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紅の闇  作者: 水無神
終幕後
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06.哀惜の短剣


 ある日そのひとが見せてくれたのは、一振りの短剣だった。


 華奢な女性の手には少し余る、やや太めの印象を受ける短剣。

 たおやかにしたたかに、淑女然としてあるそのひとにはあまり似合わないような気がして、いつもなら一瞥して窓の外に飛ばす視線を、近くの卓子テーブルに置かれた短剣に留めた。


 そのひとが見せたかったのは、正しくは、短剣に刻まれた紋章だった。

 懐かしむように、言い聞かせるように、どのような意味があるのかを語る。


 自由の象徴たる翼と守護の象徴である盾。翼は民、盾は領主。民を護り、民の自由を守ることが勤めである、と。貴族階級にありがちな、義務と権力を履き違えて驕ることを戒める。

 盾が秘めるのは小さな花。山野に咲くささやかな花であるのに『正しい選択』を迫る、意思強き存在。


 課せられた義務を正しく果たすことを宣言した家紋なのだ、と。


 一通りを語って、行き倒れていた自分を介抱したのも、家訓に従っただけだとの言葉に訝しげな視線を投げれば、手元でいじっていた衣裳を差し出して来た。


 ――さあ、これを着て頂戴。そして髪を結わせてね。あと、お飾りも色々あるのよ。わたくしの娘時代の物。髪色が淡いから、濃い色の玉が合いそうよねぇ。


 一言も発さないこちらの意図を表情と視線だけで汲み取るほど機微に長けているくせにひとを着せ替え人形に認定して遊ぶ、食えないその存在は、反応を引き出すためにかせっせと語りかけてくる。性質タチの悪そうな、けれど文句ケチのつけようのないほど鮮やかな笑顔を浮かべて。




  ◆◆◆




 あらあら、可愛らしいお顔なのに眉間に皺など寄せるものではなくってよ。険しい表情でなにを見て……、なぁに、短剣が気になるの? 家紋のお話をしようと思って持ってきたけれど。

 駄目よ、これはお守りではなく実用の物だから病身の女の子が触るものではないわ。


 さぁて、首には立派な紅玉の飾りがあるから、他の飾りも赤系統で揃えましょうか。それとも敢えて統一感無く飾り立てましょうか。ともかく上から下まで飾ってもらうわよ、わたくしのお人形さん。


 あら、こう呼ばれるのは不本意? では貴女のお名前を教えてちょうだい?

 ……ほら、だんまりではないの。

 だから、わたくしはわたくしの呼びたいように呼ぶの。

 さ、観念して髪も結わせてちょうだい。


 ふふふ、とっても綺麗ね。月の光を糸にしたような髪だわ。

 金髪や赤毛もそれなりにいるけれど、こんなに淡いのに存在感のある髪色はめずらしいわ。もっと南部――少し東寄りの、アバス王国出身で銀髪の人には会ったことがあるけれど。


 あら、びっくりした?

 ふぅん、貴女、随分と教養があるのね? 銀髪と聞いて、珍しいという意味以外で驚く人は滅多にいなくてよ。


 そう、銀髪は銀色の者〈スィ・アルジン〉の特徴よ。でも瞳の色は青だったわ。紫がかった、とても綺麗な色。

 創世記に謳われる『種族』云々は眉唾だと思っていたけれど、あれほど見事な銀の髪を見ると、もしかして、と思わされるわ。わたくしが会ったあの人も、ひょっとしたらその血を引いていらしたのかもしれないわね。


 ――さあできたわ。

 立って、くるりと回って見せてちょうだい?

 ……ねえ、ほんの少しくらい表情を温かいものにして貰えなくて?

 ………………残念だわ。こんなに綺麗に仕上がっているのに。


 ――なぁに? その短剣が気になるの? 疑問があるなら言葉にしてちょうだい。わたくし読心術は会得していないわ。なにが言いたいの、お人形さん?


 ああ……わたくしが持つには大振りだと思うのね?

