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紅の闇  作者: 水無神
第四章 メルス王国
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13.暗躍の種を明かせば過保護君


 ころりと掌に乗る、重みも質感も感じさせない、輪郭の曖昧な黒い塊。

 虚空に響くのはセイン以外には馴染みのない、若いと思われる男の声。だが、先にセインが『マグア様』と呼んで応じた以上は魔王その人――正しくは人ではないが――であるはずだ。


 ルドは気の無い素振りで頬杖をついたまま、あとの三人は唖然とした表情でセインの手元に視線を投げている。


「…………呼んだかもなにも……コレは一体どういう悪戯でしょうか?」


 呼んだのは自分だが、そもそもこの事態を引き起こしたのは魔王がセインの右手に術式を仕込んだからだ。大袈裟な怪我をしたところで、致命傷でなければルドの手に余ることはそうない。今回はカイルの手当ても同時進行だったろうが、そちらはきれいに完治させている上に今なおルドには余裕が見える。むしろ魔王が干渉したことで余計な労力を取られているとさえ考えられるほど。

 眉間に皺を刻んで小さな闇に問いかけるセインに、呆れきった声音が返ってきた。


 ――悪戯とは随分な言い草よな。負傷している拳をどくの塊に叩き込むような阿呆が偉そうに。


 右隣からの視線が痛い。居た堪れない(メンタル)のではなく血が出そう(フィジカル)な痛さ。

 怖いので右側は見ない。セインはまっすぐ掌中の珠ならぬ毬もどきを見詰める。


 ――魔が侵入するは精神の隙間だけではない。肉体にも隙があれば入り込む。いかに狭間の者〈リィド・アスカ〉の血を汲もうと、我の力の欠片を継いでおろうと、今の汝は只人に過ぎぬ。挙句、負傷して体力を落としておったのでは即座に傀儡行きぞ。


 セインの視線に、先程よりは少し堅くなった声が淡々と説明を加えた。

 小さく首を傾げ、セインは魔王の言葉を内心で反芻する。落ちてきた意味に、更に右半身が傷んだ気がした。


「……、私に魔が入り込んだのでマグア様が浄化し、ついでに怪我の治癒をしてくださった、と?」

 ――生憎と我に出来るはあちら・・・に引き戻すだけでな。浄化のまじないとは微妙に異なるはずぞ? まあ、その上で我以外の者が余計な干渉をせぬよう封じの呪いも施した訳だが。


 ぼやけた黒毬でしかないのに、えへんと胸を張っているように見える不思議。


 言われてセインは毬もどきを右手から左手に移し、右手を目の前に引き寄せる。改めて浄化の術式を確かめるが、やはり法術士の使うものと差異は無いようにしか見えない。ほんの一画が違うとでも言うのか、だとすればあまりに細かすぎる。宵闇の中、青白い明かりを逆光に受けている状態でそんな精緻な間違い探しは不可能だ。

 諦めて右手を膝の上に戻し、同時に視線も左手の手毬に落とした。


「ルドの処置を待てず、魔王様の御手を煩わせるほどに不味まずい状態だった、ということですか? ほんの一瞬、拳を叩き込んだだけでそれほどの影響が?」

 ――ふむ。うっかりアレ・・を追って我らの界へ入り込んだうつけ・・・を確実に人の世に戻すためでもあったが、なんぞ不服そうだな?


 夢だと片付けたかった記憶が瞬時に脳裏をぎる。思わず「あ」と声を出してしまったせいで魔王の言葉が事実だと仲間にも知れてしまい、右半身を刺す視線が一気に冷えた。刺し傷に続いて凍傷を負いそうだ。

 目覚めるなり泣かれてお説教、という辛い状況を回避できたと思っていたら、とんでもない伏兵に奇襲を掛けられるというしょっぱい現実。


 渋々と、ここまで口にしなかった言葉を唇に乗せた。


「……申し訳ありませんでした……」


 魔王に対してというよりは静かに怒りを這わせている法術士に対しての言葉だが、怖くて隣は見れないので形としては魔王への謝罪となった。

 しばしセインの謝罪の真意を吟味するように黙した魔王だったが、セインの状態と周囲の状況との折り合いがついたのだろう、ころりと転がって受け入れた。


 ――まあ、よい。意識が確かになったならば呪いも解いてよかろう。


 手毬が大きく転がってセインの左手から右手に移る。移動した右の掌の中でころりと動いたと思ったら、セインの右手の赤が霧散した。一瞬、燐光を放って浮いたと見えたが、すぐに黒い塊にすべてが吸収された。毬もどきをもう一度左手に移して右手を眺めてみれば、びっしりと施されていた術式も、それに隠されて判然としなかった傷痕もきれいに消えていた。


「……ありがとうございました」


 間違い探しをしておきたかったかな、というどうでもいい感慨を覚えながら、今度は比較的素直に礼を言う。満足気に手毬が転がった。

 冷ややかな視線をセインに注ぎ続けていたルドも、大仰に息を吐いてから焦点をセインからその掌に収まる靄のような黒い塊に移した。そうしてゆっくりと、明るい茶の髪を青白い法術の光に揺らしながら頭を下げる。


