棺と列車
がたんごとん がたんごとん
西日が窓から差す。左の頬を照りつけるそれは、徐々に傾いていた。秋の日差しだ。そのうち明かりが点るだろう。車内の天井を見上げてから、自身は視線を降ろした。長旅だ。ボックス席に相乗りをした女性に声を掛ける。
「日が落ちる前に、着くといいですね」
「ええ。今時期は、月も出ませんから」
黒い手袋に、黒いツーピース。それにトークハット。口元を白いハンカチで押さえる。顔は深いヴェールでうかがい知れない。それでも、中年に差し掛かった女性だろうとは察しがついた。そんな彼女の隣には、棺桶がある。黒い、重厚な木彫りの棺桶だ。
奇妙な事に、この列車のボックス席は、3人分だ。2人がけの椅子に自分が。向かいには、ひとり分の椅子。背中合わせの椅子も同様で、そしてその分の床を占領して、棺桶が鎮座していた。
「夫なんです」
「ご職業は」
「公務員でした。市役所で、戸籍を管理してましたの」
西日が差す。橙色の光も、真っ黒な棺は光を吸い込む。いかにも重そうだ。成人男性が入っているならば、うっかり蹴躓けば痣が出来そうだ。寡黙な棺は、夫人の伴侶の為人を表していた。夫人は、俯きがちにこぼす。
「心の臓を呪われまして。あえなく、若い夫婦者に刺し殺されました。青いボールペンで」
「それはそれは。ボールペンなら、抜くのが大変だったでしょう」
「ええ。何せ、そのボールペンは市役所の備品だったのです。お返しした時には、使い物になりませんでした。お恥ずかしい」
「それでも、ボールペンは自分が果たすべき役目を終えたのでしょう。良い事でしたよ。ご主人も満足でしょう」
語らう自分達に対し、棺はどこまでも沈黙を保つ。この中には、胸に穴の空いた男がいるらしい。成る程、孔を空けられれば喋る気もなくすだろう。ひとり頷き、夫人の問いかけに耳を傾ける。
「見たところ、お年を召してらっしゃる。どこの鉢植えで眠られるの」
「なに、やはり、3軒向かいの家の庭にある、割れた素焼きの鉢植えが具合が良い。それを飲み込んで眠るつもりです」
「素晴らしいわ」
夫人はいった。
暫く、棺と一緒に沈黙する事にした。自身も話題の種が尽きたので、腕を組んで窓に寄り添う事にする。冷たいガラスが、じりじりと地面に寄り添う太陽を照らしている。
やはり、次に口火を切ったのは夫人だった。
「でも、よかったわ」
「なにがです」
「息子は、散歩に出たまま帰ってきません。きっと魂を部屋のベッドに置いてきたんだわ。だから、呪われる事もなく、戻っても来ません」
夫人は、寄り添うように棺に目線を落とす。
「これが息子でなくてよかったんです。夫だから、この棺に魂を落とせます」
そして、目の前の夫人は、棺に手を触れた。そして、徐々に徐々に、その姿は、西日の中で、溶け消えた。
やがて夫人はいなくなった。代わりに、真っ黒な棺。それに掘られた十字架が、いつの間にか橙色に染まっていた。
日が落ちる直前、列車が止まった。無口な乗務員が2人、やってきて、棺を運び出していく。それを見送り、視線を戻す。
気がつけば、同じ顔の乗務員が2人いた。新たな棺の蓋を開いている。素焼きの棺の中は、気持ちよさそうな黒い布張りのクッションに覆われていた。
無表情の乗務員に向けて、にかりと笑った。
「これは、素敵な乗り物をありがとう」
さて、次は誰が来るのだろう。出来れば、若い人がいい。願いながら、立ち上がった。
がたんごとん がたんごとん がたんごとんがたんごとんがたんごとん
ごとん
End.