そうにはしていなかった。
金融と経済を司る臣官が、改まって何の用かと気になっていたからだ。
黙々とパイプを準備する経済臣に、じれったくなったアリーは言葉を催促した。
「タバコの添え物に呼んだのなら、私は帰るぞ」
エッフェンベルクはようやくパイプを整え、ブローの後に開口した。
「パイプは面倒でな。だが、その面倒さが面白いのだ。女の身にはわかるまい」
鼻で笑ったアリーは、若年の分際でと自らにも当てはまる点で煽った。
「舌と頭脳の肥えた者は、たしなみも一足進むものさ。貴女の場合、何かにうっとり入れ込むということもないかも知れんが」
とりとめのない事ばかり口にするエッフェンベルクに呆れ、アリーは足を組んで奴が話す気になるのを待つことにした。
パイプを吸い、吐く音だけが淡々と経過する。
もう二十三時を回り、朝から支度に追われていたアリーは少しばかりうとうとしてきた。
彼女は他人の前では眠らない。
しかし、不思議とこの若い男には余裕があった。
今にも撃ってやろうという、急いた鋭さがなかったのだ。
それを意識的にか無意識的にか、いずれにしても彼女は察していたのだろう。
気を許し、アリーはうつらうつら、瞼を下げ始めた。
のんびりした経済大臣は、彼女に目をくれることも無く煙を味わっていた。
「なぜランペルツは貴女に構う。奴は何を考えている」
アリーはぼんやりした視界でその言葉を聞いた。
どのくらい時間が経過したかもわからないが、とにかくアリーは眠かった。知らんと、適当に答えた。
「そうだな、ではこう問おう」
そのように聞こえたと思しき言葉。
その後に、アリーは耳のすぐそばではっきりと聞かされた。
「おまえは王家の者ではないのか」
低い振動が彼女の耳たぶをくすぐった。
はっと、アリーの目が開かれた。
見るとエッフェンベルクは跪き、彼女の髪を掻きあげていた。
気付いたアリーはその手をとっさに払い、立ち上がって退いた。
「その黄金なる髪。染めたものではないな」
アリーは素早く寄った彼に手を突かれ、ベランダの端に追い詰められた。
「おまえの出自を教えてくれないか。美しい少女よ」
動揺を隠せないアリー。
「なぜクラウス公を殺した」
顔が近くに寄る。
脅迫するような雰囲気ではない。
どこかへ連れ去られてしまいそうな、魔術的な迫力が彼にはあった。
寝起きの不意を衝かれて、アリーは初めて、恐怖の様相を映す。
「なぜ奴隷になった。兄はどこへ消えた」
呼吸がわずかに乱れる。
それを見て彼は、そっとアリーの肩に手を置いて。
再び耳元で囁いた。
「おまえは、いったい誰だ?」
「やあやあオットー君。こんな夜更けに美女を口説くとは、中々隅に置けませんねぇ。もっと硬派なお方と思っていましたが」
言葉の一突きでエッフェンベルクを刺したのは、ランペルツだった。
相変わらずの奇怪な笑みも、この時ばかりは救いの手だ。
彼はゆっくりベランダに入り、後ろに手を組んで面白そうに尋ねた。
「そんなに彼女が気に入りましたかな?」
経済大臣は姿勢を直し、アリーから手を引いた。
「いやなに。久方ぶりにひとめぼれをしてしまいまして。今、あっけなくフラれたところです」
「それはそれは」
見えないだけでビリビリと走る敵視の火花は、エッフェンベルクが去った後もその背中から迸っていた。
アリーは柄にもなく怯えてしまったことにいら立ちつつも、とりあえずホッと胸をなでおろす。
「久しぶりに見ましたねぇ。あなたのそんな人間臭い顔」
「黙れ――」
アリーは苛立った表情を背けた。
ドレスの端を直して、今度こそ帰ろうと急ぎ、去る。
ランペルツは、その後ろからぼそりとつぶやいた。
「奴は王家の秘密に近付いている」
少女は立ち止まった。
「気付いたところで、彼には何も変えられない。しかしそうなれば、自ずとあなたの目的もバレてしまうんじゃあないですかね」
アリーは月に光る緑眼で振り返り、彼を睨んだ。
「私にとっては貴様の方が巨大な敵だ」
聞こえるか聞こえないかの、小さな唸り声だった。
何しろ解せない、と付け加えたかったアリーだが、それを口にするのはしゃくだった。
以上を最後のセリフに、彼女は王城を後にする。
帰路の足取りは、地面を蹴飛ばすようなものだった。