03.月影の贖罪
じっと石塔に向き合って、敬意を捧げるまでにどれほどの時間をかけてしまったのか。やや躊躇いがちに、しかし暢気な調子でかけられた声に、セインは意識を外に向け直した。
「おーいセイン、気が済んだかーい。さすがに真っ暗になっちまったんで戻るのに時間食うと思うんだけども」
「……ああ。そうか、松明なんて持ってきてないよな。明かりを提供しようか」
「ほぇ?」
いつの間にかすぐ傍に居たカイルに頷きを返し、口の中で呪を結ぶ。天に向けた掌の上に小さな光の球が発生する。青白い、法術特有の無機質な明かりだ。
「おお! すげぇ! ……セインが出すなら紅いかと思ったけど」
「んー……、無意識に力技で行使するとどの術でも紅くなる。意識的に『法術』として構築・発動させればなんとか法術らしく白系の光になる」
解ったような解らないような、という顔のカイルに苦笑を返し、ルド程の精度はないが遠隔操作もなんとかなる、と付け足してセインは光をどの辺りに放ればいいかを問うた。カイルの指示する馬からの距離と高度に光を固定させて、先に騎乗したカイルの後ろに乗る。
「これなら行きと同じくらいに走れるかなー。しっかり捕まってろよ、セイン」
「ああ」
「寒かったら俺にしがみ付いてもいいからな~?」
「……検討しておく」
背を反らせるようにして鞍の後ろの縁を掴んで座るセインの返答にカイルは短く笑い手綱を繰って馬を走らせ始める。木立を避けて草の斜面を、窪みや隠れた岩などに注意しながら駈足で進ませる。
しばらくは無言のまま、先行する光を追って駆ける蹄の音と馬の速い呼吸音のみを宵闇の中に響かせていたが、思い切ったようにカイルが背中のセインに問いかけた。
「セイン、お頭になんて挨拶してくれたんだ?」
「……」
沈黙を返したセインになにを思ったか。カイルは殊更に軽い声で付け足す。
「ちなみに俺は『一緒に来たのは嫁です!』って報告しといたからな!」
「いい加減飽きないか? そのネタ」
「ネタ違う! 事実!!」
ひとまず気になっていたことを突っ込んでみれば間髪入れずに否定が返る。その断言ぶりにセインは小さく笑い、背を丸めて眼前の背中に額を付ける。触れた背筋がぴくりと震えて緊張した気配を感じたが構わずに、笑いを含んだままの声音で続けた。
「じゃあ、『息子さんを私に下さい』とでも挨拶しておくべきだったな」
「……おぉう。まじで?」
「生憎お前に命を差し出す訳にはいかなくなったからな」
「ははは。『ねばならぬ』は健在だけど、ちょっとは前向きになれたか?」
笑いに揺れた背に額を付けたまま、けれど両手は後ろに回して鞍の縁を掴んだまま。
「バルガ・オルヴァは、どんな男だった?」
静かに問えば、淀みなく答えが与えられる。
発する言葉に揺られる背。額から僅かに振動が伝わってくる。
「ルドより明るい茶髪は金に近くて、薄い蒼の瞳で俺よりちょっと背が低いかな。夏の生まれで四十後半。体型はアレイク寄りで立ち姿がすげぇ威厳溢れる感じ。――って、外見の話じゃねえか? んー、最強の双剣使いで豊かな知識と教養と礼儀を持つ最高の紳士……ってのは以前に話した気がするなぁ。まあ、最高の父親で最上のイイ男なのは間違いない。とにかく懐が広くて器がデカイ。厳しくて優しくて――」
短く相槌を入れながらカイルが語るに任せた。
セインは振動と共にじわりと伝わってくる熱を額に受け、胸中を去来する思いを捕えようと瞳を閉じた。
カイルが“石”付きの大剣を手にした頃、セインは比較的大陸南部の近くに居た。そして、離れる方向への移動を決めた。あの時、北上せずこちらを目指していたなら、バルガ・オルヴァに見えることも叶っただろうか。
“石”に狂わされ、剣の切っ先を己に突き付けて来た息子と相対したとき、彼はなにを想ったろうか。
――きっと、最期まで、息子の行く末を案じていた……。
相槌がおざなりになりつつあるセインに気を悪くするでもなく、つらつらとバルガ・オルヴァの話を続けるカイルの声を聞きながら。瞼を開けて、カイルの背に当てた額を外さないように僅かに首を捻って流れる暗い丘を眺める。
――貴方が愛した子が、私を愛すると言う。
想いを返せるかどうか、今のセインにはまだ分からない。
こうして身を寄せていて不快だとは思わない。恐怖も、ない。
だが、不意を突かれると反射的に怯えが走る。
――でも、傍に居てもいいだろうか。
愛されて育った男は、一度は闇に堕ちて自らすべてを失ってしまったけれど、そこで終わることなく這い出て、自分の足で立ち上がり、前を向いてしっかりと歩き始めている。
だから、その姿を見守り、その生き様を見届けよう。
最早、一切の干渉ができなくなった『父親』の代わりに。
