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徒花  作者: 似櫂 羽鳥
第一章
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三、 友がいること

「敦盛君、綾君!」

 美術室に入るなり、桔梗の声に出迎えられた。彼女は右足をかばうようにして教卓の影から顔を出した。

「無事でよかった…」

 今にも泣きそうな面持ちで俺たちの顔を交互に見る。

「ありがとうございました、二人が来てくれなかったら、今頃私…」

 飛燕の不気味な笑顔が脳裏をよぎった。人を殺す、その事に罪悪感や苦悩など微塵も感じていない、むしろ楽しんでいるようなあの顔。桔梗も同じものを思い出したのだろう。小さく身震いし、華奢な肩を自らの腕でかき抱いた。

「本当にありがとう」

 それでも彼女は気丈に俺たちを見上げ、微笑んでくれた。敦盛が鼻の頭を掻き、彼女の隣にしゃがむ。

「いいっていいって! それより委員長、足、大丈夫か?」

「あ…少し、痛みますが…大丈夫です」

 桔梗の右足首をちらり、と見る。かなり腫れているようだ、白い三つ折ソックスがそこだけ不自然に持ち上がっている。

「いや、こりゃ冷やした方が良さそうだな。綾、ハンカチか何か持ってないか?」

 俺と同じように患部を見た敦盛が言い、俺に手を差し出してくる。が、あいにくポケットには使えそうなものはなかった。桔梗もポケットを探った。

「あれ…きっと追われてるときに落としてしまったんだわ…」

「そっか…ちょい待ち」

 そう言うと、敦盛はおもむろに着ていたワイシャツの裾を引き裂いた。切れ端を教室内にあった水道で濡らし、桔梗の腫れあがった足首へそっと押し当てた。

「痛かったらごめん。これで我慢してくれよ、委員長」

 患部に触れられた痛みからか、桔梗は少しだけ唇を噛んだ。しかしそれは一瞬で、また柔和な微笑を浮かべると敦盛に会釈を返した。彼女の頬がちょっと赤らんでいたのは、俺の気のせいかもしれない。

 敦盛は彼女の足から手を離し、向かいの机に腰を下ろした。大きなため息。ようやく極限の緊張から開放されたのだろう。険しかった敦盛の表情が、気づけば元に戻っていた。俺はそっと、美術室の扉を閉めた。

「…どうする? 敦盛」

「…どうするも何も、委員長置いてくわけにいかないしなぁ。かといって、この足じゃ一緒に行くのもつらいだろうし…」

 ちら、と桔梗の足首を見やる。すみません、と小さく桔梗が言ったが、俺たちはほぼ同時にいいって、と苦笑する。

「まぁ、当初の目標は一歩前進じゃね? 仲間集め、委員長参入みたいな」

「うん、桔梗が一緒なら頼もしいよ」

 勝手に話す俺たちにしびれを切らし、桔梗が怪訝な顔を向けた。

「ああ、俺と綾の目標ってのは、仲間集めてここから脱出すること。どう考えたって、こんな儀式おかしいだろ?」

「殺し合いなんてしたくない、俺は。誰かを殺してまで月読になんかなりたくない。必ず生きて、みんなでここから出るんだ」

「委員長なら、わかってくれるよな?」

 桔梗は力強くうなずいた。

「ええ。こんなの間違ってる。少なくとも、私は、そう思います」

 しかしまた顔を曇らせる。

「でも…こんな足じゃ、敦盛君たちのお荷物になっちゃいますよね…ごめんなさい」

 その言葉に、俺も敦盛も言葉を返せなかった。確かにこれから校内を探索するにあたって、怪我をした桔梗を連れて行くのは得策ではないだろう。しかしここに一人で置いていくのも危険だ。先ほど彼女を襲った奴だって、いつ目覚めて狩りを再開するかわからない。

「大丈夫です、私は一人でここに残ります。綾君と敦盛君は、他のみんなを探しに行ってください」

「いやいや、それは危険だって! ただでさえ怪我してるっつーのに。こんな危ない所に置いていけるかよ」

 敦盛も俺と同じ意見だった。しかし桔梗は何かをたくらむいたずらっ子のような顔をして、教室中を見渡し始めた。俺たちは彼女の意図が理解できず、答えを待つ。

「…ここは美術室ですよね。敦盛君、申し訳ないのですが、隣の部屋を見てきてもらえませんか?」

「隣?」

「先ほど綾君がここへ連れてきてくれる途中、隣が美術準備室なのを確認しました。廊下側の扉は板で打ちつけてあったので、誰もいないはずです。ここからそこに通じる扉があります」

「桔梗、さっき逃げる途中の時間でそこまで見てたのか?」

 わけもわからずにいる俺たちに、桔梗は笑いながらうなずいた。

「お二人に、集めて欲しいものがあるんです。彫刻刀と糸をたくさん、鏡、空き缶、画鋲、ボールペンや鉛筆、とにかく先の尖った細い棒。それから…」

 淡々と指折りしながら続ける桔梗を、とうとう敦盛がさえぎった。

「ちょちょ、ちょっと待った! ぜんっぜんわかんねーんだけど、どういうこと?」

 勢いよく話していた彼女はふと敦盛を見、ふふ、と微笑んだ。

「罠を仕掛けましょう」




 敦盛が隣の教室をあさっているのだろう、開け放たれた通用口からがさごそと音が聞こえる。一方俺はここの警備だ。入り口の扉横に陣取って、日本刀を手に様子を伺う。しばらく時間が経っていると思うが、飛燕がこちらに向かってくる気配はない。諦めたのか、それとも。

