03.花の酒捧げて眺む十三夜
「アレイク、起きてるか~?」
深夜一歩手前、控えめに扉を叩く音と潜められながらも暢気な声とに、寝支度を整え終えたところだったアレイクは首を傾げつつ扉を開いた。
立っていたのは夕焼け色の髪を月明かりに鈍く輝かせるカイルだ。こちらも夜着姿、申し訳程度に上着を羽織っただけの出で立ちだった。
「――カイル、どうした」
「ん。付き合わね?」
「…………どこから出て来た、ソレ」
言葉と共に後ろ手に持っていた物を掲げられて、アレイクは低く詰問した。にんまりと弧を描く口元からは悪い予感しかしない。
「厨房の下働き君と仲良くなってな? 大丈夫、ちゃんと代金は渡した!」
「そういう問題じゃぁない……」
「まーまーまー。呑むだろ?」
燦然と掲げられたのは小振りの酒杯ふたつと、同じく小振りな酒瓶。柔らかな花の絵が焼き付けられたそれは、アレイクも知る大陸有数の銘酒であることを示している。カイルに流すために仕入れた物ではないだろう。支払いをしたとは言っても再度の入手は難しい銘柄の筈だ。
――下働き君とやらが咎められないといいんだが。
そう思いはすれど、いかんせん入手困難な銘酒。アレイクとて惹かれるものはしょうがない。ぼんやりと発光して見えるカイルの髪を見て、月の明るさにも惹かれた。
「……月見酒といくか」
体を冷やさぬよう上着を手に、アレイクはカイルを促して建物の外へ足を向けた。
使わせてもらっている部屋は大神殿の一廓、客殿の一階だ。その棟の端まで来て、アレイクは回廊から庭に続いている階段に腰を下ろした。正面には整えられた小さな庭があり、対面の敷地――複数ある礼拝堂のひとつがあると記憶している――からの目隠しになる程度に枝葉のある木々が繁る。月明かりに星の少ない空を見上げれば、真円に僅かに足りない月は中天に浮かんでいた。
アレイクの一段下にカイルが座り、そそくさと酒杯に酒を注ぎ分けた。
「ほんじゃ、月に乾杯?」
「良い夜に」
気の利いた科白も浮かばず、ありきたりな言葉で軽く杯を掲げて唇に運ぶ。
口当たりは柔らかで飲みやすい。花をあしらう瓶と言い、女性向けかと思わせる酒だが、甘露のごとき雫は喉を下る頃に熱を持ち、胃の腑に落ちるときには火を呑んだように身の内を焼く強さがある。飲みやすいだけに呑まれやすい、危険な酒でもある。
「――――っくうぅう、美味いぃ」
「ああ……、美味いな」
「ほい、もう一杯」
「貰う」
ただ、現在この酒瓶を傾ける野郎ふたりに関しては、危険性は無視だ。
短期間とはいえ二人旅をした仲でもある。互いの酒量は承知していて、かつ、それが互いにほぼ同等でほぼ底無しだ。うっかり飲み比べなどしようものなら樽で酒が消えていく。
高価な酒は浴びるような飲み方をしていいものではない。こうしてじっくり味わうのは、非常にいい気分だった。
黙々と杯を重ねて、瓶の中身が半分を切った頃、アレイクが口を開いた。
「それで? いきなりどうしたんだ?」
「ん? なに?」
「いきなり酒盛りしよう、ってのはどういう風の吹き回しだ?」
「いやー、なんとなく眼が冴えてな~。ルドは早々に夢の国の住人になってたし、セインのとこに奇襲掛けようとしたら姉ちゃんときゃっきゃやってんのが聞こえて邪魔できず。向こうが女ふたりで楽しんでるなら、こっちも野郎ふたりで楽しむかと」
「……簡潔に人恋しくなったとでも言えば済むだろうが」
「あ、そんな感じ」
その一言が出てこなかったんだよー、とけたけた笑いながらカイルが酒杯を満たす。底無しだけに顔色は変わらないし能天気なのも通常仕様だが――銘酒に多少は酔っているのかもしれない。
「ずいぶんセインとミシリーは仲良くなったな」
「なー。たぶん、クラルテでセインの過去聞いてからだよなー。なんでかルドは俺らにくっついてるし」
「ルドのは、セイン離れする、と宣言していたから頑張っていると言うべきだろうな。セインのあれは、ルドが離れた分をミシリーで埋めている感が無くはないが……」
「まぁ、ミシリーなら最終的にヒペリオンまで連れてっても問題ねぇし、いんじゃね」
「……うん?」
カイルの話が飛んだ気がしてアレイクは口元に持って行った酒杯を下げた。
アレイクの反応に、カイルも首を傾げた。
「ルドをヒペリオンに連れて行くのに問題があるのか?」
うっすら眉間に皺を寄せたアレイクに、カイルは酒杯を干してから向き直った。
「一期一会なら問題はねぇが、ルドは人里に定住するのは難しいだろ。――成人しても十歳児程度の身長にしかならないっていうし、老け顔にもならねぇらしい。皺だらけのジジイになれば、ちっさいじいさん、で通るかもだけど、四十過ぎくらいまでは聖寵の者〈ディ・エンファ〉の子供にしか見えねぇらしい」
ルドの種族を知らない者には『不老者』に見えるかもしれない。今までのように旅暮らしなら問題なく過ごせるが、定住して年数を重ねれば違和感は大きくなる。
「種族の特性だ、と説明した所で、種族云々が伝説扱いの現代においてどんだけ受け入れられるかは疑問だし。セインの、ヒペリオンの領主の庇護下にあれば問題が起きることは避けられるだろうけど――セインに養われるような立場になるのは、セイン離れを頑張るルド自身が良しとしなさそうだよなー」
幼い子供にしか見えないルドは、一人部屋しかない宿であっても連れの誰かとの同室になる。ここしばらく同室になっているのはカイルで、寝る間際の短い時間であってもそれなりに話をして過ごした。
「……ルドの話、か。セインのことを聞き出そうとしたのか?」
「うーわ、俺ってどんな悪人扱いよ。セインのことはセインに直で訊いてるって、大方無視られてっけど。ルドに訊くのはルドのことだっての~」
大袈裟に嘆く仕草をして見せてから酒杯を満たし、カイルは月を見上げた。
「その点、姉ちゃんは細けぇことは無視して図太く居られるだろうし。シルグルアでも浮かない黒髪だし。ま、貴族暮らしができるとも思わねぇから苦労はすんだろうけど」
「……お前は?」
「んあ?」
口元に運んだ酒杯に唇を付ける前にアレイクの問いが入って、カイルは首だけを斜め後方に向ける。
「お前はどうするんだ? セインがシルグルアに戻ったら」
――惚れた腫れたを言っておきながら、黙って見送るつもりなのか?
