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それはまるでオセロのように

作者: 街角スルメ

「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」

 人生において、私たちはしなかったことを後悔する。

 フランスの詩人、ジャン・コクトーの言葉だ。


「ドンラヴィオンヌリグレットゥクスクォンナパッフェ」

 流暢なフランス語で少女はもう一度つぶやいた。

 少女は、この言葉が好きだった。呪文のように唱えれば、なにもかもが許される気がした。


「ねえねえ、黒井ちゃん今なんて言ったの? フランス語だよね、すごーい! クロードって感じがしたー!」

 少女、黒井クロードの隣で、黒髪おさげにスカート丈の長い制服姿と実に庶民的な雰囲気を醸し出すもうひとりの少女、白石(しろいし)()まりがはしゃいでいた。


 白石は、リムジンに乗るのはこれが初めてだった。固すぎず柔らかすぎもしないソファーのような座席も、むだに光沢のある天井や床も、ドリンクバーさえも魅力的に見えていた。

 無理もない。白石はクロードと違い、庶民なのだから。


 車内ではしゃぐ白石を前に、クロードはその小さくてそれでいて艶やかな唇を緩めるのみであった。

Attente(アトンツ).」

 それはフランス語で「期待」を意味した。


 好対照な二人を乗せたリムジンは、ある場所で停止した。

 黒いドレスを翻し、まずはクロードが降りた。その足取りは軽い。


「よいしょー! 着いたー! ……って、ここは……」

 意気揚々と白石も降りたが、すぐに言葉を詰まらせた。


 無理もない。ここは日常とはほど遠い非日常の場所なのだから。

 見るからに禍禍しい、廃病院。その前に二人は立っていた。


「驚き、ました?」

 ニヤリと、クロードの口角が上がる。


「……これ、おばけ屋敷じゃないよね」

一分前までとは打って変わっての真顔。


「はい、そうですが?」

「帰る」

 白石がリムジンに戻ろうとした。すかさず、クロードが白石の腕をつかんだ。


「だめ、ですよ?」

「ぅううっ!」

 うめいた。バックの廃病院と相まって、にやつくクロードがひどく狂気に思えた。


「逃がさ、ないですよ? 千まりちゃんのこと。今から付き合ってもらいますよ? たっぷりと」

「やめて! 離して! もうあたしをいじめないって約束した!」

「……いじめ? なんのことでしょう、全く身に覚えが。それより、はやくわたしと遊びましょ?」

 目をめいっぱいに細め、ひどく愉しげな笑みを浮かべながら、自らの執事に目配せをした。


「それではお嬢様、二時間後にお迎えに上がりますので」

「D'accord(ダコール).」

 了解、という意味の言葉をクロードが発し、執事はリムジンを動かした。


「ぁああっ!」

 走り去っていくリムジンに、千まりの悲鳴に似た叫び。


「ほら、動きなさい?」

「うっ!」

 クロードの膝蹴りが、千まりの脇腹に入った。制服の襟を引っ張り、軽く千まりの首を絞めながら、クロードは廃病院へ。


 正面玄関のガラスが割れていた。院内もひどい有様だった。古くさい木の床はささくれがひどく、廊下と室内を区切る窓はだいたいが無残に割れていた。その室内も、病室だろうと研究室だろうと物が散乱し、実に混沌としていた。


