第10話 我々は魔女である
唐突で激しい音が、暖炉のそばでした。
湯を沸かしていたカミラが振り返ると、ソファには目覚めたアリーの姿があった。
「アリー様……!!」
皿をひっくり返す勢いで慌てて駆け寄ったカミラ。
「良かった――お身体は大丈夫ですか?」
アリーは、寝覚めの悪い子供のようにぼうっとしている。
そしてしばらくどこか分からない遠くを見ていた。
カミラが心配して様子を窺っていると、またもや突然、アリーはカミラに向かって叫んだ。
「決めたぞ!」
一言だけいうと、彼女は病み上がりとは思えないほど軽快にコートを羽織って、家じゅうのメンバーを呼び集めた。
カミラは何が何やら分からずに、ただただ心配そうに後をついて回った。
全員がダイニングに集合した。
みな、キョトンとして状況が飲み込めない。
そんな面々を一望して、アリーは何を決めたのか、その答えを口にする。
「これより演説場に出向く」
案の定、辺りはざわついた。
演説場とは、第一区の国立公園に設営された壇であり、常設の演説会場となっている場所である。
そこは日々、様々な主義主張や王家からの御触れなどでにぎわい、ある程度の集客力を持つ娯楽の一種としての役割を担う。
そんな人目につくところにこれから出向くというのは、まるで自殺行為のようにも思えた。
「失礼ながら……いったいなぜそのような?」
カミラの問いも当然だった。
何か演説を行い立場を改善しようというのだろうが、それにしても王室、ひいては憲兵隊のひざ元である第一区のど真ん中に姿を現すというのは、簡単には賛成できないことだった。
カミラもその旨を訴えた。
だが、アリーはにやりと笑う。
「だからこそだよ。敵陣ど真ん中に現れるから効果があるんじゃあないか」
アリーは相変わらずの不気味な笑みで、周囲に計画を説明しだした。
誰もが動揺の様相を隠せない。
その内容はあまりにも賭けの要素を多く含み、プライドを捨てるようなもの。だが同時に、理に適ったものでもあった。
これに乗るか、乗らないか。反対しようにも、もはや彼女たちには選択の余地はなかった。
主君の勘を信じて、ハイラントフリートは都市へ向けて出立した。
到着は、午後三時近くになった。
形振り構わない魔女の足では、街までの道程はわずか三時間ほどで越えられる。
休日であることも手伝い、この時間帯はちょうど人の入りが多い。
壇上には既に演者の姿があり、全ての民は平等に財産を分けあうべきだと語る。
第一区では貧困層は極めて少なく、城下町特有の優越感が彼の思想を受け入れまいとしていたが、そんなことは彼女らにとってどうでもいい。
アリーは仲間を待機させ、自らは壇上に上がるのを待つ列に加わった。
しかしそこで、鎧を纏った騎士のような姿の者に声をかけられる。
「失礼ながら、身分証を拝見できますか」
アリーの表情は得意げになった。
「アウレリア・カーティス・ベヒトルスハイム公爵だ。今はベンヤミン卿の名のもとに結ばれた約定の対象時間のはずだが?」
鎧の男は、少女を一介の魔女と思い声をかけたことだろう。
アリーとランペルツの名を聞くや、失礼したとかしこまり消えていった。
翌朝までの休戦は、この計画を念頭に置いてのことだったのだろうか。
兵を追い払うと、アリーは堂々と列に戻った。
税を下げろだとか、民が直接政治を担うべきだとか、様々な大義名分のもと大層な持論が並べ立てられた。
アリーは列に居ながら、他の緊張した面持ちの者、聞こえてくる異なる意見に苛立つ者などとは一切関わらず、ただ静寂を保っていた。
原稿を携えないその腕組みからは、緊張も焦燥も感じ取れない。
ただ、待っているのだ。
その時を。
「以上である。諸君! 私の言葉を忘れるな!」
いよいよ直前の者の演説が終わった。
「なぁにが忘れるなだよ。ただ文句垂れてただけだろ。これだから低級貴族は――」
野次や交わされる意見で数百もある客席が一時ざわつく。
そんな中で、客の聞く準備が整うのを待たずにアリーが壇上に上がる。
少女は低身長用の台を足でけり、それに登って机に両の手のひらを突いた。
拡声機もない舞台で、話し声の飛び交う会場にまんべんなく声を響かすのは至難の業だ。
だが、少しの物おじも垣間見えない彼女は、大きく一声を放った。
「我々は魔女である」
あたりが静まり返った。
三秒ほどだったか。
一切の話し声が止み、真空に近い無音が小鳥さえも黙らせた。
「我々はハイラントフリート。八人の魔女で構成される――」
