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紅の闇  作者: 水無神
第四章 メルス王国
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05.紅の軛を憎んだ幼子は


 ――五百年近い昔。我らの一族は己らの持つ特異な『力』を盲信して暴走し、数を大きく減らした。初代が聖寵の者〈ディ・エンファ〉の伴侶を迎えたことで始まった一族。以降も聖寵の者〈ディ・エンファ〉との婚姻を繰り返すことで血が薄まっていたところへ血族という母数が激減した。

 暴走が収められてのち、血にこだわる一族は血族婚を繰り返し、『力』を強めようとしたが――徐々に一族は子を生し難くなり、また虚弱な子が多くなっていった。


 母はそうした、虚弱で子を生し難い体の一族の女だった。出産から丁度一年後に亡くなったと聞いた。母に兄弟姉妹はなく、実家は母を嫁に出すことで断絶したという。父の家と統合されたと言うべきだろうか。


 父はうだつの上がらない愚鈍な男だった。傍系の末端、既に断絶おわりが見えているくせに崇高な『力』を持つ一族と驕り、権横けんおうに振る舞うことしかできない無能。

 財に縋り、権におもねる蒙昧の輩。

 母の形見だと、小さな紅玉をあしらった胸飾りブローチを与えられたのは、男の唯一の情だったのか、無知ゆえの考えなしのことだったのか。


 己に『力』が足りぬことを嘆き。

 息子に強い天恵が齎されたことを妬み。

 その息子を育て上げることなく落命した妻を罵る。


 ――わたしとてユークリッドの血族。だというに、なぜ本家とこれほどに隔てられねばならぬ。


 ――『力』が弱まるのは度重なる混血故。他の分家でも同様に薄まるばかりの血を、同じ一族の妻を得て濃き血の子をした。


 ――なのにまだ本家はわたしを真っ当に扱おうとせぬ! 強き血を残すという一族最大の義務を果たした、このわたしを!


 日々繰り返される言葉は、嫉妬と欺瞞と屈辱に満ちた呪詛。


 ……そこまで言うのならなぜ本家に成り代わろうとしない。子のいない本家の夫妻、最早両の手の指で足りるほどになった他の分家の者、すべてを根絶やしにし、己がすべてを掌中に収めればいい。必要なら、『力』持つ息子を傀儡に仕立てれば国にも言い訳が立つだろうに。


 まだ口の回らぬ年頃のことだ、そうはっきりと申し立てた訳ではない。もう少し漠然と、だが意図としては明確に、気に喰わぬものがあるならその原因を取り払えばよい、と父親だという男に言った覚えがある。

 瞬時、固まった男の顔は滑稽だった。一度もそのような考えに至ったことがなかったのだろうか。


 考えを巡らせたのはほんの一時。醜悪なほどに顔を歪めて男は笑った。


 ――そう、そうだ。お前が居るのだな。成程本家には子が居ない。お前を養子として差し出せば、お前が次代の当主だ。そうすればわたしも相応の待遇を得る。お前はそれだけの『力』に恵まれたのだ。使わねば、なぁ?


 狂気にぎらついた眼差しを、冷ややかに受け止めた。

 男の狂気を受けて、胸元を飾っていた鮮やかな紅玉がほんの僅か、鈍色に変じた気がした。



 男の妄言は、数年後に実現される。

 よわい八つを迎える年に、本家の養子となった。


 そこに男の高笑いはなかった。姿すら存在しなかった。

 養子として迎えられたとき、子供は喪服を纏っていた。


 両親を亡くした遺児として、本家に引き取られたのだ。


 ……醜悪で、無知蒙昧の、愚鈍の塊のような血は、誇るべき一族に不要だ。


 母の形見たる飾りは、いつしか男が歪んだ眼差しを注ぐようになってきたために服の下に隠すようになった。それでも肌身離さず持ち歩いていたそれの紅玉が、知らぬ間に暗く澱んだ闇色に変わっていたことには気付かなかった。



 一年と少し、『力』の使い方を貪るように学んだ。


 義母の妊娠が判ったとき、己の行く末を案じた。――初めて、我が身を心配した。

 男児が生まれても縁は切らない、女児が生まれたなら嫁にするか、と義父が笑った。


 自分は、笑えなかった。

 否、表面では微笑んだ。

 弟妹きょうだいができるのはとても嬉しいと。

 数を減らし続ける一族には朗報だと。


 だが、心の奥底にはどす黒い感情が渦巻いていた。


 ……僕の居場所を奪う者。僕の『力』がふるわれる時代を妨げる者。


 母の形見の紅玉は、いつの間にか漆黒の闇色となっていた。

 紅は一族の色。誇るべき至高の存在、その象徴。

 今は、己の心に相応しき色をしているのか。



 ……生まれ来る子よ。



 呪われてあれ。




  ◆◆◆




 太陽は中天を過ぎて足早に西へ滑り始める。


 クロッセを閉じ込めた結界は、力を削ることに腐心するふたりが剣の纏う光が弱まるたびに後退しては入りを繰り返したところで揺るぎもせずに維持されている。暫時の休息の間に清めの術式の補填からの再出撃という単調な流れを繰り返すこと数度。結界に抑圧されて最大限には力をふるえず、ただじりじり力を削られるばかりの状況に、クロッセは僅かながら苛立ちを見せ始めた。恐ろしく整った美貌が歪むのは初めてではないが、これまで嘲りを含めていた双眸に今は怒りが乗っている。