「あの、千まりちゃん? さっきからどうして、目をつぶっているんですか? ねえ?」

「うぐっ……」

 クロードは千まりのみぞおちにグーのパンチを入れた。


「目を開けて、ください?」

「いっいや……怖いもん」

「そう、ですか。それはしかたありませんね。では」

 クロードは、ずっと握っていた千まりの襟から手を離した。

 あれ? っと思った千まりは反射的に目を開けた。クロードの姿が消えていた。


「黒井……ちゃん? え? どこ?」

 外はもう夜であり、廃病院に電気は灯っていない。数メートル先までしか目視できなかった。暗闇の中、おそるおそる移動しながら、クロードの姿を探す。


 ともに高校一年で、同じクラスの黒井クロードは、友人の仮面をかぶった意地悪な子でしかなかった。みんなの前では、フランス語も交え千まりに優しく接してくれた。けれど放課後、千まりは日課のように校舎裏でのいじめに遭った。まず、クロードをよしとしない人物の愚痴に始まり、はらいせに、千まりを責めた。傷跡が残らない程度に暴力も受けた。見かけとは裏腹に腹黒で陰湿だった。やめてほしかった。さらにクロードは、あることないこと噂した。結果、クラスに千まりの悪評が立った。今まで友人でいてくれた子は、そのせいか自然と離れていった。悲しかった。みんなはそうでないかもしれない、しかしわたしだけは友人だというクロードは白々しかった。ほんとうは、クロードも千まりを友人だと思っていない。わかっていた。それでも、放課後もう意地悪はしないというクロードの言葉は嬉しかった。つい、信じてしまった。結果、ここに連れてこられた。結果、こんなところで一人きりにされてしまった。最初から、こうするつもりだったんだ。クロードは、千まりを困らせたいだけ、泣かせたいだけ。そこに、友人を思う気持ちはない。やはり、友人ではないから。あるのは、性根の腐った心だけ、なのかもしれない。


 かわいい顔は、汚い部分を隠すため、なのかもしれない。

 なにそれ。

 本当にこのまま、クロードを探すべきか疑問だった。

 べつに探さなくても。

「いいのかな……?」

 なんてことを思った自分を責めた。相手がどう思っているかは別として、千まりはクロードを友人だと思っている。友人だと、信じたい。

 それだけで、十分だ。クロードを置いて、ひとりこの廃病院から逃げ出す考えを捨てた。


「く、黒井ちゃーん」

 暗闇に正気を奪われそうになるも、つとめて落ち着いて彼女の名を呼ぶ。


 ふとあるものが目につき、千まりは立ち止まった。エレベーターの前だった。驚いたことにエレベーターは動いていた。脇の階数表示が切り替わっていた。

「黒井ちゃんが乗ってr……」

 る、が言えなかった。しゃがみ込み、頭を手で押さえていた。バランスがとれず、身を崩しそうになった。


 地震、だった。そこそこに揺れた。揺れが収まってからもしばらくは、しゃがんだままだった。腰が抜ける感じとはこのことだと思った。


 上の方から物音がした。金属板を足で思い切り蹴るような音。実際、金属板を足で蹴ったようだ。


「黒井ちゃん⁉」

 ひたすら蹴っているようだ。よく耳を澄ますと、「ぅううん!」だとか「くうっ!」という言葉が聞こえてきた。

 クロードはエレベーター内に閉じ込められたらしかった。脇の階数表示が消えていた。地震で停電し、結果エレベーターが動かなくなったようだ。


 千まりはまず第一に、救出しなければと思った。走って上階に行こうとした。しかし、後ろ髪を引かれでもしたのだろうか。急に足取りが鈍った。


 相手は黒井クロードだぞというささやきが聞こえた気がした。

 お前にさんざん毒を吐いたクロード……。

 お前のみぞおちを何度も痛めつけたクロード……。

 お前をクラスののけ者にしたクロード……。

 普通に助けてあげるというのは、人が良すぎるのではないか?

 少しは、自分が受けた痛みをクロードにも知ってもらう必要があるのではないか?

 そして初めて、彼女は千まりへの罪過を悔いるのではないか?


