07.温もりと消えぬ光を希う
左手に握った剣を体の正面に立てて盾にする。戦闘の初めに剣に施した浄化の術式はまだ有効だ。けれど、あっという間に周囲を満たした闇を打ち払うには足りない。
「……重いなぁ……」
ずしりと圧し掛かる、物理的と言うより精神的な負担に小さくぼやく。呑まれる不安は無い。解放された魔力は正常に巡り不可侵の鎧となっている。案ずるなら共にいた仲間の安否だが――纏わりつく闇から感じ取れるものはセインへ向けたあらゆる感情だけ。多少のことでは彼らへ意識が向くことは取り敢えずなさそうだ。
「あいつらが散々削ってくれたからな……私もやらないと、な」
ゆっくりと調息する。多少は消耗したが十全に残る魔力の流れを意識して右手に包む紅玉へと注ぐ。
覆い被さる闇は、最早言葉を紡がない。獣の咆哮のような大地に響く低い叫びを上げ続けるだけだ。だが、言葉にならない感情は肌を刺すように与えられ、むしろ雄弁に闇の想いをセインに伝える。
――なぜ自分が選ばれないのか、なぜ力が与えられないのか、なぜ自分の呪いを解くこともできない者たちが己より上位に立ち――或いは上位として扱われるのか。
「……兄さん。そう私が呼ぶことすら、疎ましかったんだね……」
――呪われた子よ。それでも身ひとつでどれほど強固な結界をも素通りして見せる。それだけで、天恵の力を扱えずともユークリッドだと――神の子〈アスカ〉の末裔だと認められ、一族の最上位に立つことが認められた忌々しき存在。
セインの右手が仄かに紅い光を纏う。指を緩めれば大きな紅玉が、漆黒の闇の中、自ら鈍い光を発していた。注いだ魔力が正しく紅玉に溜められている。
――呪われてあれ。
クロッセの呪詛が脳裏に響く。
「私を、妬んでるのか。貴方が欲しいもののすべてを、きっと私は与えられたんだね。――でも、私が欲しいものを、貴方は持っていたんだよ……兄様」
ふざけるな、と言わんばかりに闇の圧迫が増す。
歯を食いしばって耐えながら、今一度ゆっくりと深く呼吸をして、セインは体の正面に立てていた剣を下ろした。
◆◆◆
結界が崩壊し、セインが闇に包まれたところで、カイルは木々の陰から出た。アレイクに声を掛けつつ蠢く黒い塊に双剣を掠らせる。――中に居るセインに切っ先が届かないよう、ごく浅く。
「アレイク、セインはなんて?」
「自分にしか意識が向いていないから距離を取って外から削れ、自分はなんとかする、だと。……なんとかなっていると思うか?」
「奴の目ん玉とは別の赤い光が見えてっからなんとかしてる最中、だと思いたい、な。あー、くそっ、減らねぇなッ!」
平静を装いつつ双剣を操っていたカイルが苛立った声を上げる。カイルとはやや離れたところで攻撃を仕掛けていたアレイクも厳しい表情を見せていた。
セインに覆い被さった闇の塊は輪郭を曖昧に滲ませているが朧には人形に見える。ただし、縦横に肥大している上にずんぐりとしていた。縦はセインの二倍弱、横は優に三倍を超えているが、頭部と呼べる部分は闇の最上部に申し訳程度に隆起しているのみ、手は塊の左右からやはり気持ちだけ隆起してもごもごと動くだけ。地に着くのは塊そのもの、裾を引く裳裙姿とでも見做せばいいか。
中心にセインがいると仮定して周縁部分をこれまで通り剣で切り離しては塵に帰しているものの、剣に纏った浄化の術式は既にかなり光を褪せさせている。左程持たずにただの鉄剣に成り下がるだろう。
「……ルドは、」
「期待するな、コレが俺たちの方に出たのを確認して湖に移動したなら、回収はできていてもこちらに来るにはまだ時間がかかる」
「ああ、クソッタレ!!」
代わり映えのしない悪態を吐いたカイルは一旦距離を取る。双剣を握り直して助走し、闇に沈む紅の瞳――だった部分の、今は巨きく滲んで拳大になっている紅い光を目掛けて跳ぶ。それとなく人形と判じられる程度の姿をした闇の『頭部』はセインどころかカイルの身長をも遥かに超えた高さにある。
空中で身を捩じって先に右の剣で薙ぎ、回転しながら左の剣で追撃を入れる。
血が舞うように勢いよく紅が散ったが、それもすぐに風にざらりと溶けて消えた。
ほぼ同時にアレイクも闇の背後から斬りかかる。
狙うのはカイルと同じく頭部だ。闇の中で宙に浮かされでもいれば危険だろうが、ちらつく赤い光は恐らく紅玉を使った術の証、見える位置はかなり低く、膝ほどの高さ。腰を落として腕を垂らしているか、膝をついて胸元にでも握り込んでいるか。地に落ちていない以上、セインの手に在るはずだ。
やはりざらりと塵が風に流されて、しかし蠢く闇の塊はその大きさも禍々しさも減退させた様子は見えなかった。
更に数度、攻撃を加えて多少の闇が塵になって消えたところで、ふたりの剣が纏っていた最後の光も消えた。
それまでも、同じ強さの斬撃を加えていても徐々に消える塵の量は減っていたが、光が完全に消えると削れる闇は明らかに少なくなった。
「――――セイン!!」
