02.厳君の面影
石塔の前で膝を折り僅かに項垂れて木札に記された名を呼び、口の中で一言、二言を告げる。そうして二十二の石塔を回り終え、カイルは最奥の石塔の前に膝をつく。
石塔の後ろに誰かを見るような眼で、じっと固まって動かなくなった。
セインは整地された墓から少し離れた、枯れ始めた草に覆われた丘にぽつねんと生えた木の傍に立って、そんなカイルを眺めていた。
乗って来た馬は木の枝に手綱を引っ掛けて首筋を軽く叩いてやれば休憩だと承知したのだろう、大人しく周囲の草を食んでいる。
徐々に石塔にかかるカイルの影が長くなっていく。今日の夕日はカイルの髪の色よりも濃い色で空を染め大地を燃え上がらせている。夕焼け色の髪も燃えるように鮮やかに――或いは血濡れたように禍々しく――赤く映えて微かな風に揺れる。
夕日が地平に半分ほど埋もれた頃。
ようやくセインは足を踏み出した。
カイルに倣って、麓に近い方の石塔から順にひとつ、ひとつ。
名を確かめて唇に乗せ、左の掌で包んだ右の拳を右腰に引き当て会釈するシルグルア王国に於ける略礼を重ねながら。
申し訳ありません、とも。
安らかに、とも。
何も言えずに。
罪悪感が無い訳ではない。
けれどセインが謝罪を述べることが正しいのか分からない。
セインが償うべきは死者へではなく生者、即ちカイルに対してだろうから。
哀悼の意が無い訳でもない。
だが、言えた義理だろうかと堂々巡りになる。
結局はただ無言で、木札に刻まれた名を、そのまま己の心に刻み込むだけ。
そうして、燃える日がその姿をほとんど大地の向こうに沈めた頃。
セインは最後の石塔から少し離れた所に立ち、じっとカイルの髪が赤く揺れるのを見詰めていた。視線を上げた先は燃える丘の稜線、その先に見える空は完全に夜闇に満たされている。
戻る、と言い置いてきている以上、ここで夜明かしをする訳にはいかない。毛布一枚無くとも冷気を遮る結界なら今のセインにも扱える。だが、戻りが遅くなれば確実に仲間たちは迎えに来るだろう。少なくとも、ルドが〈光の鳥〉を飛ばしてくることは間違いない。
理性ではカイルに声を掛け、今日のところは引き上げるべきだと分かっている。
けれど感情は、カイルの気が済むまでこのままで、と訴えていた。
セインの躊躇する気配を感じたのか、カイルの肩の線からふっと力が抜けた。
振り返ったのは一見、笑顔らしく見える顔。残照に深い影を作られながら、つらいのか切ないのか判然としない複雑な表情で、しかし口角を引き上げて無理に笑おうとしているような。
「悪ィ、遅くなっちまったな。帰るべ」
いつもと同じ、軽くて暢気な声音。
セインはひとつ頷いて、立ち上がって馬に向かうカイルを見遣り――先程までカイルが膝をついていた場に立つ。
「セイン?」
「一言挨拶くらいさせろ。馬を頼む」
「……了解」
夕日は地平に沈み、木札の文字は眼を近付けなくては読み取れないほど周囲は暗さを増してきていた。だが、ここに眠る者が誰かは取り違えようが無い。
「――バルガ・オルヴァ」
謝罪も哀悼も捧げられない。そんな自分が遣る瀬無い。
唇を噛んで言葉を探し、離れた所で馬が小さく嘶く声を聞いて、その傍にいるだろう男を思う。
――ああ、ひとつだけ。
唐突に心に滲む想い。
――カイルを愛し慈しみ、まっすぐに育てた貴方と貴方の仲間たちに敬意を。
受け入れられるかどうかは知らない。
けれど、唯一、身勝手であっても伝えたいと思えた気持ちだった。
◆◆◆
「……バルガの野郎はよぉ、いいとこの生まれだったんだよ。金に近いきらっきらした茶の髪に、薄~い青色の眼でよ。悔しいがいい男ぶりだったぜぇ」
カイルとセインを見送って、ひとまず屋内に招かれたアレイクたちは狸親爺と向き合ってささやかな晩餐を馳走になっていた。
入口を潜ってすぐは食堂兼居間らしき広めの空間、奥に幾つかの扉が見えているのは水場や寝室に続くのだろう。端の方に見える梯子は屋根裏部屋があることを示すように、上端が高くはない天井に空いた穴に消えている。
いわゆる盗賊の塒、男ばかりが起居する建物は辛うじて惨状を免れているという程度に整頓され、染み付いた酒と煙草の匂いが充満していた。
