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紅の闇  作者: 水無神
第四章 メルス王国
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11.猪に理を説くならば如何様に


 闇は漆黒、という。

 月も星もない夜の、死を最も身近に感じるそれが闇だ、と。


 けれど夜の闇は恐ろしくない。遠からず曙光に払われるから。光を待つ間の、休息に必要な闇だから。

 恐れるべき闇は紅だ。大切なものが失われるとき、そこに生じるのはまったあか。そして、魔の棲む〈闇〉はその色に満たされた世界だ。


 ――紅の闇に、あの人は還った。


 茫洋と漂う空間で一点の黒を見付け、近寄ろうとすれば見えざる壁に阻まれた。

 手を伸ばした先で、黒は一際鮮やかな紅に呑まれて消えた。

 哀しみか怒りか、寂寥か後悔か。形容しがたい感情の波に襲われて動けずにいると、黒を呑んだ紅がこちらへ意識を向けた。

 振り返った鮮紅の瞳が細められて、白皙のおもてが微かな笑みを浮かべる。


 禍々しいほどに美しい青年は柔らかな声音で、ここに居てはいけないと咎めてきた。


 ――どうして。


 自分もここから生まれたのではないか。

 他に生きる場所があるのだろうか。


 逡巡を許さないように、青年は抗えない力を込めて、戻れ、と言う。


 ――どこへ。戻る場所、還る処はこの紅に埋められた闇でいいはずだ。


 力在る言葉は続く。愛し子、と。


 ――ああ。


 そう呼ぶ人は、北の故郷に居る。誰にも言わなかったし、呼ぶ人にも拒否はしなかったけれど、似合わない呼ばれ方だと溜息を吐きたくなった。

 むしろ似合うのはこっちだろうなと、長く馴染んだ幼い姿の連れを見遣ったものだ。


 ――……どこ。


 あの子はどこだろう。

 森に生き、光の中に笑う、強い魂の持ち主。

 あの子はここには居ない。居るはずがない。


 ――ああ。


 戻る、と言うならあの子のところでいいだろうか。とても強い子だけれど、私が居なくなることを極端に怯えていた小さな男の子。ときに立場が逆転するくらい頼もしくて、でも些細なことで不安に震える幼い子供。


 ――きっと今も、心配で蒼い顔をして。


 そうして私が目覚めたなら、怒りながら説教を始めてくれる。


 ――ルドの説教を受けに戻らないと。


 意識をそちらへと転じる刹那、紅に佇む青年の隣に、もうひとつ、誰かの姿が見えた気がした。どこか皮肉気な微笑みを浮かべる青年とは対照的に、鮮やかな笑顔で見送ったその人は――私を『愛し子』と呼ぶ人のように思えた。




  ◆◆◆




 全身が重い。

 瞼ひとつ持ち上げることも億劫なほどに、すべてが重怠い。

 指先を動かすことも、瞼を持ち上げるどころか震わせることもできない。

 それでも聴覚が機能を思いだし、嗅覚が起動を始めて、ようやくセインは自分の置かれている状況を僅かに理解した。


 遠くから聞こえるざわざわと木々が揺れる音、それより近いところを駆けていく軽い足音は子供のものか、きゃあきゃあとはしゃぐような声が一緒に動いていく。それらより近い――すぐ傍できし、と椅子が軋んだらしい音。

 湖からどれほど離れたかは分からないが、恐らくは小さな集落の片隅。宿か、どこかの住居の一部屋。ともかく比較的静かな環境で、出来うる限り居心地良く整えられた寝台に寝かされている。


 鼻につく臭いはいくつもの薬草と、それらが調合されたあとの薬のもの。記憶と照合する限り、消毒薬、化膿止めに傷を塞ぐもの、造血作用のあるものに滋養強壮剤と、すべて自分に使われたのだろうと理解する。


 ――いや、カイルにも、ほとんど同じ内容が処方されたかな。


 同様に負傷していた仲間のことを思い出して、意識が急速に覚醒する。


 ――カイルは。


 身体は動かせないままに、必死で気配を探る。

 傍らで椅子に座っているのは恐らくミシリーだ。薬草の臭いに紛れて、ミシリーが好む甘めの香油の匂いが漂っている。周囲に他の気配は感じられない。


 ――ルドもいない? アレイクも……カイルの方についている……?


 動かない身体を、感覚だけで検める。


 右腕はがっちり包帯が巻かれているのだろう、全身を苛む倦怠感の中でも特に、左腕と比べても拘束されている感じが強い。ルドの治癒術でも完治はさせられていない、ということだ。ゼフィーア王城で同じように失血で倒れたときは完全に塞がれていたことを考えれば、今回はルドの法力が止血程度しかできないほど消費されていたか、――他にも処置すべき対象があったから程々で置いておかれたか。


「……ぁぅ」


 貼り付いたような喉をなんとか引き剥がして息を通す。極薄くしか開かなかった唇から、言葉にならない小さな音が漏れた。

 けれど、傍についていたミシリーに報せるには十分な役割を果たした。


「セインさん!? 気が付いた?」


 がたんと騒音を立てて椅子が倒れ、寝台が揺れたと感じたのはミシリーが飛びついてきたか。震わせることもできないと感じていた瞼が、幾度かの痙攣を経て細く開かれた。間近に蒼天が見開かれていた。


「……ぃ、ぁ……ぁ」

「とりあえずお水飲もうか、飲めるかな。ゆっくりね」


 明らかな安堵の表情を浮かべたミシリーが手際よく茶器を用意し、セインの首裏に腕を通して肩を抱くようにして気道を立てさせる。そっと口元に添えられた器からゆっくりと水を含んで、渾身の力で以って嚥下した。


