5
むしゃむしゃと咀嚼する音が響く。その度にパラパラとパンのかけらが落ちる。
しかしこの女、『ミラ・L・クラウレス』は気にすることなく食事をとっていた。
誰一人いないこのパン屋では、何をやっても咎められない。それ故彼女は、カウンターに腰掛け、足を組んでいる。
「アンタ食べないの?」
最後の一かけらをゴクリと飲み込むと、ミラはこちらに目を向けた。手で服についたパンくずを払う。
「いや、俺はいいよ」
「餓死しても知らないわよーっと」
ミラはピョンと飛び降りると、近くにあった棚からフランスパンを手に取る。ザクりと噛みちぎりながら、再びカウンターに飛び乗った。
こいつこれで5個目だぞ……?食べ過ぎだろ。
俺は傍に置いておいたペットボトルを取り、キャップを回した。透明な水を口に流し込む。
不思議と腹は空いていない。ガラス越しに見ると、外はもう闇に染まっていた。
ミラと会ってから、特にまた誰かと会うこともなく、このパン屋にたどり着いた。
この街はゲームの参加者以外誰もいないので、腹が空いたらこうして勝手に食べていいらしい。正直気は引けるが、いざとなったらもらおう。
「なあミラさん―――」
振り向き様に言う。しかしミラからの返答は無い。俯いて、ピクリとも動かない。
俺は立ち上がり、ミラに近付く。垂れ下がった顔を覗き込むと、瞼を閉じて小さな寝息を立てていた。
…………寝てるのか?
「急だなぁ………」
さっきまで勢いよくパンをちぎってなかったか?まぁ………疲れたのかな。こんなデカい銃を持ち歩いてるし。
ふと、カウンターに立て掛けてある銃に手を伸ばした。どのくらいの重さなのかが気になった。
少しくらい触ってもいいよな……?
「おりゃっ」
謎の声の直後に何かが突き刺さった。右足に。
痛みに耐えながら見てみると、右のふくらはぎには矢が刺さっていた。そこから血が流れ出ている。
俺は雑に矢を抜いた。
「やったー!当たったー!」
傷口を押さえながら振り向くと、入口に女子がいた。黒のセーラー服にスカート、赤いリボン。ぴょんぴょん飛び跳ねる度、二つに結われた茶髪が揺れる。
俺は知っている。こいつ自体は知らないが、この制服は俺の学校のものだ。
だがいつも学校で見る姿とは少し違う。
普段は弓を持ち、背に矢筒を下げてなんかいない。
女子はひとしきり喜んだのか、跳ねるのをやめ、俺を見た。
「あたし初めて弓使ったのー!すごくない?!」
言いながら矢筒から矢を掴み、こちらに構えてくる。俺は双剣を取った。
初めて使ったとは思えない命中率な気がする。その標的が何故俺なのかは分からないが。
………ていうかこいつ、いつここに入った?
「………と見せかけてっ」
「ッ――――?!!」
急に向きを変えた。そのまま矢が放たれる。俺はすぐさま反応した。
つもりだった。
――――――ドスッ
矢はミラの顔の真横のカウンターに刺さった。
「あーあ、ハズレちゃったー」
女子はむすっと頬を膨らませた。
危なかった………最初からミラを狙っていたのか。狙われてるってのは本当みたいだな……。
俺はミラの肩を掴み、激しく振った。しかし声をかけてみても、彼女は起きなかった。まるで死んだかのように、すやすやと眠っていた。
「起こしても起きないよー?」
「………なんでだ?」
「だって薬飲ませたんだもんっ」
えっへんと女子が腰に手を当てる。
薬……?何の薬だ?睡眠薬?なんでそんなもんこいつが持ってるんだ?それにこいつ、どうやってミラに飲ませたんだ?
――――……あっ。
「まさか………パンに?」
「そーう!だーいせーかーい!ここのパン全てに睡眠薬入れといたんだー!」
女子が称賛の手を叩く。嬉しくない。喜ぶどころか、段々と血の気が引いていく。
再びミラを見る。相変わらず夢の中だ。心做しか、肌が真っ白く見える。
たしかミラ、パン5個くらい食べたよな……?
まさか死んでたり……してないよな……?
「どんくらい……入れたんだ……?」
「えー?うーん、忘れちゃったー。でもさ」
「………?」
どうしてそんなこと気にするの?
絶句した。
なんで気にするかだと?そんなの決まってるだろ。
「死んだかもしれないんだぞ……?」
「だってこれ、そーゆーゲームじゃん」
……………は?
「ッ!!」
左脇腹を矢が掠った。服が破ける。女子は次の矢を取り出していた。
狙いを定めたその目は、とても同じ学校に通う女子とは思えない。
百戦練磨をくぐり抜けてきた戦士のような目―――。
「油断してると死んじゃうよ?」
「くそっ……!」
俺が走り出すと同時に、矢が放たれた。矢は俺の顔ギリギリを掠める。
俺は右腕を振った。刃は虚空を斬る。
外に跳んだ女子は、着地するとまた矢を放った。避けようと右に跳ぼうとしたが、痛みで一瞬遅れた。左肩に矢が突き刺さる。その場に片膝を着いた。
「いっつッ……!」
「お次はこれだよっ!」
急いで矢を抜き捨てる。女子は同じように、矢筒から矢を取り出す。
しかしその矢は、今までの白とは違い、紫の羽を持っていた。嫌な予感がする。
あれに当たったら死ぬ―――。
「くらえーっ!」
「喰らうかッ!!」
俺は走った。真っ直ぐに女子に向かうのではなく、なるべく狙いにくいように蛇行しながら。
女子は矢先を俺に合わせて動かす。しかし当然狙いは定まらない。女子は下唇を噛んだ。
「止まってよ!!当たらないじゃん!!」
「わざわざ死ににいく馬鹿が何処にいる!!」
女子が怒号ついでに放った矢は、明後日の方向へ飛んでいった。その隙に俺は女子に十分近付いた。
次の矢がセットされる前に……!
「「くらえぇええええッ!!!」」
―――――――パーンッ
俺が振るった剣は、女子の弓を真っ二つに斬った。破片が飛ぶ。
それと同時に、俺の左頬から血が飛び散った。
激しい痛みに、俺は膝から崩れた。乾いた音を立てて剣が落ちる。
傷口を触ると、手にも痛みが生まれた。すぐさま手を離す。
「ふふっ……今放ったのは毒矢だよ……?」
勝ち誇ったような、だが苦しそうな声が降ってくる。見上げると、女子が苦い顔をしながら微笑していた。腕からは出血している。弓を斬った時、腕まで斬れたらしい。どうも感触が生々しかったわけだ。
女子は矢筒から矢を取り出した。紫羽の毒矢。
頭の中で誰かが逃げろと言っている。だが逃げられなかった。毒のせいなのか恐怖のせいなのか。体が動かない。
女子が矢を振り上げた。
俺はきっとここで死ぬ運命なんだ。
「……さようなら」
眼前に鋭い死が迫った。
―――――――グチャアッ