「僕からもお礼を。ご助力、ありがとうございました」


 俯いたその表情はセインには見えていないが、床に座る男ふたりには僅かに見えていた。――明らかに苦々しい。


 ――さて? 末裔すえの右手の件で小さな術士の邪魔をしこそすれ、礼を言われるようなことをしたろうか。


 対照的に魔王は愉快そうで声が笑いを含んでいる。ルドの声や表情からではなく滲む感情から、本心からの謝意ではないと判るからだろう。

 頭を上げたルドは、多少は取り繕っていたものの拗ねたような表情のまま。ちらりとミシリーを一瞥して説明を補った。


「……ミシリーさんを護っていただきましたので」

「うえぇえい!?」


 それまで蚊帳の外よろしくセインと手毬とルドの遣り取りを傍観していたところに、突然名を挙げられたミシリーが奇声を上げた。セイン越しにルドを覗き込むがルドの視線はセインの膝の上、華奢だが柔らかみに乏しい掌に収まる黒い靄から動かない。


「あのとき、あのまま、あのひとがこちらに出て来ていたら、最悪の事態にはならなくても無事じゃ済まなかったと思いますから」

「ルド君、説明! 説明を要求する!!」


 ミシリーの詰問に、ほんの僅か、ルドの視線が宙を泳いだ。拗ねた表情からとぼけた表情に変わり、そしていつもの屈託のない――非常に子供らしいが見目だが、性格ほんしょうを知る人間からすれば非常に黒い――笑顔を浮かべてミシリーの顔を覗き込んでくる。


「あのひとのお腹の“石”を抉りに行ったミシリーさんが一度浮いて来て、『問題ない?』って訊いてきたとき、僕、『問題ないですよ』って答えましたよね?」

「うんそうだね! だから安心して回収に行きましたよ?!」

「もし『こっちに出た?』って訊かれてたら、『出ようとしたけど魔王様が引っ込ませました』って答えてました」

「………………ぃいいいぃやぁああああ―――っ!!」


 ルドの言葉の意味を呑み込むのに数拍を要したミシリーだが、理解するなり絶叫して寝台に突っ伏した。カイルは面白がるには少々度が過ぎる暴露に口元を引き攣らせ、アレイクは額を押さえて俯いてしまった。

 にっこり笑顔のままのルドと打ち震えるミシリーとに挟まれているセインにも、さすがにミシリーが哀れに思える。震える背を撫でながら、ルドに半眼を投げた。


 セインの非難するような視線を受けてもルドの態度は変わらない。ちまいくつを脱ぎ、寝台の上で細い膝を抱えて顎を乗せ、愛らしい笑顔をこてんと傾げて見せる。


「嘘は言ってないでしょ?」

「詭弁だろうが。つくづくお前は性質たちが悪い」

「誰かさんの育て方が良かったんだね~」

「……育てた覚えはない」

「育った覚えはあるから大丈夫~」


 深まるにっこり。


 しばしの沈黙ののち、セイン以外の全員が笑った。呻いていた筈のミシリーも突っ伏したまま肩を震わせ、セインの左手に収まっている黒い手毬までもがころころと転がって笑いを表現する。


 ――いや、しかし。節介とは弁えておったが、アレを湖に出すのもまずかろうと、出る直前で捕えたつもりであったが……想定外に聡くできておったな。


 くつくつと笑い声まで続き、どこまでも楽しげだ。魔王としてはルド経由でもセインに知れれば余計な世話だと言われるだろう行為だから、こっそりやったつもりであったらしい。ルドにすれば欠片とはいえ隠す気の無い凶悪なまでの気配に、眉をひそめるしかなかったというのに。


 みんなが一頻ひとしきり笑って状況が落ち着くのを待って、魔王がセインを呼んだ。


 ――のう、末裔よ。ユークは再び眠ってしもうた。


 先程までの楽しげな声と打って変わって虚ろな響きは、人と同じように幾つもの感情を持っているのではないかと思わせる。

 ゆっくりと落とされたセインの視線に応じるように、ころりと黒い手毬が動く。


 ――我が今後、汝と接せるのは北の地(ヒペリオン)中央の社(エレアザル)のみとなろう。


 その気になれば大陸全土、かつて綻びが生じたところであれば、現在は神殿により封じられている『穴』からでも魔王ならば抜け出すことはできるだろう。あるいは今のように、セイン自身を出口代わりにすることも可能なのだ。

 けれど魔王はそれを自身に許さない。神が定めた魔の領域と人の領域が接する地でしか関わるつもりはないと宣言する。――それは、人と魔の共存を希求した存在の、揺るがぬ信念。


「……マグア様こそが、高潔な神官のようですね……」


 血の気の戻らない顔に、それでも微笑みを浮かべてセインが呟いた。

 不服そうにぼやけた黒毬が震える。しばし間を置いてから、魔王は言葉をいだ。


 ――此度のような事態はもう起きまいが、それでも我は汝を護る手を持たぬ。そして我は汝が狭間の者〈リィド・アスカ〉を継がずして世を去るのを良しとせぬ。


 口約束だが、それでも既に契約は交わされた。

 果たさずに消えることは認められない。


 ――く戻れ、とは言わぬ。よくよく人の世を見て、なにが我らを生むかをしかと学んでくるが良い。ただし、無事に戻れ。


「……はい、マグア様。必ず」


 静かな、しかし強い光を宿した赤茶の瞳に満足したように黒い手毬はころりと揺れて。ざらりと宵闇に融けて消えた。



「かほごぎみ」を変換したらタイトルの表記に変換されました。

本当は「気味」のつもりでしたが…むしろしっくり来る気がして採用。

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