「んくっ……」

 階段をゆっくりのぼりながら、千まりは生唾を飲み込んだ。


 三階のエレベーター前に来た。千まりは、憑き物が落ちたようなすっきりとした顔をしていた。


「黒井ちゃん、聞こえてる?」

 クロードの乗った籠は、三階の少し下で止まっていた。ガラス越しに千まりがクロードを見下す構図だった。


「…………」

 無言。不本意。クロードは不服のようだった。


「二時間後、執事さんが迎えに来るって、確か言ってたよね」

「…………」

「本当に、迎えに来てくれれば、いいけどね。じゃ、あたしはこれで」

 手短に、さっさとこの場から立ち去ろうとした。

「どうして、ですか?」

「ん?」

 クロードがやっと口を開き、千まりの足が止まる。


「どうして、他人事みたいに言うんですか?」

「あー。だって、他人だから」

「わたしたちは友だ――」

「他人、なんでしょ? 黒井ちゃんにとってあたしは」

「それは、ちが――」

「じゃあ、」

 割と感情を込め、クロードの話を制止する。


「どうして……あたしに意地悪するの?」

「それは、」

「いいですよ。わかってるから。どうせ『なんのことでしょう? わたしには身に覚えが』でしょ」

「いえ、」

「嘘! さっき言った!」

 ここぞとばかりに、千まりは感情を発露した。


「あたしなんか、庶民のゴミくずでしかないんでしょ! 黒井ちゃんの、ストレス発散でしかないんでしょ! わかってるから!」

「落ち着いて、ください。おねが――」

「もういいから! わかってるから! あたしは! あたしは……」

 なにを思ったのか、千まりは急に声を潜めた。

「…………」

「あたしは……あたしは……。黒井ちゃんの、友達じゃ、ない」

「な…………」

 千まりの口から、そんな言葉を聞くなんてと、クロードは軽く唖然とした。


「友達じゃ……ないんだから!!」

「千まりちゃん……」

 最後に涙混じりの感情を込め、千まりは言い捨てた。そのまま走ってクロードから離れた。階段を降りたり、廊下を走ったり、なにかにぶつかったりしながら、夜の廃病院を駆けた。


 気づいたときには、正面玄関外の石段に座っていた。膝を抱え、顔を埋めていた。固く目と口を閉じ、千まりなりに感情を抑え込んでいた。


 ――だって、他人だから。

 ――友達じゃ、ない。

 クロードに向けた言葉がリフレインする。


 取り返しのつかないことを言ってしまった自信はあった。

 それならそうと、クロードは他人であり友人ではない、と切って捨てればいい。

 無理だ。それはできない。

 だって、

 だってあたしは、黒井ちゃんの友達だから……。

 矛盾している。

 それなら、友達じゃない発言は嘘? これならつじつまは合うけれど……。

 自分の中だけだ。クロードは、嘘とは知らずに受け取った。


 馬鹿だ。

 本当は、意地悪をやめてほしいだけなのに。

 そのために、友達じゃない、なんて言っちゃって。

 馬鹿だ、あたし。

 いや、違う……。

 また誰かが、千まりにささやいた気がした。

 これでいい、計画通りだ……。

 クロードには一度、自らの罪過を思い知らせなければならない……。

 そのためには、非情になるしかない……。

 ほら、千まり、さっき思いついただろ、クロードを懺悔させる方法を……。

 やっちゃえばいいんだよ、こんなチャンス二度は訪れない……。


「懺悔、方法」

 ある、残酷な考えが千まりの脳裏に浮かぶ。


 ひどいことだとは思うが、それ相応のことをクロードは千まりにした。

 そう思えば……。

「おや?」

「え⁉」

 突然の声にはっとした。顔を上げると、クロードの執事が立っていた。そのさらに後ろにはさきほどのリムジンが止まっていた。


「あなたは……こほん」

 名前がわからなかったようだ。


「お一人ですか? クロード嬢は……」

「えっと、」

 なんと言うか迷った。


「ちょっとはぐれてしまって、どこにいるのか」

 とっさに嘘が出た。


「まだ、この中だと思いますけど」

 廃病院を指さした。


「そうですか。では、探しに参りますかな」

「い、いってらっしゃい」

 他人事と言った以上他人事だ。そう自分に言い聞かせて、廃病院へと歩み出した執事を見送る。

 実に、無防備。背中ががら空きだ。

 今なら……。

 今なら、何だというのか。


 そろりと、千まりは立ち上がった。肩に提げていた通学鞄から筆箱を取り出した。チャックを開け、さらに鈍く光るもの取り出した。


 カッターナイフ。


 カリカリカリカリ……。

 その刃を五センチぐらい出した。

 抜き足差し足、息を潜め、執事との距離を縮める。


 十メートル、八メートル、六メートル……。

 五メートル。

「うんんっ……!」

 刃を前に突き出したまま、執事めがけ疾走。

 あとわずかだった。あとわずかで、刃を突き立てられた。


「何事ですかな?」

 執事がこちらに振り返っていた。しかも、千まりの右手首をしっかりつかんでいた。


「くうう……ううう!」

 力をどんなに込めても、カッターナイフが執事に突き刺さる気配はなかった。


「まさか、かようなところで命を狙われるとは」

 執事は左の拳で、千まりの右手首を叩いた。しびれて右手からカッターナイフを取り落としてしまった。


「執事たる者、主人に近しい者として簡単にやられてはならんのです。さて、事情とやらを聞きますよ」


 千まりは、リムジンへ連行された。まず、クロードがエレベーターに閉じ込められていることをしゃべった。つぎに、この機会に乗じて、自分に意地悪したことをクロードに後悔させようとしたとしゃべった。


