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徒花  作者: 似櫂 羽鳥
第一章
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四、 影

 美術室は蜘蛛の巣のようにタコ糸が張り巡らされていた。机から椅子へ、椅子から窓へ、縦横無尽に渡された細い線をかいくぐり、出入り口の扉へ最後のパーツを取り付ける。

 予想以上に大掛かりな作業の途中で桔梗に仕掛けを聞いたのだが、彼女はただ一言、

「単純なワイヤートラップの応用です」

 と答えただけだった。足元の糸に引っかかると鈴が鳴り、敵の居場所を教える程度のワイヤートラップなら知っている。しかしここまでの大規模なものは当然ながら聞いたことがない。準備室に放置されていた資材だけで、敵の襲来どころか攻撃まで兼ね備えた罠が完成した。

「こっちはオッケーだ! 綾、そこの糸踏むなよ!」

 敦盛にかけられた声で危うく足元のタコ糸を避ける。桔梗は準備室の扉の前で、手に持った設計図と部屋を見比べ、欠陥がないかを確認していた。

「多分、これで大丈夫です。入り口を開くとそこから全ての糸が連動して、まず空き缶が音を立てます。私は準備室に立てこもるつもりですが、充分聞こえるでしょうね。さらにそこから一歩踏み出すと、下の糸が切れてそこの―――そう。綾君の足元にある彫刻刀が床に刺さります。もしかしたら足に刺さってしまうかも知れませんが、そこまで威力はないので…」

 出来上がった罠の一つ一つに指をさし、俺達がそれを目で追う。何重にも仕掛けられたそれらは全て相手を牽制したり、足止めする程度の力で留められていた。

「…そして私はこの鏡越しに、入り口を見張ることができます。これだけ厳重にしておけば全てを抜けるのは難しいと思いますから、私がその隙にここから脱出することも不可能ではないでしょう。私は抜け道を把握してますから、いざとなったら逃げ出して、相手をこの教室に閉じ込めてしまえば時間も稼げますし」

 説明を聞きながらこちらへ戻ってくる敦盛に「そこ。気をつけて」と声をかけ、桔梗はノートを閉じた。彼女の的確かつ明瞭な指示のおかげで、作り上げるのに30分もかからなかった気がする。

 安全地帯の準備室前に三人が集まり、顔を見合わせた。ふっと敦盛の頬が緩んだ。

「よかった。いつもの委員長だ」

 突然投げかけられた敦盛の言葉に、桔梗が一瞬目を見張り、すぐに頬を赤くして視線を泳がせた。敦盛も照れたように鼻をかくと、

「さ、さーて、じゃあ俺達は行くか、綾」

 不自然に俺を見た。

「あ…ああ。とりあえず拠点は美術準備室で」

「だな。誰か見つけたら説得して、ここに連れて来よう。委員長の怪我が良くなったらみんなで団体行動だ」

「でも…本当に大丈夫なのか? 一人で残るなんて…」

 いくら罠を仕掛けたからといって、全ての疑念が取り払われたわけではない。しかし桔梗は力強く言い放った。

「大丈夫です。二人が戻ってくるの、待っていますね」

 その表情には一点の曇りもなく、それ以上俺たちは何も言えず教室を出るしかなかった。最後に俺たちが来たとわかる合言葉を決め、準備室の扉を内側からしっかり目張りすると約束して。扉が閉まった直後、ガタガタと音がしていたのはその目張りをした証拠だろう。少しだけ安心して、敦盛と俺は桔梗が降りてきた階段の方に向かって歩きだした。

 その途中で、違和感に気づく。俺の感じたそれと同じものを敦盛も察したようで、眉をひそめた。

「…綾、大和先輩が」

「…ああ。いなくなってる…」

 先程桔梗を助け出したあと、確かにここで敦盛が彼を気絶させたはずだ。しかし足元の床には何一つ残っていない。殺したわけではなかった。妙な安堵はあったが、それよりも彼の行方が気になり身震いした。

「やっぱり、あの後復活したんだ。きっとあいつは委員長を探してこの辺りをうろついて…」

「…見つからなくて、どこかに行った」

「…だろうな」

 飛燕は美術室に隠れていた俺達を見過ごした。理由は分からないが、桔梗に何故か執着していた彼はまだ彼女を探してどこかを彷徨っているのだろう。上か、下か、あるいは…近くか。