「お代わりは?」

「ぃ、い。……みんな、は」


 多少通りの良くなった喉から、それでも掠れた声が作られた。

 セインの問いに、ミシリーは明るく笑って見せた。

 ――それだけで、セインには理解できたけれど、ミシリーはきちんと言葉でもセインに安心を与えてくれた。


「全員元気。ルド君は薬の調合に使った器とかを洗いに行ってるだけだからすぐ戻ると思うよ。セインが気にしてるだろうバカの怪我も経過は良好で、今も兄さんと一緒に野良仕事の手伝いに行ってるわ。――あ、でもそろそろ様子見に来る時間かな」


 セインの頭を枕に戻しながらぽんぽんと一行の動向を教えてくれる。

 カイルの怪我を気にしていることは悟られていたらしい、きちんと状態を教えてくれる――のは良いのだが、やはり扱いが雑だ。

 笑うにも力が入らず、放心したようなていで小さく「バカ……」と呟くと、ミシリーは表情をキリッと改めてセインに向き合った。


「バカです。左の鎖骨にヒビ入っててルド君が止血と痛み止めだけだから無理するなって言った端からセインを抱え上げようとするんだよ? なんのために兄さんが居ると思ってんのよ無傷だったんだから力仕事は丸投げしときなさいっての。あ、ここは湖に行く前にあたしとルド君が泊まってた集落ね」


 セインが把握していたよりカイルの怪我は深かったのか――と心配する余地も無く、ミシリーの話は立て板に水で滑らかに転換されていく。一拍を置いてもうひとつ、情報が補足された。


「湖から回収したアレは全部ルド君預かりで、いくら結界張ってても見えるところに在るとみんな落ち着かないんで、なんか術かけた袋の中に入れてるみたい」


 言われてセインは意識を“石”に向ける。

 未浄化と判じられる気配が寝台の脇にある。ミシリーが座る枕辺ではなく足元の方。皆の荷を纏めて置いているのだろう、僅かに首を傾げて見れば“石”の気配がする辺りにルドの杖の頭が見えていた。

 と、同時に浄化済みの紅玉の気配も感知する。数が増えた分、頭から抜くことができるほど長くなっていたから、怪我人の療養には邪魔だと外されたのだろう。――或いはクロッセの力を吸収させたために黒変したものを一緒に保管するためか。


 首を戻してミシリーと視線を合わせる。


「……なんにち?」

「丸っと三日、ですな。前にゼフィーアの王城で寝込んだのは二日って聞いてたから、ちょっと心配してたんだよね。ルド君なんて、心配するだけ無駄ってなんか自棄ヤケになってたよ」


 あっけらかんと告げられた内容に、セインは声無く笑った。


 ――ああ、今度の説教も長くなりそうだ。


 セインにつられたように、こちらは声を上げたミシリーの笑い声が収まったところで、複数の足音が扉の前に集ってきた。

 お、と反応したミシリーが腰を上げる。ほとほとと控えめに扉が叩かれる音がして、返事を待たずにそっと扉が開かれた。


「ミシリーさん、ただいまで――っ、セイン!」


 先頭で入って来たのはルドで、セインの意識が戻っていることを確認するや駆け寄ってくる。明るい茶色の瞳が眼前まで迫ったのを確認し、なんとか口元に笑みを浮かべてセインは声を掛けた。


「……おはよ」

「はい、こんにちは。寝過ぎだよ、セイン」


 ゼフィーアでの目覚めと違い、泣かれることはなかった。代わりに、にぃっこりと笑ってくれる。……こめかみに青筋が四つ角を作っている幻覚が見えた。セインの、笑みを刻んだ口元がひくり、と引き攣る。


「――ほんとにねぇ、前例に学ぶってセインの辞書には無いんだねぇ。ゼフィーアのときにざく切りしたのとおんなじ所をまぁたザクザクやってくれてさぁ」

「…………ごめんなさい」


 “石”を使う際の血はある程度の量を確保した方が力は安定する。太い血管を切ったのは狙ってのことだ。かつ、応急処置のあとに更に絞り出すように傷口を刺激したのは無茶だったという自覚もある。

 自覚はあれど反省も改善もしないのじゃ意味がない、というルドの嘆きが蘇る。

 セインが動かない身体を、それでも小さく縮めるようにして返した謝罪の言葉を、ルドは笑顔を崩さないまま、眼を眇めるだけで黙殺した。


 しばしの沈黙を破ったのは、ルドの後ろから続いて入室して来ていたアレイクの苦笑だった。


「……ルド。気持ちは解るが、とりあえず説教は置いておけ。セインの体力が回復してからでないと頭に入らないだろう」

「いぃえぇ、アレイクさん? セインは体力回復しちゃったら馬の耳を装備(右から左に聞きなが)しちゃうので、弱っているときに耳元で唱える方が有効だと思いません?」

「ルド、ルド。笑顔の状態で表情筋固定すんのやめて。俺でも怖い」


 アレイクの隣でカイルがわざとらしく身を竦めて見せる。

 寝台で引き攣った笑みを維持しているセインと、ルドから身を引いたところで空笑いしているミシリー。苦笑を浮かべるアレイクと、やはり苦笑気味に引いているカイル。ひとり満面の笑みでいかれるルド。


 ――以上、猪の猛進の結果に生じた混沌カオスである。



タイトルの「理」はまんま「り」とお読みください。


ルドがちょっと壊れ気味(笑)

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