アリーは自分の吐息のみが支配する無音のなか、息を目いっぱい吸い込んだ。
「傭兵組織だ」
直後、会場に戻ったざわめきは、どよめきに拡大する。
魔女が人前に現れその存在を宣言したことなど、過去にただの一度もない。
アリーは躾けのなっていない生徒を再び黙らせる。
「諸君らは」
誰もが彼女の言葉を聞き逃してはならないと、またも一斉に黙る。
恐怖から息を飲む者も、軽蔑の眼差しを向ける者もいる。
「隣国の脅威に怯えていよう。公国ベルネブット……我らが祖国、バルトブルクを脅かし得る、対等以上の力を有する大国だ。近年。貿易をはじめとした、国家間の摩擦。それが領土問題に発展し、果ては民族問題まで。緊張は高まりを見せている」
アリーの言った事のすべてがそのまま真実だった。
近年の国際情勢は、これらの理由で悪化の一途をたどっている。
バルトブルク、ベルネブット共々、きっかけさえあれば直ぐにでも戦争に臨みそうな剣幕である。
「そこで我々は提案したい。奴隷商よ。地主よ。農家の者、別荘を持つ者、誰でもいい。全ての王国民たちよ」
アリーは、ニヤリと笑顔を見せた。
「私達を雇え」
低く、言い寄るような撫で声だったが、その場の全ての者がそれを聞き届けた。
「我らハイラントフリートは、戦闘訓練を積んだ腕利きばかりを揃える。魔女の威力は知っていよう。例え隣国の賊が大挙して土地を焼きに来ても、我らは瞬く業火によってこれを防ぐ。いかなる略奪も、お前たちに被らせはしない」
アリーは続けて、条件を提示した。
「一日の身柄護衛、土地の防衛。これらを人員一人につき一万バークで請け負う。後払いで良い。法的契約書も用意し、我らはこれを裏切らない。なぁに、小金持ちの諸君のことだ。このくらい、身の安全を保障するには安い金額だろう」
周囲は様々な様相であふれかえっている。
「中には、魔女など信用に足らんと考える者もいよう。だがこれは商売だ。諸君らに危害を加え、風評に傷をつけることにメリットはない。魔女とはいえ、食わねば死ぬわけだ」
自分たちは信頼に足り、安全だと念押しすることが重要であるようだ。
幸い、客席にはそういった色が見て取れた。
アリーは少し間を置いて、落ち着いた様子を大衆に見せる。
辺りが少しずつ、ざわめきを取り戻していった。
「もしも、魔女が入り用なら。ここへ来るがいい」
と、アリーはポケットから取り出した紙の束をばら撒いた。
ひらひらと紙吹雪が舞い、大多数の起立と共に大勢がそこに群がった。
人がごった返し、大騒ぎが始まる。
アリーは裂けんばかりの笑みを浮かべ、ゆっくりと壇上から去った。
会場はしばらくの間、次の演説を聞くどころではなかった。
その後アリー達は、紙に指定した場所に向かった。
それは、つい一昨日後にしたばかりの家。ハイラントフリートの家だった。
「お早いご帰還ですね、アリー様」
カミラは嬉しそうだった。
「ああ。ただいま」
面々は長い小旅行を終えて、元の場所に帰ってきた。
深呼吸があちこちで聞こえ、誰もが家をしみじみと懐かしむ。
成功に賭けて再び持ち出した家財を設置し終わると、ほとんど元通りの内装が蘇った。
アリーは置き去りにしたお気に入りのソファを暖炉の前に戻すと、深く腰掛けた。
「いやあ、大成功でしたねアリー様! あの食いつきようと言ったらもう、笑っちゃいますね!」
アリーはリラックスした表情を保ったまま、深いため息をついて頷いた。
「ああ――あそこには知れた奴隷商もかなりいた。第一区の住民や奴隷商は、政府に対し高い位置を占める。このタイミングで私達を捕えてしまえば反発も起きよう……ここへは来れん。奴らはな……」
アリーは眠たげだ。
傷から回復して間もなく長距離を移動し、かつあれだけ激しい演説をやって見せたのだ。疲れもそこそこに溜まっているはずだ。
「外堀から埋めていく、か。正直、あんたがあんなこと言い出した時にはまったく意味が分からなかったが、なるほど。こういうわけかよ」
ドロノフがしみじみ語った。
しかし、当のアリーは眠そうで適当に返事をする。
そしてとうとう、依頼が来たら全て快諾しろとだけ言い残し、二階のベッドへ上がって行ってしまった。
残されたメンバーは、その直後にやって来た客たちに対応し、さっそく全員分の契約を取り付けたのだった。
バークとは、この国における通貨です。円相当は適当なんですが、一万バークは十万円以上の大金だっていう感じで押さえといてください。