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#FF00FF[マゼンタ]

マゼンタ(マジェンタ、magenta)は、色の一つで、明るい赤紫色。ピンクに近い紫、もしくは紅紫色こうししょくとも呼ばれる。色の三原色のひとつにもマゼンタがある。

色のマゼンタは、染料の唐紅(とうべに。マゼンタ、フクシン)にちなんでマゼンタと名付けられた。(Wikipediaのマゼンタより一部抜粋)

 最強。おそらくそれは事実だった。坂之上健二は確かに最強だった。狂気の世界から帰ってきた数少ない“異種”の一人であり、それはすなわち、狂鬼の使い手だった。ただの異種のように物体を動かす程度の力しか持っていないわけではない。彼は自分の思考を現実に描き、使役できた。

 坂之上健二は長身の男だった。ダークスーツに身を包み、フチの細いメガネの奥から、優一郎を睨むように見て言った。

「だから、ボクは鬼畜どもの血を僕らの中に入れるのは反対だったんだ。あんたら年寄りは、それがアイツらとの停戦の証みたいに考えてたのかもしれないけどさ、現実を見ろよ。なんの意味もない。不幸しか残さない。血が穢れ、血が流れただけだ。このクソ餓鬼の姉は今も村中の人間を殺して回ってる。それはすなわち、ボクと同じ狂鬼ってわけだ。そしてボクじゃなきゃ、彼女を止められない」

 なだらかな坂の下から血まみれの少女がゆっくりと家に向かって歩いてくる。人懐っこい笑みを携えて、彼女はショートカットの髪の毛を風に揺らす。手提げかばんの如く、細く白い手は生首の髪の毛を無造作に掴んでいた。

「わあああああああ!」

 窓から見える姉の姿に、優一郎が悲鳴を上げると、祖母は彼を力強く抱きしめる。

 大丈夫よ、ケンジさんなら止めてくれるからね、アンタのお母さんの敵をきっと取ってくれるから。

「そうさ、ボクが引導を渡してやるよ。鬼退治は坂之上家の宿命だからな」

 そういって数分前に意気揚々と出て行ったはずの彼の目は、今、絶望の色を見せて、優一郎を見つめていた。

「た、だ、い、ま」

 彼の首から下がありさえしたならば、優一郎の反応も違ったものになっていただろう。その声が姉の香子(かおるこ)の力によって強制的に動かされたものでなければ、優一郎の反応も違ったろう。

 糸で吊られた人形のように、どこか不自然な調子で坂之上健二の唇は動き……、祖母や祖父の亡骸(なきがら)は動き、淡々と声を出す。死を感じさせない不気味さで声出す。

「もう心配はいらないよ、さあ家に帰ろう」

 遺体の中心で香子は朗らかに笑って手を差し出した。

 そこで初めて優一郎は絶叫した。自分の声で自分の頭を割らんばかりに絶叫する。己の声で世界を消し去らんばかりの声で絶叫する。

「二人で幸せに暮らそう」

 母を殺した手で、村中の人間を殺した手で。吊られた亡骸に囲まれながら、背後に大きな鳥の化け物を携えて、小さな体躯の彼女は、実に明るく、実に朗らかに、平和的に言った。

 そんな異様な状況から優一郎の意識は、気を失うことで正常さを保った。


 優一郎は悪夢から目を覚ます。過去の絶望は絶えず、今の自分を襲う。それがイヤで、寝る時には、薬とアルコールを併用するのがお決まりだったが、先日、姉に服用がバレて以来、それもできなくなっていた。

 体に良くないから。それが彼女の言い分だった。

「ちっ」

 のっそりと、ベットから体を起こす。鏡を見て、頭の寝癖を気にする純粋さはもう、どこにもない。彼は気だるい体をベットから起こすと、一階へと降りた。途中、地下室からバットを引っ張り出す。毎日の恒例行事となっているせいか、その行動は半ば無意識だった。

 リビングに音もなく姿を出すと、丁度、姉の香子が食卓に料理を並べているところだった。優一郎はこれぞ好機とばかりにバットを彼女の後頭部に躊躇(ちゅうちょ)なく振り下ろした。しかし、届かない。彼女のショートヘアに届く前に、バットは見えない何かにせき止められ、ねじ切られ、ガランとその場に落ちた。

 確認するまでもないといった様子で香子は笑う。人懐っこい声色だった。

「遊んでないで、顔、洗ってきなよ」

「おい、キチガイ。朝飯は何だよ」

 吐き捨てるように彼は言う。どうせ、彼女は殺せないのだ。超能力という悪魔の力によって、彼女は常に守られている。ならば、せめて気分くらいは害してやろう。そう優一郎は思うのだが、悲しいかな、香子に気にした様子はなかった。

 彼女は振り向き、おっとりとした様子でえへへと笑う。まるで子犬のような朗らかさと、柔和さだった。学校では友人も多く、その愛らしい顔立ちから想像できるように、男女問わず、人気もあった。

