第16話 怖い、怖い、しかし
ブランクとエルザは、特にするべき仕事もないのでベッドを整え、簡単に二階の掃除をしていた。
エルザにとってはまだ、この家は長年居付いた巣というわけではない。
アリーと出会って数週間、その後に雪山へ、そして契約各所に飛び回り、結局この家で過ごした時間の総数はそれほど多くない。
だが、強い思い出の場所ではあった。
朧げに残る両親の顔以外に、彼女を温かく見つめる表情。
それらと一度にたくさん出会った、そんな場所だ。
優しく恥ずかしがりな彼女を、ここにいる誰もが受け入れてくれた。
それだけでエルザは、ここを唯一の居場所とするのに十分な理由を得られたのだ。
エルザは塵取りのゴミを捨て箱へと移した。
普段は話しかけられることでしか会話のできない内気な少女は、今回もまた珍しく、ブランクに自分から語りかけた。
「ねえ、ブランクちゃん」
「んー? なあにエルザ」
せっかく整えたベッドに座ってポンポン跳ねていたブランクは、楽し気な声色で振り返る。
一方のエルザは、浮かない顔つきだった。
「怖く――ない? これから戦争で、きっと私たちも……」
十の少女に問うには残酷な質問だった。
だがそれは同時に、彼女の不安は、恐怖に似た感情は、誰かに打ち明けざるを得ないほどに高まっていたということだった。
ブランクは、何とも言えない顔をした。しかし、少なくともそれは悲観的ではなかった。
「怖くない、かな。せんそうっていうのが怖い事だっていうのはわかるよ。でも、アリー様が決めたことだもん。きっと大丈夫」
彼女の気持ちは曖昧なようだった。怖いかどうか分からず、未だ幼い彼女にとっては臨場感がない。実感がわかないといったところだろう。
しかし、答えだけははっきりと出ているようだった。
何を重んじ、何を信じて臨むのか。それに関しては、揺ぎ無いものが少女にはあった。
そう、とだけエルザは応答した。
「エルザは怖い?」
素朴な返しに、彼女は素直にならざるを得なかった。
塵取りを握る手を止め、うつむきがちにこう答える。
「……うん」
ブランクは向き直ると、倒れるようにベッドに寝っ転がった。
「そっか」
浅い少女なりの気遣いだ。
ブランクは、それ以上付け加えなかった。
エルザは重い腰を上げる老婆のようにゆっくりした動きで立ち上がり、塵取りを壁に掛けた。
そして昼下がりの曇り空を映す窓に向かい、それを開け放ち淵に手をやった。
風に吹かれた赤いウェービーだけが、心軽そうに踊る。
「でも、ここなんだよね。結局」
ふとそうつぶやいたエルザの声色は、笑っていた。
その一言が、彼女の回答を代弁しているようだった。
「降らなきゃいいね」
エルザは、遠くに見える家の洗濯物を眺めていた。