07.懐かれて気付けば見事に腐れ縁
赤い光は膨張し周辺を満たす。
それまでの漆黒の闇から黄昏にも似た赤い闇へと世界は変貌した。
――すべてを委ねろ。
嫌だ、と抗う心は徐々に赤い闇に浸食されていく。
――力を与えよう。こちらに来い。
どこに。そう、“こちら”とは何処のことだ。
周囲を見渡す。
赤は深みを増して紅へと転じる。
どこまでも見渡せるようでほんの鼻先も見えないような、紅の闇。
ここは、何処だ。
――こちらに、来い。
谺する声は何者の声か。
◆◆◆
春の日差しに白く煌めく剣の舞。
互いを弾き、時に絡み合うようにして打ち合わされる長剣。
舞うように手合せを行う二人を取り巻く男たちが歓声を上げる。
ゼフィーア王城の西翼、王都軍兵舎に附設されている練兵場の一隅で剣を交えているのはアレイクとセインである。
手にしているのは刃を落とした金属剣、アレイクは普段の長剣と同等の物を、セインはそれでは重すぎるので、やや刃渡りの短い物を使っている。
「……ダシルバは遊んでるのか?」
「遊んじゃいないが楽しんでるな。かなりの腕だぞ、あの坊や」
「坊やってのは失礼じゃないのか? あの子あれでも――」
アレイクの剣がセインの首を刈りに行く。その切っ先を最低限の動きで躱してセインはアレイクの脇腹を狙うが、大きく後ろに跳び退られ空を突く。追って更にアレイクの喉を刺しに行ったセインはしかし、それより先に眼前に刃を突き付けられ動きを止めた。
「――っクッソ!」
吐き捨ててセインが剣を下ろす。アレイクも剣を引いて額の汗を拭った。
「班長さん、何やったらそこまで剣が言うこと聞くんだ? ほとんど腕の一部かって動きなんだけど」
「日々是鍛錬あるのみ、だな。セインもすごいな、慣れない模擬剣で良く間合いを読むじゃないか」
爽やかにイイ笑顔のアレイク班長を恨めしく見上げるセイン。この二日間、手合わせすることすでに二桁、引き分けに持ち込むことすらできていない。
第二師団師団長ノーマンがセインたちの宿を訪ねた翌日、セインとルドは王城の外郭内にある兵舎へ招かれた。
宿での会談で、師団長はセインをユークリッド家の末裔と認めた。
彼は王城に戻ったその足で、師団長権限でセインの城の外郭への立ち入り許可を取った。さらに内務に対し居城区域への立ち入り申請をしてくれたという。申請が通るまで最短でも数日かかるので、その間の宿代もバカになるまいと兵舎への宿泊を提案してくれた次第である。
宿を引き払う際ミシリーに盛大に嘆かれ、城に行くと白状させられたため、うっかり侵入突撃されやしないかと内心穏やかでない、というのは余談だが。
結果、アレイクはセインとルドの案内役兼監視役として通常任務――城門および市街の警備――から外され、外郭区域をウロウロする子供二人のお守りを命じられた。
立ち入りを許された外郭については初日の内に一周し終わっており、セインの探す“石”が王族の居住区域にあるということを再確認している。
あとは許可が下りるまでできることもなし、ということで、暇を持て余したセインはアレイクとひたすら手合わせをしている。ルドはそれを見物したり、アレイクが書庫から借りてきてくれた童話だの子供向けの歴史書だのを読んだりで過ごしていた。
「ダシルバ~、次は俺の相手しろよぉ」
「ちょっと待ってください、一息つかせてください。三本ぶっとおしだったんです」
「待ってる間に俺らの休憩時間終わるんですけどー?」
勘弁してください、と模擬剣片手に前に出てきた別小隊の兵士に軽く手を振ってアレイクは脇に寄る。
わいわいやっているところに指導役の小隊長の号令がかかり、見物していた連中は練兵場の中央へ戻って行った。
彼らを見送ったアレイクは、ルドが本を読んでいた木陰に座り込み息を整えているセインの傍に立つ。
そしてその体躯をしげしげと眺める。無駄な肉などついていない細い体、華奢な肩。剣を振るうにはむしろ筋肉が足りていない。
「……細いというか、薄いというか……」
「あぁ? 喧嘩売ってんの、班長さん?」
独白のつもりがしっかりセインの耳には入ったらしい。模擬剣を手に見上げてくる。
気の短さには苦笑せざるを得ない。ルドの苦労を思わず偲んでしまう。
「いや、すまん。再戦する気はないから剣は置いてくれ。
他にやれることもなく付き合わせて悪いな。師団長の保証付きだからそう手間は取られないとは思うんだが」
「あー、むしろこっちこそ班長さん付き合わせて申し訳ないね。部下さんたちが複雑な顔してたし」
「はは、まあ子守りは兵の仕事じゃないとは言っていたな」
「…………すんませんね、ガキで」
あからさまに顔を顰める様は確かに子供だ。年相応と言えるかもしれないが。
「ていうか、セイン。何か落ち着かない感じだね? “石”の気配、おかしい?」