狸の向かいにアレイクが座り酒杯と共に耳を傾け、その左側に座るミシリーは食事も忘れて前のめりに狸の『バルガ・オルヴァの逸話』に喰い付いている。ルドはアレイクの膝に抱えられて卓子の炙り肉にちまちまと手を出していた。
「家と縁は切れてる、どこにでもいる破落戸でしかない、って言うんだけどよぉ。まあ、喋り口は俺らほど悪かねぇけど普通に砕けてたし、お貴族様がまず使わねぇ双剣を得物にしてたが、なんてぇんだ、立ち居振る舞い、か。立ったり座ったりってぇただの動作がよ、すげぇ様になってやがったのよ」
ミシリーがうんうん、と大きく頷いて先を促す。アレイクは苦笑混じりにその姿を一瞥したが言葉を発することなく酒杯を重ねた。
「あと、考え方ってのかね。強きを挫き弱きを助ける――とまでは恰好つけねぇが、弱い奴には手を貸すとこがあってよ」
調子のいい聞き手を得て狸親爺の弁舌は滑らかだ。周囲で適当に飲み食いしている一味から「まぁたその話っすか」「親爺じゃオルヴァほど色男にゃなれませんて」と野次が飛ぶが、機嫌よく呑んで喋っている。
「……だから、川に流されてた赤ん坊もうっかり拾っちまったんだぁな」
「え、と……その赤ちゃんが、カイルさん?」
ふ、と沈んだ口調で語られた内容に口を挟んだのはルドだった。手にした炙り肉から顔を上げて、瞳を丸くして狸親爺を見詰める。狸が大仰に頷いて杯を干し、手酌で酒を満たす。
「小っせぇ桶に寝かされて、どんぶらと川を流れてたところをバルガの野郎が通りがかって拾い上げた。生まれて数日も経ってねえだろうって分かるほど、しわくちゃで小っせえ赤ん坊。まだ寒さの残る紺月の内だったか。白い布に包まれて、桶の隙間にはみっしり花が入れられてたそうな」
口減らしか、望まない子だったか。
いずれにせよ、生きたまま葬送されたのだと知れる状況だった。
だから、赤子を拾ったバルガ・オルヴァは、流れを遡って生みの親を探すことはしなかった。代わりに己の懐に抱き込むと、己の子として育てた。周囲の街を巡っては乳を分けて貰い、慣れぬ手つきで襁褓を換え、昔々に覚えた歴史の物語を子守唄代わりに語り尽くし。
「夕焼け色の髪と瞳の赤ん坊を、そりゃあ大切に育てたんだぜ。食べた、立った、歩いた、喋った……いちいち俺に報告する必要はねぇってのによぅ」
当時は『一味』と互いを呼んでいた仲間たちは赤子を絆としてより結びつきが深くなり、いつしか『一家』を名乗るようになった。幾人かは去り、新顔が入ることもあったが、いずれも赤子の父のような、叔父か年の離れた兄のような男たちばかりだった。赤子を『一家の末っ子』として可愛がり、優しく、時に厳しく、皆で寄って集って強い男に育てていた。
「なのに、なぁ……、なんであいつは死なにゃあならんかった」
苦い表情になった狸が呟く。
聞き手の反応を望むものではなく、自問するようなささやかな呟き。
「剣を持ってなかった訳じゃねぇ。あいつの双剣は鞘に収まったまんま腰にぶら下がっていた。他の奴らも、抜いてた奴はひとりもいなかったんだ」
殺戮の現場に残されていた一家の武器は、剣も槍もすべて鞘に収められた状態だった。応戦はしたらしい、鞘に幾つもの傷が残っていた。だが手加減をした状態では大剣を振るう存在を止めきれず――それでも、誰一人、抜身では武器を扱わなかったのだ。
それまで陽気に飲み食いをしていた狸親爺の一味たちも沈鬱な雰囲気で黙り込んだ。
しん、と音も空気も冷えた食堂に、ようやく落ちたのは幼い声。
「カイルさんを生かすために、でしょうねぇ……」
一斉に視線を集めた存在は、ぺろりと指先に付いた脂を舐めてから姿勢を正した。背筋を伸ばし、まっすぐに狸の目を見る。
「カイルさんを生かすために、バルガさんたちは命を懸けた。カイルさんは、だから、バルガさんやお兄さんたちの分まで、目一杯生きなきゃいけないんです。――全部ぜんぶ、ひとりで背負わなきゃいけなくて、すっごく重たいはずなのに、いつも明るくて優しくて頼もしいんです」
舌足らずな言い回しは対他人用だが、内容はいつものルドの言葉だ。
「僕はカイルさんが大好きです。バルガさんやお兄さんたちがカイルさんを好きだったのに負けないくらい」
にっこりと笑って、ルドは話を締め括った。
「――きっと、セインも」
「厳君」…他人の父親を指していう尊敬語。非常にかたい言い方。『類語大辞典』講談社