 クロッセの変化に、セインは薄く笑みを佩いてみせた。


「……腹立たしいでしょう、クロッセ? 貴方が望んで望んで、得ることの叶わなかったユークリッドの魔力だよ」


 まだまだ余力はあるのだと見せ付けるために、身の内から魔力を溢れさせて結界内に充満させる。色違いの双眸に更に強い色が乗った。


 ――嫉妬だろうか、憎悪だろうか。


 アレイクとカイルを前面に出して、結界から数歩離れて剣を持ったまま動かないセインにも術の行使による地味な疲労が蓄積し続けている。しかし、使う術の安定と効力はかつてなく冴えている。笑顔で容赦なく不備不足を突っ込みまくってやり直しを告げてくれた小さな術士に感謝だ。お礼はきっちり返すとしよう。


 疲労を悟られないよう、ゆっくりとした呼吸を意識しながらその瞳をまっすぐに見返した。紅の左目、琥珀の右目。生来の色である金に近い明るい琥珀色の瞳はセインの父親と同じ色。ここ数代のユークリッド本家に多かった色合いでもある。クロッセが本家に引き取られた理由は複数あるが、この色合いを持っていれば養子だからと下に扱われることはなかったと確信できる。


 セインが物心ついた頃、セインは父の教育方針に微かな違和感を覚えた。年を経るごとにクロッセには政治経済の勉強を勧めるようになったのは自然な流れ、だが、重点が術より政治経済に置かれれば首を傾げた。

 直系継嗣となるはずだった自分の『力』が内に籠もって役立たずである以上、むしろセインがヒペリオンの領主として、クロッセがユークリッドの術士として分担すれば良いのではないか、と幼いながらに感じたものだった。


 父もクロッセも、腹の内は明言しなかった。だが、互いの思惑は完全に対立していたように思う。恐らくはこれを根として、ふたりの間には確執が生じたのだろうと、今になって思う。



「……ねえ、クロッセ。どうして貴方は――それほどにユークリッドの『力』に固執するの……?」


 青白い顔が激しく歪んだ。眼光で肉体的に傷を負わせることができるのならセインは血塗れになっているだろうほどに強い眼差しに射抜かれるが、セインは静かにそれを受け止めた。


「固執、とは宜しくない言葉選びだね、セイン。至高の『力』の維持と継承は我らの義務だ。なすべきことを、なそうとして、なにがおかしいのさ?」


 それまでの毒蜜を含んだようなとろりとした口振りからは一転してとても人間臭い、癇癪を起こす直前の子供のような物言いになっている。ぎらぎらと瞳に宿る色は、嫉妬と屈辱と、――幾許いくばくかの羨望、だろうか。


「僕は、僕こそが、至高の存在となる、はずだったんだよ。かわいいセイン、君が生をけるまでは」


 ――貴方が『かわいい僕のセイン』と口にするたび。


 赤土色の瞳が、ほんの少しだけ揺らいだ。けれど、クロッセと言葉を交わす間も彼の力を削ぎ続けてくれている仲間の背にすぐに立て直して視点を定める。感情を表に出さず無表情を貫くことには慣れて久しい。今もそれが保てている、はずだ。


 ――私の『力』は抑圧され小さくなっていった。それこそが貴方が私に掛け続けたしゅだったんだね、……にいさま。


「君は器であれば良かった。ユークリッドの術士としての実力も、当主としての栄華も、領主としての繁栄もすべて僕が得られた、一族に与えることが出来た。ただ僕の血を残すだけの存在として大人しくしていれば良かった。かわいい僕のセインでいれば良かったんだ!」


 攻撃は瘴気の帯に任せ、自身を護るのは魔力の壁。そうやって一歩も動かず手の一振りもしなかったクロッセが身振りを付けて喚き、ぎらついた瞳のままに、ざり、と足を踏み出した。

 歩めたのは僅かに数歩、幾条もの黒い帯たちを躱したカイルが、濃灰色の長衣の裾を払って覗いた沓先を狙って右の剣を投擲したために足止めされた。ざんっ、と音を立てて爪先の僅か先の地面に剣が打ち込まれてクロッセは煩わしげに足を上げる。大地に刺さった剣を蹴り飛ばした瞬間に、その足の膝下が黒い塵と化した。


「――――ッ!」


 均衡バランスを崩して倒れかけたのは一瞬のこと、散った塵が集うようにしてすぐに足を再生し踏み止まる。


「届いた!」

「動いてりゃ『壁』は消えるってことかなぁ?」


 アレイクが数えきれないほどの続けていたクロッセ自身への攻撃が初めて届いた。蹴り飛ばされた剣を拾い上げたカイルは面白そうにクロッセを窺いながら、それまでクロッセが背にしていた大木の方へと回り込む。

 クロッセの正面、セインとの間に立ってアレイクが剣を構える。前後を挟まれたクロッセは表情をすっと落とした。歪んだ憤怒のそれから、虚無を臨むような、仮面のようなものへ。


 クロッセの足元から放出されていた黒い帯状の瘴気がざわざわと集まり始める。攻撃を止め、クロッセの身に纏わりつくように闇を濃くしていく。


「……ああ、煩わしい。誰も彼もが僕の邪魔をする」


 漆黒の靄に埋没した魔物の声だけが辺りに響く。闇の中から不気味に輝く紅の左目だけが確認できた。まっすぐにセインを、――否、セインの首に掛かる紅玉の連なりを睨み据えている。


「……呪われたままであれば、愛してあげたのに」


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