002 聖女、ホーリス=グロートスの覚悟
勇者の物語のエンディング、魔王が滅び、そしてこの物語のプロローグ
私達は、遂に最後の敵の目前まで来ていました。
「この扉の奥に我欲の魔王が居るんだな」
私の父親で、グローリー王国の国王から遺物の剣、育牙を継承した勇者で私の夫、ユシャンの呟きに私は、静かに頷きます。
「ここまで来たのだから、絶対に倒して、祝勝会で美味しいものを食べましょうよ」
笑顔でそう続ける女性は、共にここまで戦った冒険者で、大陸でも指折りの精霊魔法の使い手、トラッセ。
「当然だ。息子と娘に父親が魔王を倒した勇者だって自慢させてやるさ!」
ユシャンは、そう断言して、扉を開きました。
開かれた扉の先に居たのは、一人の人型の魔族。
「随分と普通ね? 今まで戦ってきた魔王とは、違うわね?」
トラッセが首を傾げるのも当然です。
今まで戦ってきた何人かの魔王は、巨大な肉体を持ち、恐ろしい姿をしていたのですから。
しかし、私は、その姿の魔族に心底怯えていた。
「貴様が我欲の魔王か!」
ユシャンが育牙を突きつけられてその魔族は、鷹揚に頷く。
「そう、我こそが我欲の魔王だ。貴様等が我が配下の魔王を滅ぼした勇者だな?」
魔族、我欲の魔王の言葉にユシャンが応じる。
「そうだ! そして貴様も倒して、お前によって踏みにじられつづける人間を解放する!」
「ならば、来るが良い」
我欲の魔王は、椅子に座ったままであった。
「舐めるな!」
一気に詰め寄るユシャンが育牙を振り下ろした。
何体もの魔王を滅ぼした育牙の刃が我欲の魔王の手で受け止められた。
「これが限界なのか?」
「そんな挑発に乗るか!」
ユシャンは、一度下がりました。
次の瞬間、様々の精霊による部屋を覆いつくすような攻撃魔法が放たれた。
「これならいくら魔王だって無傷な訳が……」
言葉の途中で、トラッセが長い一直線だった通路を吹き飛ばされ、見えなくなった。
「見事な精霊魔法だったが、残念だが、精霊魔法程度では、簡単に防げる」
私は、見た。
我欲の魔王の額の帝紅眼が禍々しく真っ赤に輝いている事を。
「私は、貴方に全てをかけます」
そう告げて私は、嘗て育牙を手にした父親ともに魔族と戦った亡くなった母親から受け継いだ、精神物質でもある翼を広げた。
『偉大なりし神よ、邪悪なる存在の力を打ち消したまえ!』
聖なる力で輝いた羽根が部屋を覆い、我欲の魔王の魔力が無効化される。
「長くは、保てません!」
「直ぐに終わる!」
ユシャンが全力を振り絞り、切り込んでいく。
「ふむ、確かに力が全て封じられているな」
その様な状況にありながらも我欲の魔王は、椅子に座ったままであった。
「そのまま死にやがれ!」
ユシャンの一撃が我欲の魔王の体を捉えた。
勝利を確信したその瞬間、ユシャンの体が天井に打ちつけられた。
天井に大きな皹を入れてからユシャンが落下してくる。
私は、慌てて駆け寄り、壮絶なダメージを食らったユシャンに手を向ける。
『神の絶対の慈悲にてこの者を癒したまえ』
回復を行う私だったが、その手が握られた。
この場所でその様な事が出来る相手は、一つしかいない。
「外部に対して魔力は、放てなくても体の中までは、貴様の奇跡術も効果を及ぼさなかった。だから肉体の内部の表層に近い部分に魔力を集中してそれの刃を防ぎ、逆に吹き飛ばしてやったのだ」
私が疑問に思っていた事に答えながら我欲の魔王は、服を剥いで押し倒して来た。
「待ってせめて彼を癒してから」
「待つ理由が無い」
交渉の余地も無く、私の意志など無視してそれは、行われ続ける。
彼とのとは、違うそれに、私は、絶望を覚えた。
しかし、私の視界に映った彼が起き上がり、育牙に死力を、魂まで籠めるのを見た時、私は、既に発動していたが切れかけていた奇跡術に残った力を注ぎ込んだ。
そして、育牙が遂に我欲の魔王の心臓を貫いた。
驚きの表情で私の中に子種を吐き出していた我欲の魔王に告げる。
「この状態ならば、貴方の内部にも奇跡術が有効だったみたいです」
我欲の魔王は、ユシャンを見るために振り返った状態で絶命した。
「……すまない」
ユシャンの言葉に私は、首を横に振る。
「良いのです。こうして人々を苦しめた我欲の魔王を倒せたのですから」
「だが……」
ユシャンの握った拳から血が滴り落ちていくのを私は、癒すことを出来なかった。
我欲の魔王討伐の報告をした私を待っていたのは、父親が納めるグローリー王国の辺境にある塔での幽閉生活だった。
ユシャンは、最後まで反対していたが、仕方ない事だった。
