01.黄昏の帰還
番外編というか蛇足的後日談の章です。
なだらかな丘の頂を越え、少しばかり下りたところでカイルは馬の手綱を引いた。借りた馬だが、乗り手の意思を正しく汲んで歩みを緩める。
眼を眇めるカイルの背後から、斜めに身を乗り出したのはセイン。見遣った丘の麓には、幾つか大きな建物を擁する中規模の街。その向こうに高度を落とし、赤みを帯び始めた太陽が控える。
街の東側、丘の西斜面をゆっくりと二人乗りの馬が下っていく。少し先に、目指すものが影を長くしていた。
背の低い草が茂る丘にあって草が刈られ均された土。石を積み上げた小さな塔はその下に葬られた者がいることを示し、添えられた木札に刻まれた文字がその墓標の下に眠る者の名を知らしめる。
整然と並ぶ石塔を数えてみれば二十三。並びの一番上、丘から下って来たカイルに一番近いところに築かれたものは他の物に比べて一回り大きい。
馬から降りて石塔を回り込み、添えられた木札を読めば。
「…………お頭……、ただいま」
小さく呟いたカイルの声は風に流され、馬上のセインには届かなかった。
◆◆◆
メルス王国のほぼ中央に位置した湖からまっすぐ南下すること半月、大陸最南端のイーハ公国に入った。
カイルの先導で、国境に程近い丘陵地帯の一角に塒を構える一家を訪ねたのは午を過ぎてしばらくの頃合いだった。丘の中腹から頂上にかけて広がる雑木林の中に巧妙に隠された平屋から応じたのは若い男、カイルを認めるなり目を見開き、屋内に「オルヴァのバカ息子が帰った!!」と叫んだ。そうして飛び出してきたのは髭面で年齢が読みにくい、丸々と肥えた腹から五十がらみだろうと推測される男だった。
手に巨大な戦斧を携えて姿を現した、赤みがかった茶髪と同じ色の髭を顔中に蓄えた男に、カイルが「狸なおやっさん、おひさ~」と軽く声を掛けた。成程、色味と丸い腹、さほど高くない背丈と相まって、二足歩行の狸と言えなくもない。……狸の得物が巨大戦斧では愛嬌もなにもあったものではないが。
その狸親爺は、カイルを頭の天辺から足の爪先までをじっくりと眺めたあと、まっすぐカイルの眼を見据えて「生きてンな?」と確認した。
カイルがにこやかに笑って是と応じたところで――怒声と共に戦斧が舞った。
「どおぅりゃああああ!! くらえ糞餓鬼ィイイイ!!」
「ちょ、おやっさん!? 俺だけど!? 生きてるよ死霊じゃないよ!?」
「分かっとるわ、こンの腐れ末っ子がぁ!! ちょろちょろすんじゃねぇよ!」
「いや全力で逃げるだろ避けるだろコレは――――ッ!!」
「ざけんな糞餓鬼ィ! ったく、父親の死に水も取らんと消えやがって、帰って来たと思ったらなんだぁ?! 美人連れでいい気なもんだぁな?」
暴れながら流された視線の先にはミシリーだ。胡乱な視線を寄越す狸親爺に、傍らのセインの腕に自分の両腕を絡めながらミシリーも半眼で応じた。
「妙な勘繰りは勘弁してちょうだい、ヒゲ狸っ! あたしはセインさんにくっついてるだけだから! そこの蜜柑頭に興味は無いから微塵も欠片も無いから!!」
「……きっつい姉ちゃんだな。どこがいいんだ、末っ子」
「いや俺も姉ちゃんに興味は無いから! 俺の嫁はセインだから!!」
そこでぴたりと暴れ狂う戦斧が動きを止めた。ずどん、と重々しい音を立てて大地に斧を突き立てた髭面は、じっとりとした視線をミシリーに縋り付かれたまま、無表情に立つセインへ向ける。ミシリーが叫んだ内容と行動から『セイン』が連れのどれかは把握したのだろう。
狸の視線はセインからミシリー、少し後ろに立つアレイク、その腕に収まっているルドを確認し、再びセインを一瞥してカイルに戻る。そうして絶望的な表情を浮かべた。
「………………末のよぅ。お前さんがソッチの道に目覚めちまったなんざ、俺ぁどの面下げてバルガの野郎に報告すりゃあいいんだよお」
「おやっさんコレ女だから!! 俺だってソッチに目覚めたかぁねぇよ!!」
思わずセインの傍に駆け寄り両腕で抱き込んだカイルは、ミシリーが全力で引っぺがしに行ったが必死でセインの細い肩にしがみ付いていた。
「カイルさん、そっちってどっち?」
無邪気を装う舌足らずの声はアレイクの左腕に鎮座するルドで、最早涙目のカイルに「ルド、お願いだから俺で遊ぶのヤメテ」と懇願されてきゃらきゃらと楽しげに笑う。椅子代わりのアレイクは苦笑を零しただけで沈黙していた。