 そうよ、それは弟のもの。十五の祝いに渡されるはずだった父からの贈り物。


 このメルス王国に於いての成人年齢は男女とも十七。でも、準成人として十五にもお祝いをするのよ。特に貴族階級はね。王族が、正式な継承権を得るのが十五から、という伝統を貴族も踏襲するの。


 父が弟に家を継がせるのはもちろんもっと先の話で、けれどひとつの節目として、自覚を促すつもりもあったのでしょうね。

 家紋を据えたこの短剣は、父の想いの丈を籠めた物。

 弟に理解されることの無かった愛情を形にした遺品。


 ……もう少し、弟の話をしてもよくって?

 ふふふ、懐かしくなってしまったの。もうずっとあの子の話題など持ち出すこともなくなっていたのね、そのことに気付きもしないほど……いないことを受け入れてしまっていたのだわ。



 弟は秋の初めの生まれだった。

 わたくしはその二年前の春の中頃の生まれで、ほぼ二歳半、離れていたの。弟がまだ意味のある言葉を喋るかどうか、というくらい幼い頃のことも、うっすらとだけれど覚えていてよ。


 弟の名前はバルトロ。バルトロ・ド・オルヴェルト。


 当家の第二子で長男。跡取り息子として幼少時から教育を施され家訓を説かれ剣を鍛えられたし、あの子はそれらの期待によく応えていたと思うわ。


 けれど、ね。文武両道を絵に描いたような少年に育ったバルトロが執心したのは、歴史。創世期を始めとする様々な昔話や歴史書を次々に暗記しては新しい書を求めて。

 屋敷の蔵書では物足りなくなったのは十になる頃のこと。以来、暇を見付けては――というより無理矢理捻出しては、貴重な蔵書を抱える神殿、古い建築物を所有する名主、あるいは遺物を収集している好事家の元を訪ねて行くようになって。


 ちょっと出かけてくる、の一言で何日も戻らないこともしょっちゅうで、その度に父とは衝突を繰り返していたものよ。


 金茶の髪と薄蒼の瞳はオルヴェルトの一族には多い色合いで、父の色をそっくり受け継いでいたわ。わたくしは髪の色は同じなのだけれど、ほら、瞳が薄蒼というより灰色が混じっているのよね。

 でも、不本意ながら面差しはとてもよく似ていて、バルトロの背丈がわたくしと並ぶほどに伸びたときには双子のようだと、かつての幼馴染で今は夫となったケルビノには笑われたわね。


 ――けれど、わたくしの背を抜いた弟の姿はとうとう見ることが叶わないまま。


 父との幾度目かの衝突を決裂させた日の夜、バルトロは行方をくらませたわ。


 父はバルトロを追わなかった。捜さなかった。

 溜息ひとつで終わらせて、わたくしに婿を取れと言った。

 まるで、最初からわたくしが跡取りだったかのように。

 ……バルトロ・ド・オルヴェルトという少年が存在しなかったかのように。


 ならば何故、短剣を打たせていたのかと憤ったものよ。

 バルトロ失踪の報を聞いた職人が、出来上がった品は如何いたしましょう、と気まずげに屋敷を訪ったとき、どうして受け取ったのか、とも。

 代金だけを渡して、処分させることもできたでしょうに。


 複雑な父としての想いと、領主としての責務と。

 父の色々な感情をわたくしが理解したのは、ずっとあとになってから。


 解りあえなかったことに悔いは残っていたかもしれないけれど、父は穏やかに息を引き取ったから、まぁ、父なりに整理はついていたのでしょうね。


 バルトロの方は……薄情もいいところよ。父が亡くなるまで、父にはもちろん、わたくしにも、幼馴染で親友だったケルビノにすら、なんの音沙汰もなかったのよ。


 ……ええ、父の訃報をどこかで聞いたのでしょうね。名を伏せてお悔やみの一文と些少の金品を送って来たわ。『赤ん坊を拾った。面白い。息子にした。仲間が愉快なことになった』って意味不明の結びの一文付きよ、そんなことは良いから顔を出しなさいっていうのに!!