――償うために一緒に居てくれても嬉しくない、とか。『嫁』であって『父親』じゃないだろ、とか。きっと貴方の息子は言うだろうけど。
鞍を掴んでいた手を放してカイルの外套を両脇から握り込んで、ずっと預けていた額を外す代わりに顎を軽く触れさせる。滔々と喋っていた声が一瞬、音を跳ね上げたが無視して空を見上げれば、上弦に太り始めた月が薄雲を纏って天空に浮いていた。
――黄昏のあとに月は影を落とし、やがて暁が訪れる。
夕焼け色の迷子が暗闇に惑わぬように。
光に満ちた夜明けを迎えるその時まで。
――傍で過ごすことを許してください。
◆◆◆
狸親爺の塒にカイルとセインが帰り付いたのは宵の内。予定よりは遅くなったが、まだルドのお迎えが飛んで来ずに済んで良かったと小さく笑い合って平屋の裏手に回る。勝手知ったる、とばかりにそこに建てられていた厩舎に馬を入れるカイルに従って、セインも鞍やその他の装備を外したり藁で汗を拭いたりと世話を手伝い、水と飼葉をたっぷりと与えてから表に回った。
見張りは立てないのかと首を傾げたセインに、屋根裏に部屋があって、そこに誰かしら常駐しているとカイルが答えつつ扉に手を掛けた。
開いたそこには死屍累々。
「…………なにがどうしてこうなるんだ?」
「うーわぁ……おやっさん、はっちゃけたなぁ……」
並ぶ卓子には泥酔したらしい男たちが突っ伏し、椅子からずり落ちたらしい幾人かは床に転がって高鼾を上げている。場の中心の卓子にはまだ意識のある人物が優雅に酒杯を重ねていた。
「ああ、帰ったか。セイン、無事だな?」
「問題ない……というか、こっちの方が問題じゃないのか。どうなってる」
「人間自棄酒を呑みたくなることもある」
「……アレイク、が?」
さらりと返される言葉に唖然とする。大概のことは苦笑ひとつで流しているアレイクと自棄酒と言う単語とが結びつかない。
だが、周囲を眺めてみれば空いた酒瓶と、瓶では足りないと持ち出されたらしい樽はことごとくこの中央の卓子に寄せられている。アレイクの向かいには狸な親爺が椅子に背を預け、顔を真っ赤にして寝こけている。ミシリーとルドの姿は見えない。
淡々と話すアレイクの顔色は変わらない。日に焼けた、精悍な面差しを穏やかに緩ませている。言動にも酔っている節は感じられないが――並み居る男どもを潰したのがアレイクだとするなら、底無しにも程がある。
「最初の内はバルガ・オルヴァの思い出話にミシリーが喰い付いてて、比較的和やかに晩酌を頂いていたんだがな……。ああ、ミシリーは奥の一間で先に休んだぞ。ルドが一緒だから心配は要らないだろう。で、そのミシリーがいらんこと俺の身許を吹聴してくれたもんでな――正しくない内容のを」
それで拗ねて勢いよく酒を干したら一味が調子に乗った。
呑め呑めと勧められるままに杯を空けて見せれば呑み比べに発展した。
自分と関係無いところでも呑み比べが勃発し、気付けば早々にこの惨状だという。
「その『内容』については」
「黙秘」
「あれだろ、セインを追っかけて押し掛け護衛やってます的な」
「…………」
「だぁあっ、アレイク静かに剣を構えないで! それは姉ちゃんの役回りじゃなかったのか思わぬ伏兵!!」
どか、がたん、と椅子や卓子、転がる瓶とついでに転がる男どもまで蹴りながら、カイルはアレイクの攻撃を避ける。アレイクも辛うじて理性が残っているのか、剣帯から鞘ごと外した剣を振り回しているから大惨事には至らないだろう。
「……一応、酔ってんだな……」
卓子に残っていた炙り肉の欠片を口に放り込みながら、狭い室内で繰り広げられる野郎ふたりの追いかけっこを、遠い目をして眺めるセインであった。
賑やかな声の響く建物の外。
夜空では月が静かな光を落としている。
これからも、変わらずに。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いたします…と申したいところですが、これにて完結、です。
最後の最後でアレイク最強伝説設立。普段おとなしい人ほど怒らせると怖い典型。
書けていない話もありますし、今後、小ネタができたら追加するかも…ですが、一旦区切りとします。
どうにもダラダラとしか進められない拙作に、ここまでお付き合いいただきました方々に感謝申し上げます。
投稿開始からちょうど1年半、こんな長編になる筈じゃ…を何度繰り返したか分かりませんが、途中で放り出さずに書き続けられたのはやはり読んでくださる方がいるからこそでした。
12/30付けの活報にフライングで後書きをアップしています。
気が向かれましたら覗いていただければと思います。
ありがとうございました。