 咄嗟に二人で周囲を見回し、人の気配がないことを確認する。しかしわからない、どこか近くの教室に潜んで、回復を待っているのかも知れない。悪い予測は尽きず、俺の心を揺さぶってくる。

「なぁ、綾…俺、ちょっとこの近くで様子見るわ。委員長…心配だしな」

 敦盛がそう言うだろう、と何となく解っていた。

「お前、文ちゃん探しに行くんだろ? 先、行ってろよ。一通りこの辺見回って、何もなかったら追いかけるからさ」

 素直に頷けない。もしもの不安がしつこく語りかけてくる。

「…でも、危険だ。さっきは上手いことやり過ごせたけど、一人になったら…どうなるかわかんないだろ。別行動で危険が増すくらいなら、俺も残る」

「大丈夫だって。本気でやばくなったら委員長と一緒に立てこもるしさ。あそこには委員長特製トラップもあるしな」

 いつものように笑う敦盛を見ていると、俺はもう何も言えなくなって、頷くしかなかった。

「…わかった」

 下り階段の前まで、敦盛はついてきてくれた。踊り場で彼は立ち止まり、拳を上げて俺を送り出す。視線だけでそれに答えて、振り切るように段をを駆け下りた。明かりの入らない道は薄暗く、足元の闇に吸い込まれそうになってしまう。気づけば無意識に、腰の刀へ手をかけていた。

 正直、怖かった。一人になりたくなかった。折角出会えた仲間と、離れるのが恐ろしかった。けれど弱気な事は言えない。後ろ髪を引かれるように何度も階段を振り返りながら、俺は歩を進めた。

 一階は静寂が耳に痛いくらい、しんとしていた。耐え難い孤独感が俺に襲いかかる。桔梗から貰った地図を広げ、まだほぼ白紙の部分に頭で見取り図を書き込んでいく。桔梗からペンを一本借りてくれば良かった、と後悔したがもう遅い。必死で脳内に叩き込むしかなかった。みしり、みしりと自分の足音が妙に大きく聞こえた。

「…くそっ」

 上と基本の作りは変わらない。しかし俺の目に映った最大の違いは―――俺と同じ制服姿の、骸だった。廊下の隅や真ん中、あるいは扉の朽ちた教室の中に、それらは無造作に転がっていた。人影を見つけては警戒しながら駆け寄り舌打ちをする。新しい血液の嫌な臭いが、鼻にこびりついて吐き気をもよおした。まだ死体の中に知り合いの顔がなかっただけ、ましと思うしかなかった。




 騒々しい足音が聞こえた。俺は咄嗟に近くにあった手洗い場に身を隠す。外れかけた引き戸に耳を押し付け、外の様子を探る。

 足音は時々不規則になった。もつれ、つまづいているような感じに乱れる。泣き声のような、喚き声のような短い悲鳴も混じっていた。聞き覚えのある声だ。それらは近づいてきて、やがて俺の隠れた場所のそばを通り過ぎる。と、手洗い場の前で大きく転倒したような鈍い音を立てた。

 そっと半身をずらし、廊下を見る。そこにいたのは葵だった。彼女の顔は真っ青で、転んだ拍子に手放した武器を乱雑に拾い上げるとよろけながら立ち上がった。

「死にたくない…死にたくない…怖いよぉ!」

 取りつかれたように叫び、転がっていた死体の腕を蹴飛ばしながら駆けていく。どう見ても様子が変だ。少なくとも、数時間前に立ちはだかってきた時の彼女ではない。

 意を決し、扉を開き背中に呼びかける。

「葵!!」

 だが彼女には届かなかったのか、聞こえていないのか、振り返りすらしなかった。あっという間に見えなくなってしまう。

「…何があったんだ…?」

 尋常ではない彼女の錯乱ぶり。何かから逃げてきたような雰囲気だった。この廊下の先、二階か、三階か、それとも…。そこでようやく、俺は自分の迂闊な行動を悔やんだ。つまり俺の背後から、葵を狙った誰かが迫っているということだ。無防備に飛び出した俺も危険に晒されているということに気づく。が、もう遅かった。