私の御腹が大きくなっていったのだから。
それが何を意味しているのか、万が一の事を考えれば幽閉は、仕方ない事であった。
万が一の可能性を考えて同姓のトラッセが立ち会う中、私の出産は、行われた。
そして、万が一の事が起こってしまった。
私の産んだ少女の額には、帝紅眼があったのだ。
それだけでは、無く、その左手には、我欲の魔王にあった魔王印までもがあったのだ。
周囲の物が絶望に言葉を無くす中、私は、自らが産んだ赤子を見る。
そこに邪悪さを感じる事は、出来なかった。
「この無垢な命には、何の罪もありません」
そう口にする私に周囲の者殆どが説得しようとしてくる。
「今は、そうかもしれませんが、何れは、人々を苦しめる邪悪な存在になります。ですから……」
その先を口にする者は、居なかったが、何を言いたいのかは、解る。
「悪行を成す前に天に返す事だけがその赤子に残された唯一の救いなのです」
シスターの言葉は、正しいのかもしれない。
それでも私は、応じる事は、出来ずに居た。
「あちきが預かるよ。その力を悪用するようだったら、私が殺すよ」
トラッセの言葉を私は、受けた。
無論、他の周囲の人間は、反対したが、半ば強引にトラッセは、産まれたばかりの私の赤子を手に出て行こうとする。
「どうか、その子を、コプンをよろしくお願いします」
頭を下げる私にトラッセは、何も応えずに去っていった。
私に出来たのは、コプンがどうか健やかに正しく育つことを祈るだけだった。
○我
遺物、育牙を携えた勇者がやってくるという報告をディスゥがしてきた。。
配下の者達は、危険視し、慌てて防衛準備を始めていたが、我は、どうでも良かった。
「それよりも、例の物は、見つかったのか?」
「いえ、しかし……」
反論しようとするディスゥを我は、睨む。
「我が命を忘れたのか!」
「違いますが、我欲の魔王に何かがありましたら……」
くだらぬ事を言うディスゥを壁まで吹き飛ばし告げる。
「次に我が前に来た時、アレを持っていなければ死ぬ時だと思え」
我の理不尽の行いに配下の者達は、怯えるが知った事では、無かった。
ディスゥが探索に出てから程なくして城内が騒がしくなる。
配下の者達は、慌て、無駄に騒ぐ。
我は、遺物でもある、椅子の力で城内の様子を探る。
するとディスゥの報告してきた人族最強の勇者と奇跡術の使い手、厄介な精霊魔法の使い手が配下の魔族を撃ち破り、我が元に向かってきているのが解った。
興味が無いような素振りしていたが、実際は、それなりに愉しみであった。
我欲の魔王と呼ばれる様になってから我は、己の欲望に赴くままに行動した。
多くの者と敵対した。
その中には、当時に我より強き者、賢き者、器用な者、卑怯な者、冷徹な者、様々の力で我を上回り、苦しめた者達が居た。
しかし、ここ百年、そういった事が全く無くなって居た。
敵対する魔王は、あっさりと降伏し、討伐に来た勇者は、貧弱、高名な多種族の者の知識や技も既知の物。
我を琴線に触れる存在は、居なかった。
今回の襲撃は、久方ぶりのその様な存在になるやもしれないという期待があった。
そう時間も掛からず、勇者の一行が我が前に立った。
血気盛んな勇者が何か喚いて遺物、育牙を振るって来たので、業と素手で受け止めて落胆した。
育牙とは、何度か戦った事があるが、それらと比べても力が足らない。
育牙は、使用者と共に成長する遺物だ。
それがこれだけの力しかないとは、人類最強も高が知れてしまう。
一旦引いた勇者に代わり、精霊魔法使いが攻撃してくる。
こちらは、我が知る中でも屈指の技量を持っていた。
しかし、どの精霊魔法も我の既知の魔法であり、対処方法は、簡単だった。
興味が無くなった我は、魔力の波動で精霊魔法使いを弾き飛ばした。
次に動いたのは、奇跡術の使い手だった。
その力で部屋を覆い、我の魔法を封じた。
ある意味、我にとって最も効果的な対処であろう。
そこに勇者が育牙で斬りかかって来た。
奇跡術の効果で先ほどと同じ真似は、出来ない。
しかし、体内を廻る魔力をコントロールして、斬られた直後に防ぐ事が出来た。
これが出来るという事は、もはやこの勇者は、敵に成らないという事が確定してしまったのだ。
一気に興味が薄れていくのが解った。
吹き飛ばした勇者が天井に激突して、落下する。
最早、その後どうなったかも気にもならない。
生きていようが死んでいようが、どうでも良かった。
下手に期待したのが不味かった、普段抑えている虚無感が襲ってくる。
何故この世界を捨てずにこの世界に残ってしまったのか。
