第1話 雪降りの夜を少女が歩く
その日は、近年まれに見る大雪だった。
城からもその版図を一望できないほどの大きな国には、土着の宗教の祝い日を楽しむ静かな寒風が流れていた。
どの暖炉にもあたたかな火が灯り、凍り付く窓の内側にはしめやかな団らんが見て取れる。
家族と笑い合い、贈り物をしあう。そんな一夜だった。
しかしながらはぐれ者もいるようで。例えば少し見わたしてみると、一人の少女がある路地裏で寒さに震えていた。
わずかな道行き人も、稀にコインを投げる者を除いては、彼女に目もくれなかった。
少女はそれを知っていた。
どうせ自分は凍え死に、聖夜の明日も見られないのだと分かっていた。
膝を抱え込んだ少女は、自分の息で手を温めた。
「奴隷か」
少女は、まるで首の関節がさび付いているかのようにゆっくりと顔を上げ、声の主を探した。
そこに立っていたのは、彼女よりももっと歳の若い女だった。
うなじを隠す程度に伸びた珍しい金色の髪に、明るい緑色の目。小さめの身長、細い身体。この雪の白の中でもすぐに目に留まる異質な姿の彼女は、その首からマフラーをするりと外し、少女の方にほうった。
「逃げて来たのか」
行倒れの少女がその足に錆びた枷を付けているのを見つけ、彼女はそう問うた。
凍えた少女は、伏し目がちに頷く。
それを確認した金色の彼女は、積もった雪に踏み込んで少女の肩を抱き上げた。
「私と来い。神は我らを平等に扱わないが、私はお前に場所を与えよう」
黄金色の存在感に言われるがまま、少女はフラフラと立ち上がり、二人は雪曇りに消えていった。
彼女たちを歩かせる寒き冬景色は、およそ木を組んだ石造りの家々に占められている。
遠くに針葉樹の森が見え、電線が空の景色をやや遮る。
国の中心たる王都アーテムでも、ここはその外円、第三区にあたるがゆえに少々田舎じみていた。
この月にこの雪ということからも、ここが世界の真ん中から少し北にあることがうかがえる。
時代の最先端を担う西方域に鎮座する王国、バルトブルクの夜は、定常通りに経過していた。
「さあ皆、お客だ。いものスープはあるか?」
しんしんと降る雪の中をずいぶんと歩き、二人は町はずれのとある小屋にやって来た。
扉を開け、注目を集めたかと思えば、金の彼女は客人を抱いたまま以上のように言い放った。
「アリー様、その子はどこで?」
アリーと呼ばれた黄金色の髪の少女は、肩に抱いたもう一方の少女を顧みて答えた。
「三区の路地でね。名はエルスベトだそうだ」
少し高い背の少女は、そのさらさらとした黒い髪を掻き、寒そうにしているエルスベトの元へ寄った。
「可愛そうに――」
何しろ氷点下の中に何時間も置かれたのだ。
暖炉の火で幾分か温まっていたその家の中でも、少女の凍えは見て取れるほどの震えによってあらわされていた。
「世話焼きなことだね。カミラ」
エルスベトに大きな上着を着せたカミラに隣を譲ったアリーは、腕組みでお気に入りのソファに腰かけながら微笑んだ。
そのにんやりした表情は、口元を極端に裂き、目は笑っていないなど、少々不気味なものだった。
絶世と言えよう整った顔の質が、尚の事その奇怪さを引き立てた。
スープを飲み終え、少し落ち着いた様子となった無口なエルスベトに、アリーが本題に関わる話をもちかける。
「エルスベトよ。お前がその人生をどう生きるかは勝手だ」
腕と脚を組んで肘掛けに寄りかかるアリーは、彼女をじっと見据えたその視線を変えないままに言った。
「だが我々魔女は、この王国では容易には生き残れない。いつからか、お前が囚われていたあの生活以外には、息を殺してネズミのようにしているしかない。わかるね?」
エルスベトは、伏した目で頷いた。
アリーの言葉が、そこにいる者達のすべてを物語っていたからだ。
なぜここでこうしているのか。どうして虐げられているのか。すべての理由がたった一言によって判明する。それが、魔女という言葉だった。
魔女とは、不浄の証。魔女とは、この国で最も下層に堕ちた奴隷の称号。
まぎれもなく、彼女たちは、魔女だった。
「そこでだ」
アリーの緑色の目がエルスベトの顔を見つめた。
そして勢いを付けて立ち上がり、彼女の下へ、こつこつとブーツを鳴らして寄った。
「ここで暮らそうじゃないか」
エルスベトは子猫のようにアリーを見上げた。
決して見上げるほどの背丈ではない。だが、何かが彼女に果てしない上方を見上げさせたのだ。
「我々は魔女だ。せっかく魔女であるならば、共に生きよう。力を付けよう。その小さな胸の内に迫る愛を共有しよう」
アリーは揺らいでいる彼女に、服の擦れる音も無く手のひらを差し出した。
「その手を共に」
小さなエルスベトには、それが神のお告げのように見えた。
どうしようもなく心を引きつける、柔らかで、自身に満ち、深く強い、その一言。
思わず手を取った。
彼女は、金色の存在感に触れる事を選ぶしかなかった。
例の如く不気味に笑ったアリーは、その小さな手で嬉しそうに握り返す。
「ようこそ。救世主の集いへ」