「今日は厚焼き玉子だよ。あとナスのお漬物も。デザートはヨーグルトね。優ちゃんの好きなものだよー」

 首を傾げてどうかなと、笑う。優一郎はふてくされたように、誰がこんなもの食うものかとテーブルを蹴り飛ばそうとしたが、何かに足を捕まれ、阻まれた。

 それはすぐさま実体を(ともな)い始めた。黒い大きな鳥の化け物。大きすぎる背丈を天井のあたりで丸め、血走った目で、彼を見下ろしていた。彼は優一郎の足を軽々と引っ張り、投げた。

 大きな音とともに優一郎の背筋を強い痛みが襲う。

「ぐほっ」

「あ、あ、あ! ダメダメ! 優ちゃんは違うの! 優ちゃんは殺しちゃダメなの! もう、あっちいっててよ!」

 一拍遅れて香子は、霧を払うように怪物を消し去ると、優一郎に近寄り、身を案じた。

「大丈夫? ごめんね、あの子、ちょっとでもあたしの嫌だって思うことをどうにかしちゃうから」

「……そりゃそうだろうよ、お前の性根を形にしたのがあのバケモノなんだからよ! ははははは、お前の思考まんまだぜ。気に入らないものは、とにかくぶっ壊せばそれで済むと思ってやがる! ほら、どうだ? 俺を殺せよ。殺してみろよ。気に入らないだろ? 毎日毎日、罵声を浴びさせられてたらよ」

「そんなことないよ」

 嘘だと思った。彼女の背後には未だ薄く、黒い霧状の何かがうごめいている。

「殺せよ! みんなを殺した時みたいに! 三歳の甥っ子を殺した時みたいに、俺の頭を潰してみせろよ! …………頼むから、殺してくれよ。もう、自由にしてくれ」

 縋り、唸り、祈り、彼は涙を流す。そして少し笑った。枯れたと思っても、涙はまだ出る。涙が出る心はまだ残っている。

「そんなことしないよ」

「しろよ」

「しないよ。しても、また元に戻すから。何度、首をくくろうとも、手首を切ろうとも、あたしは何度でも、優ちゃんを甦らせてみせる」

 彼女の後ろで黒い鳥が不気味に鳴いた。歓喜か嘲笑か分からなかったが、優一郎は悔しくてクソッタレと呟いた。


 はっきりと何が原因だったかは定かではない。何が香子を狂わせたのか、何が引き金となったのか、分からない。愛がそうさせたというには、あまりにもそれは異常だった。

 ただ、香子はある日、自分の想いを優一郎に伝え、返答を待った。本気なのだと。毎日、気が狂うほど想っているのだと。涙を浮かべながら。

 彼女の告白に優一郎は混乱した。気恥ずかしくて、口に出したことはなかったが、彼は姉の香子を尊敬していた。自慢の姉だとすら思っていた。誰からも慕われていたし、誰からも好かれていた。誰にでも別け隔てなく優しかった。あらゆる分別を(わきま)えているはずの姉がどうして、と思った。

「間違ってることは分かってるの。でも、好きな気持ちを抑えられない」

 小さな体躯を震わせて、彼女は上目遣いに優一郎を見た。

 優一郎は考えた。誤魔化すこともできると考えた。なかったことにして、有耶無耶にすることもできると考える。でもそれは、とても寂しく、とても不誠実に彼の目に映った。だから、彼は真摯に、気持ちには答えられないと返したのだ。それが狂気のきっかけになるとは思わずに。

「そんなの、納得できるわけないよ」

 香子はその日、優一郎に夜這いをかけた。部屋の鍵は超能力の前では無意味だった。彼の眠りが浅くなければ、あるいは彼らの母が異変に気づかなければ、それは遂行されてしまっていたかもしれない。しかし、そうはならなかった。

 優一郎は父方の実家に預けられ、香子は母親に預けられ、二度と優一郎とは会うことはなくなった。……はずだったが、その恋慕と執念の情は彼女を狂わせるには十分に足るものだった。

 彼女はまず、母を殺害し、優一郎のいる集落へ向かうと、親類縁者、血族を皆殺しにした。自分の邪魔になる可能性をすべて排除し、根絶させると、彼女は優一郎を家に連れ帰り、笑った。

「ごめんね、あんなことやっぱり間違ってたよね」

 人を殺したことを指しているのではなく、夜這いのことを指しているのだと理解するのに、優一郎はしばらく掛かった。

「もう、あんなことしない。優ちゃんの気持ちを蔑ろになんかしない。優ちゃんがあたしをちゃんと見てくれるまで、あたしはこの身を捧げ続けるし、優ちゃんの体をどうにかしようなんてしない。だってね、いつかきっと、優ちゃんはあたしのこと、分かってくれるって、分かるから」

 その狂気の延長線上に今があった。

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