アレイクが敢えて言葉にしなかった問いを、しかしカイルは正しく理解した。
酒杯を満たす甘露を一気に呷って深く息を吐く。
「……アレイク。いっこイイこと教えてやろう」
月光に黄赤の瞳を怪しく揺らめかせて、至極真剣な表情のカイルが一拍置くのを、アレイクも思わず息を詰めて受けた。
「そういうことを口にするのは大変危険です。『俺、この戦いが終わったら故郷の幼馴染と結婚するんだ……!』てなことを口走った三下は大概死ぬのです」
真剣な表情のまま、非常に下らない『イイこと』を宣った夕焼け男。
詰めた息を深く吐いて、もう一度吸い込んで。アレイクは肺腑から怒声を響かせた。
「――人を三下扱いするな阿呆がッ!!」
……突っ込みの方向がややボケていたのは、なんだかんだ言って自分も軽く酔っていたのかもしれない。
そんなことを、酔いの醒めた朝に思うアレイクだった。
◆◆◆
空の青は僅かに薄く、渡る風は柔らかくなって暑さを僅かばかり忘れさせる。雲ひとつなく晴れたこの日、セインは静かに歩いていた。
エレアザル大神殿には結局、十日ばかり滞在した。
大神殿の結界については、最終的に大神官に丸投げの形になった。神の子〈アスカ〉が一気に書き換えるならば数日とかからない術式の大改編だが、今のセインにはお手上げ状態、大神官以下法術士総出で行うにしても時間はかかる――ということで、セインはそれに優先される“石”の回収を行い、旅の合間に大神殿を訪れて進捗を確認する、という長期戦になったのだ。
――術式の書き換えを上位神官共に了承させられただけでも良しとするしかないんだろうな……。
セインが大神殿から離れることで、或いは上位神官らの抵抗が再発する可能性もあるが、次にセインが大神殿を訪れる頃には術の扱いも多少は上達しているだろうし、なんなら一度帰郷して、狭間の者〈リィド・アスカ〉と成ってから力尽くで書き換えてしまってもいい。
ルドが聞けば「結局、力技なんだよね。本当に猪なんだから」と一言入りそうなことを考えている間も足は距離を進め、――ゆるい坂を登り切ったところで止まる。
遥か前方に臨むのは微かに色味を増やし始めた緑に縁取られた、青緑の湖面。後方にはなだらかな稜線を描く山々を従えて悠然と豊かな水を湛える湖は、以前に望んだときと変わらず日差しに眩しい輝きを返している。
「……明日も、晴れるかな」
今日中に辿り着くのは厳しい距離。無理を押して夜更けに赴いたところで、闇の眷属と闘うには不利なだけだ。
明るい蒼天を見上げてセインは小さく呟いた。
傍らに蒼天の瞳を持つ少女はいない。長く共に過ごした幼子も。
「この空気なら晴れると思うぞ。ルドと姉ちゃんに胸を張って報告できるように頑張ろうなー、セイン」
「……ああ」
「ルドが居ないと落ち着かないか?」
「別に……、ちょっと、静かだなと思うだけで」
「それは姉ちゃんが居ないからじゃねぇ?」
『確かに』
思わず声を重ねたセインとアレイクに、遠慮なく笑ってからカイルはにやりとした笑みを口元に浮かべる。
「ま、ルドが居ない分、セインには頑張ってもらうからよろしくな?」
「善処する……」
ルドはミシリーと組んで湖に沈む“石”の回収に、別経路で向かっている。
直接クロッセと対峙するのは国軍兵士で長剣を使うアレイクと、実戦で鍛え続けた双剣使いのカイル、生き抜くためにほぼ我流で細剣を極めたセインという武闘派三人である。剣で魔に勝ることは不可能ではないが、分が悪いことには変わりない。
善処する、という非常に心強い唯一の術士の言に、野郎ふたりは明るく笑って見せた。
女子会に対抗しての野郎会。
野郎なら酒かな、と。月見の時季(作中も秋)だし、と。