「あー、もういいから! おやっさん、お頭たちの墓作ってくれたんだろ、どの辺?」
セインの肩から腕を外し、ミシリーに引っ掛かれた手の甲をさすりながら問うカイルに、狸親爺はやや言い難そうに小さな溜息を落としてから応えた。
「……ダアトの丘。婆の街の、東の斜面だ」
「どもっす。ぐるっと向こうだなー」
恐らくは気遣ったのだろう狸の様子は見なかった振りをして、暢気にぼやきを上げる。覚えのある場所はここから南西方向、頂上を越えた向こう側に墓地を整えてくれたと理解した。
「しょうがねぇだろ、狐婆に後を任せるのにこっちに作る訳にもいかねぇし。婆の街から近いし、性悪地主からもなんとか許可が取れた場所だったからな」
「きょか」
「行き倒れをその場で葬るのとは訳が違わぁな。そもそも行き倒れだって街が近けりゃそこの公共墓地に葬るだろうがよ」
「……おやっさんが、地主とやりあってくれたんすか」
「俺だけじゃ無理だが、まあ、この周辺じゃあオルヴァはちょっとしたもんだからな」
「…………そっすね」
「あ、お前ぇは大したことねぇからな、糞餓鬼枠だから」
「おやっさんまで酷え!!」
もれなく扱き下ろされて毎度の嘆きを叫んだあと、カイルは夕焼け色の髪をガシガシと掻き回した。
「あ――……、おやっさん、悪ィけど連れをしばらく預かっててくれねぇか?」
「あぁん?」
「俺は墓参り行くけど日が落ちちまうし、女子供連れて夜歩きはなぁ」
黄赤の瞳が見遣った先にはルド。なにか問題が、と言わんばかりに首を傾げてくる外見詐欺の子供に苦笑を返して、
「おやっさんとこ、馬が居たろ? 貸してくんねぇかな。ちょっと行ってさっと帰ってくっからさ」
「……まあ、狐婆ンとこに押しかけるにも時間が悪いか。分かった、連れは歓待しといてやらぁ。おい、俺の馬に鞍ぁ着けて出してやれ!」
狸親爺が家屋の入り口に集まっていた仲間に声を上げて指示を飛ばす。と、濁声に被せるように涼やかな音が響いた。
「二人乗り用の鞍があればそれを」
狸が振り返れば、カイルの連れで『嫁』と呼ばれた綺麗な面差しの、しかし少年にしか見えない人物。
「……あるけどよ、必要か?」
「残念ながら私は馬に乗れないので。カイル、乗せてくれ」
「え? ちょ、セイン、なんで? 一緒に来るの?」
「私もオルヴァには用がある」
「いや、墓だから。ご希望とあらば明日以降に改めて案内はするから。どうせその向こうの狐のばぁちゃんトコにも挨拶には行くし」
カイルが制止するがセインは素知らぬ顔で聞かぬふりだ。
アレイクの腕から降りたルドが背嚢を抱えてほとほととセインに歩み寄り、小首を傾げて仰ぎ見る。
「セイン、お泊り荷物持ってく?」
「……いや、夜になるだろうけど戻るよ。だろ?」
「あ、うん。戻るけど。って、じゃなくて、セインはここで」
話を振られたカイルが思わず応じ、すぐに我に返って止めにかかるが、セインは不機嫌そうに眉根を僅かばかり寄せて「私とふたりというのがそんなに不満か?」などと言い出す始末だ。
「いや願ってもないけど色々我慢がきかない自信が!」
「アンタ本ッ当ーにバカよね……言わなくていいことをボロッと……」
「姉ちゃん細縄は仕舞えややこしくなるからお願い!」
きゃんきゃんと恒例の騒ぎを横に、セインは腰から剣を剣帯ごと外してルドに渡す。二人乗りなら少しでも身軽な方がいいだろう、と財布も上着の隠しから出して荷袋に突っ込みルドに預ける。
と、アレイクが険しい表情でセインの前に立った。
「セイン」
「アレイク、ルドとミシリーを頼む」
「俺の役目は子守りじゃないんだが」
暗に『お前の護衛とカイルの監視が任務だ』と言ってくるアレイクに、セインは数拍黙考し――ひとり納得したように頷いて宣言した。
「大丈夫。万一の事態が起きてもカイルを捻じ伏せて逃げてくるくらいはできるし。そもそもカイルは私が嫌がることはできないだろうし」
感情を読ませない無表情のまま、あまりにもきっぱりと言い切られた科白にアレイクは反論を呑み込み、ミシリーは暴れるのを止めて苦い顔をし、ルドは口元を小さな両手で覆って笑いを堪え。
狸親爺以下、賊の一味は唖然とした表情でカイルとセインを交互に見遣り。
当のカイルはしばし凍りついたあと、がっくりと肩を落として深く項垂れ。
諦めた声音で小さく告げた。
「…………おやっさん、二人乗り用の鞍でお願いします……」