 ぞくり、と嫌な気配が背中越しに伝わってきた。服の中に氷を入れられた時のような悪寒が走る。この言いようもない不穏な感覚…殺気、だ。

 手先だけで剣を握った。心臓が早鐘を打つのがわかる。何かがいる。

 振り返る。

 そこに不思議なものを見た。

「…なんだ、あれ…」

 思わずひとりごちてしまうほど、それは異様だった。葵が駆けてきた方角の奥に、ぼんやりと浮かび上がるのは、白いお面だった。時代劇に出てくるような面だ。それが宙に浮かび、ただじっと俺を見ていた。

「き…狐…?」

 よく見ればそれには耳があり、墨で描かれたすまし顔を向けていた。顔の高さは俺と同じか、少し低いくらいだろうか。薄暗い廊下の隅で、揺らぐこともなくそこにいた。呆気にとられた俺は身じろぎもできず、狐もまた動かない。

 あれは何だ?自問するが答えは出なかった。御子の誰かが変装をしている?だとしたら、この殺気は普通じゃない。亡霊か幻覚か?違う、よく見れば面の下に漆黒の羽織を纏い、足元にはうっすらと影もある。だとしたら?残った可能性は一つだ。御子となった生徒ではない、外部の人間。その結論が一番しっくりくる。

 敵か、味方か。それははっきりしていた。きっと葵はあれに追われて、逃げていたんだ。俺を迷いなく攻撃してきた葵ですら恐怖するほどの実力を持った…敵。

 考えを巡らせている間も狐は微動だにしない。俺は静かに構え、柄を握り締めた。緊張で手が震える。汗が止まらず、柄巻がじっとりと湿った。三秒で踏み出す。三、二…

 一、のカウントと共に、耳をつんざく破裂音が校舎に響き渡った。

「なんだ?!」

 思わず声を上げてしまう。続け様にもう一回響いた。そして静かになる。―――テレビで見た刑事ドラマの発砲音に、よく似ていた。拳銃…。誰かが校舎のどこかで、引き金を引いたのだ。

 しまった、と俺は狐に向き直った。咄嗟のできごとに注意が逸れ、狐に背を向けてしまっていた。しかし。

 そこにはただ埃っぽい廊下があるだけだった。先程まで対峙していたはずの面は、どこにもいない。跡形もなく消え去っていた。慌てて周囲を見回すが、変化はなかった。狐面は何もせず、消えた。張り詰めていた殺気すら残さずに。まさに狐につままれたような気持ちだけが、俺の心に置き去りにされていた。

 とにかく危機は脱したのだと、自分に言い聞かせる。まともにやりあっていたらきっと殺されていた。刃を交えていなくともわかる。それ程までに、狐の存在は畏怖だった。手汗を吸った柄から手を離し、一息ついた。銃声も、あれから聞こえていない。

 また俺は歩きだした。狐がいた方に向かって、足元の死体を避けながら。一階には誰もいない、そんな確証があった。葵が逃げる時、先刻の大きな銃声、それだけの騒ぎがあったのに、誰一人飛び出して来なかったからだ。俺を除いては。

 なら…文はどこにいるのだろうか?やはりすれ違ったのであろうか。互いに対角線の階段を一方通行に進んで、ぐるぐる回っているんじゃないか。文はまだ…生きているのだろうか。不安だけが大きくなって、止まらなくなる。かぶりを振る。その繰り返しだ。

 廊下の端まで行き着いてしまった。おそらく狐が立っていた辺りだ。注意深く痕跡を探すが、見事に何もなかった。もしかして本当に幻だったのでは、と馬鹿げた思考がよぎった。右手には二階へ伸びる階段、左手には教室の扉…ではない。

 今まで見てきたよりも何倍か大きい両開きの戸があった。上の方に木の板が据えられ、そこに擦り切れた文字が書いてある。『渡廊下 至新校舎』と読める。戸に鍵や板張りは付いていないようだった。

「新…校舎…」

 今まで俺達がいたのは旧校舎、ということになるだろう。渡り歩いてきた教室の物品がやけに年代物だった理由がわかった。

 扉に手をかけると、思ったより軽く簡単に開きそうだった。行き来が許されているならば、新校舎もまた儀式の会場だ。この先に、もう一つの戦場が広がっている。もしかして、文は新校舎にいる…?そう思った途端、欠けたパズルがはまったような感覚を覚えた。文はこの先にいる。確信した。

 剣を握り直し、扉を開いた。未知の領域へ、一歩を踏み出していく。

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