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紅の闇  作者: 水無神
第四章 メルス王国
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10.餞に捧げるものは紅と


 緑を映す水面からミシリーが消えたあと、ルドは深く息を吐いた。


 ――割と敏感だよね、ミシリーさんも。ここの魔をどうにかしろって言ったのはあの人でもあるしミシリーさんに危害を加えに来たとは思わないから誤魔化す(ほおっておく)けど。なにやってんだろう、あの人。……あ、ヒトじゃないのか。


 ミシリーが顔を出す直前に湖底から感じた昏い気配は、ふたつ。

 先に感知したのは夏の初めにこの近くで遭遇したもの。そして直後にソレに干渉した気配は――夏の盛りに北の国で見せ付けられた脅威の、小さな欠片ほどのものだ。


 ――自分が出張ると余計に均衡バランスを崩すから手出しはしないって話じゃなかったかなぁ……。


 見せ付けられた圧倒的な『力』には恐怖しか覚えなかった。ミシリーが抱き寄せてくれなければ腰を抜かし膝を折って崩れ落ちていただろう、禍々しさを突き抜けて、いっそ神が降り立ったかと思えるほどの存在感。


 先程感じた力の片鱗はごくささやかなものだったが、優れた法術士であるルドには確信がある。


 ――ほんと、なにがしたいんですか?


 問いかけた湖面は静かに波を揺らすだけ。



 地上のルドの独り言など聞こえないミシリーは、こぽこぽと空気を漏らしつつ決意を漲らせて死体と向き合った。改めて小刀を黒玉に添え、今度は迷わず一息に抉り取る。抉られた肉がどうなったかは見ないようにして、水中に跳ねた黒玉を捕まえる。


 捕まえた瞬間、ぞわり、と得体の知れない感覚が背筋を這った気はしたが、敢えて無視して湖底を蹴った。あとは一直線に浮上し、潜った際に作った波紋が消える間もなく新たな波を起こして水上に顔を出すと、大きく水を掻いて湖岸に泳ぎ寄る。


「獲ったよぉ――ッ!!」


 禍々しい黒玉は即行で草の上に放り出した上で、からの拳をそらに突き上げて雄叫びを上げた。


「……だから、ミシリーさんの中の『女の子』ってどんな有様ですか……」


 諦めの境地に立つにはまだ抵抗が残るらしいルドのぼやきに構わず、ミシリーは濡れ鼠のまま駆けた。焚火から離れた所に居たルドにそのまま抱き付こうとしたが、


「あ、却下です」


 寸前で気付いたルドがひょい、と一歩横に避けて手にしていた杖を軽く振った。即座に現れるのは見えざる壁、僅かに白い光を纏うその範囲はミシリーを中心にギリギリ焚火が入って、一歩外にルドが立っている。

 空振りに終わった両手を自分の肩に回すようにして膝をついたミシリーが恨めしげにルドを振り返るが、対するルドは涼しい顔だ。追って伸ばした手が結界に阻まれる。


「ミシリーさんは出禁設定です。とにかく身体拭いて着替えて髪乾かしてください」

「出禁て!! 使い方おかしいよね! ルドくーん、お姉ちゃんは頑張ったよ!?」

「はいはい、お疲れ様です。僕は濡れたくないです風邪ひきたくないです身支度くらいささっとしてください。『お姉ちゃん』だからひとりでできるよねー?」

「つれない子……っ!」


 ルドが最後だけ敬語を崩し、それこそ小さな子供に言い聞かせるように有無を言わせぬ笑み付きで言い放てば、ミシリーは、くうぅ、と少々芝居がかった嘆き方を、幻の手巾ハンカチを噛み締める振り付きでしてから、大人しく大判の布を被って水気を取り始めた。


 その様子を確認し、ルドはミシリーが放り出した最後の“石”の許へ向かう。草に埋もれた、一際小さな黒い真円の石。拾い上げて、先に回収された五つを隔離している結界の中に落とす。


「……これで、終わり」


 幼い面立ちに、安堵と寂寥とが同時に浮かんでいた。




  ◆◆◆




 崩れたクロッセの残骸がセインを覆う。細かな塵のような闇が身に纏わりつき、収縮と膨張を始める。


「――セイン!?」

「構うな、もう終わる」


 声を荒げたアレイクに短く返して、セインは突き出したままの右拳に意識を集中させた。放たれる紅の閃光は舞う黒を裂いて入り乱れていく。膨張の幅が徐々に小さくなり、逆に収縮の幅は大きくなって次第に紅が黒を駆逐すると、深紅は薄紅へと色を落としながらセインの拳へと収束した。


 すべての残滓が消え、地に描かれていた拘束のための術式も霧散すれば、残るのは右腕を血に染めたセインと左肩を中心に重傷のカイル、辛うじて大きな怪我を免れたアレイクのみ。午後の穏やかな風が木々を渡る柔らかな音だけが響く、なんの変哲もない森の片隅に、呆然と三人は立ち尽くしていた。


「…………えぇと……終わり?」

「――クロッセ(こっち)は、な」

「そうか……“石”の回収もできたようだと言っていたな?」

「ん。だから、合流して浄化すれば、本当に終わり……」


 振り返って応じたセインが、ぐらりと身を傾がせた。咄嗟に動いたのはほぼ無傷のアレイクが早く、膝が地に着く直前でセインを抱き留めてゆっくり座り込んだ。


「じっとしていろ、応急処置をしたらルドを連れてくる」

「う――……行く、から、だいじょぶ……」

「うん、大丈夫じゃねぇからここで俺と一緒にルドを待とうなー」


 アレイクの言に抗うセインをカイルが軽くなして傍らに座る。カイルはセインの左手から双剣の片割れを回収し、反対側でアレイクが右腕の処置にかかる。巻き付けられていたカイルの上着の切れ端を一旦解き、既に出血が収まり出している血管をそれでも圧迫しながらきつく締め直した。