 結局、便りがあったのもその一度きり。

 あの子がこの家を飛び出して、もうじき三十年になるわ。

 どうしているのかしら。

 息子にしたという赤ん坊は無事に育っているのかしら。


 ……あ、駄目だわ、バルトロを父親にしてまともな子が育つ気がしない……。


 ――って、ちょっとお嬢さん!? 人が思い出にふけっている間になにをしているの! 勝手にお飾り外してしまわないでお衣裳脱いでしまわないで――っ!!




  ◆◆◆




 辿り着いた屋敷の門を前に、カイルは唖然として立ち尽くしていた。


 見上げた視線の先には門扉上部中央に刻まれた紋章がひとつ。カイルの視線を辿ったアレイクとミシリーも同様に目をみはり、ルドまでもが口をぱかんと開いて言葉を失くした。


「……えーと。セインさんセインさん」

「なに」

「…………ここって」

「メルス王国南方地ゼヴィル領の領主、オルヴェルト家」


 なんとか言葉を探し出したカイルの問いに、セインはタンッと返して門衛に声を掛けた。奥方様に取り次ぎを、訪問の約束はしている、これがその書状、と手際よく懐から手紙を出して渡している。

 その様に更に顎を落とす仲間たち。


「えぇぇえっと、セイン、どゆこと?」

「瀕死の私を拾って面倒見てくれた貴族家に礼を言いに行く、と言った通りだけど?」

「いやいやいや、おかしいでしょーよ。門の上にある紋章ってここの家紋だろ!?」

「うん」

「あ、可愛い。――じゃ、なーくーてー!!」


 こっくり頷いたセインに思わずほっこりしかけて話を戻す。カイルの叫びにやや目を泳がせながらセインが言葉を紡ぎ出す。


「……双剣に彫り込まれた紋を見た時点で、ほぼ確信はしてたんだ。言わなかったのは、いつも飄々としているかふざけて泣き真似してるかなカイルのビックリ顔を拝んでみたいと思っただけで他意はない」

「…………心臓止まる……」

「むう。そこまで行かれると困るな」

「え、いっそ止めときません?」


 腕を組んで悩んだ様子のセインの隣からミシリーがざっくり切りに行き、がっくりとカイルが項垂れる。いつものように喚く余裕もなく、小さく「姉ちゃーん……」と呟くに留まる。ルドとアレイクも乾いた笑いを零すしかない有様である。


「困る」

「……ソウデスカー。残念ですー」


 男たちの状況を置き去りに、セインとミシリーの会話が落ちたところで取り次ぎを頼んだ門衛が戻ってきた。そうして門扉に施された翼持つ盾に六枚花弁の小花が三つ配された紋章が、門衛の手によって開かれる――――。



 カイルとセインと奥方様とその旦那様の会話。


「……まじで心臓止まる……」

「あらあら、物騒なことねぇ」

「お頭が女装したらこうなる」

「……非常に不本意だわ……」

「あっはっはっはっはっは!」

「………ケールービーノー?」

「あは、は……ごめんなさい」

「……そんなに似てるのか?」

「怖いくらい。顔はまんまだ」

「うらぶれたおっさんになると思っていたのになんてこと」

「やあ、バルトロは可愛い子だったから不思議じゃないよ」

「背を頭いっこ分小さくして、骨格と筋肉半分にした感じ」

「それって完全に別物じゃぁ……、いや、顔は同じなのか」

「うん。同じ」

「やめて頂戴」

「事実なんで」

「…………泣きたいわ……」

「奥さん、僕の胸でお泣き」

「引き締めて出直して頂戴」

「中年太りでごめんなさい」

「うわぁ、容赦ないっすね」

「バルガは容赦があった?」

「……うん、なかったかも」

「割と性格も似た姉弟きょうだいだったからねぇ」

「……『も』ってなんですの、『も』って」

「容姿は瓜二つだったじゃない。似非双子」

「……非常に不本意だわ……」


 この後、バルガ《バルトロ》の短剣は紋章の黄苑ルドベックを粗く削り、オルヴェルト家の紋章としては使えない状態にした上でカイルに譲渡された。


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