それは、後悔なのかもしれない。
新たな世界に赴く道は、確かにあった筈だ。
しかし、我は、まだこの世界に見たことが無いものがあるかもと思ってしまったのだ。
その判断が間違っていた、そう感じてしまったら全てが虚しくなる。
そんな中、眼に入ったのは、奇跡術の使い手の女。
そういえばまだ天族の女を犯した事は、無かったな。
はっきり言えば、単なる気晴らしでしかなかった。
相手が天族だろうが、今更女を犯しても興奮すらしない。
下手に芽生えた好奇心の熱を散らすその為だけに女を犯した。
ただそれだけだった。
しかし、それが我の想定外の事態を招いた。
我が胸に育牙が突き刺さっていた。
別に油断していない、背後からだろうと育牙を突き立てられても表層で食い止められる筈だった。
計算違いが二つ存在した。
一つは、この状態、女と一つになっている情況が、我が体内にも奇跡術の影響を与えた。
もう一つは、この状況で一気に覚醒したのか育牙の力が格段上がっていた。
目の前にある女の顔には、こんな状況でも最後のチャンスを生かす決意が籠められていた。
その表情に、久方振りの興奮を覚え、子種を放っていた。
致命傷を受けたのは、どれだけ前の事だろうか。
さてここからは、時間との勝負だ。
奇跡術で阻害されているとしても、貫かれた心臓の代わりを作り出し、更なる攻撃の前に相手を殺せるか、それで勝負が決まる。
思考を加速させながらこれから戦わん敵になるべく相手を見てしまった。
思考が止まった。
この状態で思考が止まった事が勝敗を決した。
最後の瞬間、我の胸に浮かんだ感情は、呆れだった。
何故ならば我を突き刺した勇者の表情に浮かんでいたのは、自分の女を奪われた嫉妬の感情だけだったからだ。
そこには、勇者として世界を救う尊い気構えも、犯されたい女への配慮も無い、純粋に自分の独占欲を犯した我に対する怒りしか無かった。
矮小過ぎる、こんな下らぬ男と命を懸けて戦う、そんな真似は、我がプライドが許さなかった。
滅びる事に恐怖は、無かった。
少なくともこんな小物相手に全力を出して戦うなんて無様な真似をするくらいなら滅びた方が何倍もましだ。
唯一心残りがあるとしたら、ディスゥに命じた例の物だけ。
もう少しで手に入るかもしれないそれだけが心残りであった。
しかし、そんな我の思いも育牙の力による滅びが消し去っていく。
我は、我欲の魔王は、ここで滅びた。
我欲の魔王が滅びて暫くの時が経った。
我は、何者と言われれば我欲の魔王の魔王印を継承する者と答えるだろう。
我は、まだあの女の胎内に在る。
魔王印の知識の継承、その中にある拡張思考を使って胎児の状態でも思考能力を有している。
もう一度言おう、我は、我欲の魔王の魔王印を継承する者であり、我欲の魔王のその者でも、その転生でも、何でもない。
別の存在と言うべきだろう。
しかしながら、母体から生れ落ちた我を、我が魔王印を見た人族は、我を我欲の魔王と看做すだろう。
その場で殺されるか可能性は、かなり高い。
我欲の魔王の最後より何倍も危険な状態だ。
しかし、それを危惧する事は、無かった。
なにせ、まだ生まれてすらいないのだ、後悔もしようがない。
もしも殺されようがこの魔王印は、他の我欲の魔王の血を引く者に引き継がれるだけ。
それでも、我は、生き残る為の努力をしようと考えていた、何故ならばそれが通常なら諦めて当然の至難な事だからだ。
我欲の魔王、その記憶の中にある至難に挑む快感が我を揺り動かす。
我欲の魔王の影響と言われても仕方ないが、あの限界まで思考を走らせ、尚も足らないかもしれないという 自分の限界を搾り出す事への狂喜は、我に戦いを決意させるには、十分だった。
そして、戦いの時が来る。
胎内から産み落とされた我に周囲の人間の苦悩の思念が襲ってくる。
眼も耳もまともに機能しない中、魔力で補助して感じている思念だけが我を戦いの場に促すはずだった。
しかし、ここに至りまた想定外の事が起こった。
我を産み落とした天族の女が我の存命を願ったのだ。
こうして、我は、肩透かしをくらい、あの戦いにも参加していた精霊魔法の使い手に育てられる事になるのであった。
少しエッチな表現もありますが、それもまあ必要だからって事で。
魔王を滅ぼした決め手が勇者の矮小さって所がこのシリーズの面白いところだったりします。
まだシリアス大目ですね。
基本この、最初にヒロイン以外の一人称から、その後、ヒロイン視点からのお話って形式になります。
次回は、ヒロインのチートさがどんどん発覚します