 桔梗は机に向かい、ノートに何かを描いている。授業中と同じ、真剣なまなざしの彼女がそこにいた。教室の一番前の席で熱心にノートを取っている彼女の日常と重なり、儚くも強い願いが俺の胸をいっぱいにした。必ず。必ずここから逃げ延びて、あの日々に帰る。敦盛や桔梗、葵、そして…文。

 静まり返っている廊下に俺は少しだけ警戒を解き、桔梗の机に歩み寄った。ノートに目を落とすと、この教室であろう四角い間取りに細かな線と計算式が書き込まれていた。

「…すごいな、さすが桔梗」

 夢中で手を動かしていた桔梗がはっと俺を見上げ、微笑む。

「…いえ。急ごしらえなので、まだどうなるか…やってみないことには解りません」

 そしてまた作業に戻る。彼女の邪魔にならないようにそっと近くの椅子を引き、眺めながら彼女に問うた。

「なぁ、桔梗は何を貰ったんだ?その…」

「武器、ですか?」

 温和な彼女の口からその単語を聞くと、急激に現実味を帯びてくる。返事に詰まった俺を気にせず、桔梗は手元のノートを示した。

「これです。ノートと、筆箱。ペンとか消しゴムとか、武器には程遠いものばっかり。あ、唯一武器らしいのはハサミだけですね」

「え…それだけか?」

「はい、これだけ」

 虚を突かれた。筆記用具など、この状況下では全くもって意味を成さない物だ。てっきり何か使えそうなものを持っていて、飛燕に奪われたか落としたのかと思っていたのだが。

 桔梗は遠くを見つめるように宙を仰いだ。

「正直言うと…こんなもの、って思いました。放送を聞いた時、信じられなかった気持ちもあったけれど…もし、もしも本当にそんな儀式なのだとしたら、私はすぐに殺されるだろう、って。人を殺す道具を持っている人に向かって、ハサミや鉛筆を向けたところで…どうにもならないもの」

 諦めにも似た顔をする桔梗に気の聞いた台詞でもかけようと思ったのだが、何一つ言葉にならなかった。

「初めから、武器で応戦する術がない…最初にいた教室で色々探し回ったけれど、無駄でした。机や椅子なんてとてもじゃないけれど持ち歩けませんし。壊して木の板にしようにも、大きな音を立てたら…と思うと、怖くて。ほら私、『ビビりのガリ勉』だから」

 それは同じクラスのギャル番長・花梨が桔梗につけた不名誉なあだ名だった。桔梗が受け流していたから表立って対立することはなかったが、人望も信頼も厚い桔梗を花梨は敵視していた。そんな些細なことですら、遠い昔のことに感じられる。

「最初から諦めてたんです。戦えないから。逃げることだけ考えていました。それで、これ」

 桔梗がノートを繰り、あるページを俺に見せた。

「逃げるために、精一杯頭を使おうって。まだ完全じゃないけど、この校舎の地図を作りながら歩いていました」

 見開きいっぱいを使って書かれた地図は、手探りで書いたとは思えないくらい整然としていた。彼女が辿ってきた経路にあった教室、水道やトイレの位置、扉が開閉可能かどうかまで詳細に書き込まれた見取り図がそこにあった。

 ところが桔梗はそのページを手元に引き寄せると、びりびりと引きちぎった。

「おい、何やって」

「これは、綾君と敦盛君に差し上げます」

 戸惑う俺の目前に、小さく折りたたんだそれが差し出された。

「私はここからしばらく動けませんから。綾君たちは、いずれ上の階にも行くのでしょう? 助けになるかはわかりませんが、持って行ってください」

「あ…ありがとう…」

 そして桔梗はまた笑みを作ると、作業に戻ってしまった。掌に乗せた紙片を一度開いて畳み、俺はポケットにねじ込んだ。と、隣から敦盛が両手に大荷物で戻ってきた。

「委員長、とりあえず言われたモン片っ端から持ってきたぜ!」

「ありがとうございます、お疲れ様」

 そう言いながら顔を上げた桔梗が小さく吹き出した。見ると、一抱えものガラクタを抱えた敦盛の制服が、埃で真っ白だ。短髪にも綿埃がかかり、頭の上に薄い雲を乗せているようだった。俺もつい吹き出し、桔梗と顔を合わせた。

「…おいおい、人の顔見て笑うなんて失礼だな! 何だよ、なんかおかしいか?」

 わざとらしく仏頂面で言い返す敦盛にこみ上げた笑いが止まらない。つられて敦盛も笑う。

 束の間の和やかな空気。俺の心に少しだけ、ほんの少しだけだが暖かい光がさしたような気がした。

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