「そのためにわたくしを手にかけようと……。恐ろしきかな」

「ごめんなさい。エレベーターの中で、ずっと反省してもらいたかったから。執事さんが来て、すぐに助けられるのは嫌だったから」

「なるほど……と納得してはいけない気がしますな。ともかく、移動しなくては。ここでは電波が入りません」

 クロードに後悔させようとした云々より、まずはクロードの救助をと思っているらしかった。電波が入る地点までリムジンで移動すると、ケータイで警察に連絡した。


 終わっちゃった、と千まりは思った。あたしが、黒井ちゃんより優位に立てる時間は終わり。あーまた明日から、黒井ちゃんとのいつもの日々、意地悪、さ・れ・る。


 リムジンの中、千まりは光沢感ある天井を仰いだ。行きのリムジンとは大違いだと思った。



 と、いうわけで翌日。平日。午前中は、警察の取り調べにあった、というより、こってりしぼられた。不法侵入だとかなんとか言われた。


 で、学校に来たのは午後から。クロードはまだ来ていなかった。今日はもう来ないのかと思ったときに、クロードからメールが来た。今日の放課後、いつもの校舎裏で待っているとのこと。用件はかかれていなかった。だいたい、予想はついた。


 放課後、千まりは約束通り校舎裏に来た。クロードは既に来ていた。そして、千まりの予想は見事に裏切られた。


Je() suis(スィ) désolé(ディゾリ)」

 お得意のフランス語だった。なにを言っているかは、クロードの姿をみれば一目瞭然だった。


「面を上げい! なんてね」

「はい……」

 クロードは、混血の見目麗しい顔を千まりに向けた。申し訳ないという気持ちがひしひし伝わってくるくしゃくしゃの顔だった。


 それにしても、土下座とは。予想外だった。

 用件は? と聞くより先にクロードは文言をつらつらと並べていった。


「千まりちゃん、昨日はごめんなさい。今日は、昨日の謝罪とこれまでの謝罪をしに来ました。聞いて、くれますか?」

「えっと、うん、お願い」

 ずっと土下座させるのはどうかと思うが、見ていて気持ちが晴れ晴れするので、このままでと思った。

 一字一句丁寧に、謝罪の言葉を述べていった。昨日のようなことは二度としないし、千まりへの意地悪も金輪際やめるとのこと。


 クロードは自分の言葉ではっきりと言っているように思えた。言葉に重みというものがあった。


「いいよ、土下座やめて」

「はい、恐縮、です」

「でも、なにがあったの?」

「え?」

「てっきり今日も意地悪されると思ったんだけれど」

「ああ……。えっと、じいにいろいろ言われまして」

「じいって、昨日のあの執事さん?」

「はい」

「もしかして、生まれて初めて怒られたとか?」

「はい、恥ずかしながら」

「怖かったんだ。それでもう怒られないように、いじめはやめようって?」

「それは、違います」

 はっきりと否定した。


「説得、されたからです。あなたに、わたしから歩み寄るようにと。あなたの心を癒やせるのはわたしだけだからって。ちょっと自意識過剰な面もありますけど、わたしができることは、あなたに与えた傷のリカバリーなんだって。だから、それがしたくて」

「うーんと、それは過去を反省してのこと?」

「えっと」

 おいおい、そこで詰まるのかと千まりは思った。


 そして、

「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」

 堂々と言い放った。昨日も口にした、この言葉。

「だから、わたしは、千まりちゃんの心をいやしたい。意地悪は、もう十分だから」


 人生において、私たちはしなかったことを後悔する。


いかがでしたでしょうか。どんな感想でも、残していただければ幸いです。不満、疑問といったことでもかまいません。たいへん励みになります。

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