 双剣を揃えて脇に置いたカイルがふと、セインのまだ握られたままの右の拳に目を向けた。


「セイン、握ってるヤツ出せ。ちょっと拭くくらいしてやるから」

「あー、俺の上着使え。……俺だけ無傷ってなると、ルドはともかくミシリーに色々言われそうだなあ」


 苦笑交じりのアレイクの危惧は恐らく正しいだろう。

 噴き出した反動で左肩を押さえて呻くカイルを見て、セインも弱々しく笑った。


 力を込めたまま固まっていた右手を、アレイクが指を一本ずつ取って開かせた。現れたのは、紅玉ではなく黒く変色した、“石”だった。


「……な、」

「うぇっ」

「へぇ、こうなるのか」


 言葉を失ったアレイクと思い切り仰け反って逃げたカイルとは対照的に、セインはしげしげと右手に乗る“石”を眺めた。


「……セインさーん? え、ソレ大丈夫なの?」


 “石”に良い思い出があるはずもないカイルが引き攣った表情で問うのに、セインは無表情に頷いた。


「魔を吸収させたからこの状態に戻っただけだろう、浄化すれば紅になる。……ただ、今すぐにはできそうにないから、しばらく見苦しいかもしれないけどな」


 言って、アレイクが差し出していた上着を無視して自身の上着の裾で血糊を拭う。とりあえず綺麗になった“石”を、首元の紅玉の連なりの中に戻したところで――セインの意識は暗転した。



「やっぱ自分で歩くって無理なんじゃんか」

「お前は意識を保っていられそうか?」

「おう。むしろ気絶したいくらいに痛いのにな」

「……肩か?」

「うーん、骨は大丈夫、ってセインには言ったけど、これ、ヒビくらいイッてるかも」


 心臓やられなかっただけ運が良かった、と暢気に笑うカイルに、アレイクは眉間の皺を深めつつ、支えたセインの身体を預けた。

 セインの上体を膝に寝かせる形に収めたカイルが渋い顔をした。


「お互い満身創痍じゃイロイロもできねぇしなー、ホント気絶したい」


 完全に血の気を失くした顔色で浅い呼吸をしているセインの頭を撫でながらの軽口に、アレイクは小さく笑って立ち上がった。


「大人しくしていろ。――できるだけ急ぐが」

「大丈夫~。まだ動けるから」


 鞘には納めていない双剣を示して笑う。多少顔色は悪いが意識もはっきりしている。万一賊に出会ったとて、時間を稼ぐくらいはやって見せねばオルヴァの名が泣く。


 言い切ったカイルにセインを任せ、アレイクは森の奥、湖に向かって駆けだした。




  ◆◆◆




 周囲はどこまでも深く昏い、闇。そこに虚ろな声が響く。


 ――すべてを委ねよ。


 声の主を探せば、黒一色の世界に、ぼんやりと赤い光が浮かんで見えた。

 最も忌まわしい色。一族に与えられた象徴の色。

 ゆっくりとそれは近付いてくる。


 ――力を与えよう。


 赤い光は膨張し周辺を満たす。

 漆黒の闇から黄昏にも似た赤い闇へと世界は変貌した。


 ――こちらに、来い。


 こちら、とは何処だ。

 己はの地で、己の存在を刻み込むのだ。


 ――すべてを、委ねよ。


 赤は深みを増して紅へと転じる。

 どこまでも見渡せるようでほんの鼻先も見えないような、紅の闇。


 ――汝の力を、


 そうだ。力だ。力がる。

 認められるために。認めさせるために。すべてを得るために。失わないために。


 ――我の糧としてくれよう。


 否。

 これは己の力。他の何者にも渡さない。譲らない。すべては己の物だ。


 ――眠れ、我が力の欠片を持つ者。狂った一族の妄執の果てに堕ちた哀れな幼子。


 憐みなど要らない。力を寄越せ。

 己はまだ終わらない。

 真の末裔はまだ絶えていない。あれに子を産ませてすべての力を手に入れる。


 ――終わりだ、幼子。我に喰われて眠れ。


 この紅の闇が邪魔だ。

 いつでも、いつまでも、僕を浸食し邪魔をする!


 ――ここが、汝の生まれたところ。昏き闇はすべてこの紅から生まれた。


 戯れは要らない。ここは何処だ。

 僕は帰る、帰る、彼の地へ、僕の在るべき処へ。


 ――汝の在るべき処は既にここしか残っていない。還れ、幼き闇よ。


 力を以って発せられたその言葉に、紅が満ちた世界で抗っていた黒が沈黙した。

 それを柔らかに、慈しむように掌に載せる人の姿が生じる。

 否、人の姿を模した、魔の塊。


「……やれ、ようやく我の手に堕ちたな。まったく、人の世に干渉せずとは難しい」


 濃い金の髪、鮮やかな紅の瞳。青年の姿を取るそれは、魔の最も古き者。

 手にした黒を握り潰して残滓を吹き払う。

 微かな黒も残らず紅の闇に融けたところで、最古の魔は首を傾げて視線を転じた。


「さて。ここは汝の在るべき処ではないぞ?」


 上下左右の方向感覚さえ曖昧な、虚ろな空間。紅しか存在しないと思える世界、しかし王の視線の先には周囲より僅かに明るい赤が滲んでいた。


「戻れ、我が愛し子の末裔すえ


 その声に震えるように揺らいで、赤は周囲に融けて消えた。



こっそり魔王様降臨。…いや、降り立ってはいませんが。


クロッセ完全消滅。

血沸き肉躍る戦闘シーンは書けないと痛感した数話でございました。泣

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