紅玉の放つ光が闇の中を巡っている以上、セインは術を行使している。つまりは無事で、或いは内側から闇を拘束しているのかもしれないが、それでもセインの姿が見えないことにカイルもアレイクも焦りを覚えていた。
堪らず叫んだカイルの声に、期待はしていなかった返事があった。
「離れてろ、三歩以上下がれ!」
高過ぎず低過ぎない、鋭い一声。
驚くより先に身体は動く。ふたりとも同時に、攻撃のために前へと動きかけていた足を踏ん張って留め、込めた力の反動で後方に跳ぶ。三歩どころか十歩程度は下がったところで、闇の中から鮮紅が地を這うようにして走り出した。闇の足元を抜けて一歩の距離で転回して円を描く。真円を成した紅は方向を変えて再び闇の中へ――反対方向へ突き抜けてまた方向を変える。
数度、それを繰り返した紅は闇の中へ戻り、一拍置いて闇は完全に動きを止めた。それまで、大きな動きはなくとも曖昧な輪郭を蠢かせていた漆黒の塊は、艶の無い黒檀の像の如く佇立していた。
その、硬質に見える黒の中から、白い姿がゆっくりと出てくる。
長い旅暮らしに高位貴族としての贅沢は完全に忘れ去った被服感覚を持つセインは、相変わらず機能重視の生成り無地の旅装を纏っている。淡い金髪と相まって全体的に彩りに乏しいが、黒を背にすると存在は強調される。
「セイン、無事だったか……」
大丈夫だろうと思っていても、姿を見れば安堵する。ほっと息を吐いたアレイクだったが、すぐにその息を飲む羽目になる。
「セイン、どんだけ切ったんだよお前は!?」
焦燥と怒気を混ぜたカイルの言葉に、見ればセインの右袖は肘から下が赤黒く染まっていた。袖の先に見える握られた手も赤く、今なお雫が落ちている。
「あー、さすがにクロッセの抵抗が物凄くて、抑え込むまでちょっと時間がかかった。でもまあ、想定内だな」
殊更に軽く言って見せるセインの顔からは血の気が引いていた。元々白い貌は青を帯び、唇は紫に近い。カイルが上着を脱いで適当に裂き、使った双剣を無造作に地面に落として無言でセインの右腕に巻き付けていく。
「外からもずいぶん削ってくれみたいだな。助かった。“石”の回収も無事にできたみたいだし、あとは浄化して終わりだな」
されるがままのセインが、ほんの微か、寂しげな笑みを浮かべた。
「回収、できたのか?」
「ん。拘束陣を描けたのはあちらからの供給が止まったからだ。供給が止まったのは、媒介となっていた“石”が、定められた場から剥がされて術式が壊れたから」
剣を鞘に収めつつアレイクが確認すれば、小さな首肯とおまけのような説明が返ってきた。どこか放心しているようにも見えるのは、失血で意識が朦朧とし始めているのか。
右手に未だ握り込んでいた紅玉を、カイルがゆっくり指を開かせて取り除く。血塗れのそれを上着の残骸で拭ってセインに返そうとしたところで、――セインの表情が変わった。
「……まだ、動くのかよ……っ」
アレイクとカイルが弾かれたように顔を上げれば、佇立した黒檀の像が震えていた。
――ぁあ、アぁアスかぁ――
地から湧くように、木陰から降るように、低い唸り声が呼ぶのは、光、だった。
震える闇はもがくようにして一方の『腕』を拘束から抜け出させた。申し訳程度に隆起していたそれは、細く長く、鞭のように伸びてセインへと向かう。まだ左手に提げたままだった剣で応じるも、咄嗟のことで体勢を保てず勢いよく吹き飛ばされた。
「――っ、くぅ……!」
辛うじて受け身は取ったが、それでも背中から倒れ込んで一瞬息が詰まる。手から離れ大地に跳ねた剣は、ぱきん、と儚い音を立てて折れ落ちた。
『セイン!!』
吹き飛ばされるのを庇えなかったふたりの声が重なってセインを呼んだ。
すぐに駆け寄って抱き起してくれたのはアレイク、カイルは放り出していた双剣を拾い上げて『腕』が更にセインへと向かうのを阻んでいる。
「火事場の馬鹿力、かよ……」
「最後の足掻きか。セイン、剣に術はかけられそうか?」
セインを座らせてから、アレイクは自身の剣を引き抜く。浅く速い呼吸を繰り返すセインがそれでも小さく呪を紡いで僅かに左手を振れば、アレイクの長剣が仄かな光を帯びた。
頷いたアレイクが闇に向き直れば、丁度カイルがセイン同様に吹き飛ばされるところだった。
「カイル!!」
だが、セインと違って『腕』は双剣を躱してカイルの肉体に打ち込まれていた。カイルの腹から左肩にかけて、ばっくりと朱が走る。
立ち上がろうとしてふらついたセインを置いて、アレイクは駆けだした。
――今はこれをどうにかしないと。
セインの数歩手前のところに転がったカイルは、すぐには起き上がれないようだが身動ぎしているから、とりあえず命は拾っている。現状で優先するべきは、闇への対処だと割り切ってアレイクは『腕』に斬りかかった。
すんごい半端な区切りになってしまいましたが、05.~07.の三話でクロッセ編。
タイトルを続けて一文のつもりです。