ルドが本を傍らに置いて訊いてくる。会って数日のアレイクには判らない微妙な変化があるらしい。
セインは眉根を寄せて、少し考える風情を見せた。
「――いや、そう深刻な段階じゃないと思う、城にある“石”は。まだ。
でも確かに、何か気になる。……なんだろうな、コレ……。いつか、感じたような」
さらに眉間に皺を刻んだところで、ここで聞くはずのない声を聴いた。
「セインさーん、ルドくーん、会いたかったよおう!」
練兵場の端、室内訓練棟の脇から右手をぶんぶん振りながら駆けてくる華奢な人影。
「三日ぶり~! 元気してた? してたっぽいね、いい汗かいたって感じがとっても色っぽ……」
じゃきん、と突き付けられた模擬剣にミシリー沈黙。
「……班長さん、不法侵入者の刑罰ってどんなもん?」
「まあ侵入が外郭までなら罰金でゼフィーア銀貨二十枚、もしくは禁錮一ヶ月、くらいか。初犯なら」
「それ、三十年くらいになんないかな」
「前科が大量につけば延びるが…十年単位は難しいな。大量殺戮でもやってれば百年単位にもなるが」
「不法侵入じゃないです勝手に裁判の挙句判決下さないでお願いします」
刃が落とされているのは分かるが物騒であることに変わりはない模擬剣を喉元に突き付けられたまま、ミシリーが懇願する。
上げたまま固まっていた右手の親指を立てて、自分の背後を示す。
ニヤニヤ笑いのノーマンが悠然と歩いてくるところだった。
「いや、班長引っこ抜いたからな? 一応気にしてた訳だ、グレイズ小隊の第五班。
で、今日の持ち場である所の東南の門を覗きに行ったら、見覚えのあるお嬢ちゃんがアレイクに取り次げとごねててな。俺で用が足りんことはないだろうと声掛けて」
「……セインに、でなく自分に取り次げ、ですか?」
とりあえず木陰に全員で腰を下ろして落ち着くと、ノーマンが軽く事情を話す。
訝しげに訊いたアレイクに答えるのは問題のミシリーである。
「あ、別に師団長さんで話済んだからもーいーけど」
ぱたぱたと手を振って笑う。
「用は済んだんだけど、セインさんたちが中にいるよねーって振ったら『会うか?』って言ってくれてさ~。見た目厳ついのに中々話の分かるおっさんだね」
師団長たるノーマンをあっさり「おっさん」呼ばわり。しかし当のノーマンもニヤニヤ笑いのままである。
「その場で追い返しといてくださいよ、師団長さん……」
「ミシリーさんのお話ってどんなのだったんですか? ミシリーさんがわざわざ兵士さんに声掛けるなんてびっくりなんですけど」
呻くセインを放ってルドが首を傾げる。大悪を犯しているわけではないが裏稼業の日陰者であるミシリーが、自分から天敵に近付くのは腑に落ちない。
「ん、事実は確認中だが――〈鬼〉が王都に入ったという話を持ってきてくれてな」
「なっ!?」
気色ばんだのはアレイク一人。セインとルドは困惑気味に首を傾げるだけだ。
ミシリーが声を潜めて説明を加える。
「そう呼ばれてる殺人狂がいるの。大剣一振りだけでふらりと現れ、目につく人間を片っ端から切り刻んで、血を見て悦ぶらしいわ。殺人狂って言ったけど、斬った人間の生死には頓着ないらしくって、生き残った被害者たちが山ほど証言してるのに、今まで一度も捕まってない」
そんな輩が王都に入った――裏に生きるミシリーが得た情報、出所は長年の信頼がある情報屋だ。
「まだ当分は王都に滞在予定ってのに、そんな惨事が起きたら寝覚め悪いじゃない?」
偶然とはいえ兵に顔見知りが出来たのだから、耳打ちするくらいはしてもいいかと思って、と苦笑いで結ぶ。
へえ、と素直に驚くルド。だが途中からセインは聞いていなかった。
ふらりと立ち上がり、木陰から出て皆から距離を取って再び胡坐をかく。首の紅玉の連なりに手をかけ――ひとつ、引き抜く。
かちん、と高い音が響き、引き抜かれた“石”の両隣の“石”が結合する。
「糸を通してる、訳じゃない、のか……?」
思わず目を瞠るアレイクたちを無視し、セインは“石”を両手で握り込むようにして額に当てる。
両手の隙間から、わずかに赤い光が零れ始める。
光が収まるまでの短くはない時間、誰一人セインに声をかけることができずにいた。
「……最悪だ……」
漏れる呟きは暗い響きを帯びている。
「セイン?」
「末期状態の“石”だ。力を付けると気配を潜めるようになるんだよ、私がそれと意識して探らないと分からないくらい、巧みに」
向ける表情は声と同じく暗い。あるいは絶望を見るかのような。
「所持者は既に自我を喰い尽くされている。“石”の求めるまま、血を求め、他の“石”を求める」
ふ、と顔を上げ、北の方へ目を向ける。
訓練棟や兵舎に隠れ、その姿は見えないが、そちらにあるのは内郭――居城だ。
そうして告げられる、不吉な言葉。
「“石”同士は引き合う。〈鬼〉が“石”持ちなら、間違いなく目的地は居城だ」




