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紅の闇  作者: 水無神
間章 最果ての地ヒペリオン
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05.惑う心に道は示され、


 北の地の長い冬はまだ終わらない。だが、大雪が鎮まり晴れの日が増え始めれば、春はもうすぐそこだ。


 新年の月である紺月コンゲツを迎えて五日、サフィルは早々に冬籠り終了のお知らせを告げた。告げる相手はユークしかいない。微笑ましいものを見るような目をして笑うユークを小突いて黙らせ、布を被せて肩に担ぎ上げる。そのまま、雪道を跳躍して(飛んで)里に下りた。



「…………内臓が口から出てきそうです」

「あー、悪ィ悪ィ。……っく、すげぇ顔色」

「……悪いと、思っていませんよ、ね……サフィル」


 里に入る手前で雪の上に降ろされたユークの顔色は青かった。夏に散々外歩きをさせても一切焼けなかった白い肌が面白いほど変色していて、謝りながらサフィルは笑いを噛み殺していた。サフィルの肩に腹を乗せる形で担がれ、がくがくと揺らされながらサフィルの跳躍に付き合わされたユークは酔ってしまったらしい。

 恨みがましく見上げてくる紅の瞳から逃げるように、サフィルはユークを抱えた。


「この後は歩いてくけど、里に入るまでに落ち着かんかったらユフィルんとこ行く前に塩を貰いに行くか」

「……この辺で置いて行ってください。落ち着いたら勝手に行きます」

「んな訳いくかい、俺がひとりで行ってどうすんだ」

「……いつもなら紺月半ば過ぎるまでは籠っているのを、早々に飛び出したのはユフィルに会いたいからでしょうに」

「――――っ、おまっ……えが、会いたかろうと、思って……!」

「人をダシにしないでくださいね。貴方が、ユフィルに、会いたくて、我慢、ならな、かった、の、で、しょう?」


 細切れに言葉を押し付けてきたユークに、サフィルは黙ったまま、苦い苦い表情でそっぽを向くことで返事をした。


「は――……。ちょっと休んでから行きます。サフィルはお先にどうぞ」

「だから、里の間際とはいえ雪の森ン中に子供をひとりで放置できっかい」

「大丈夫ですよ。それに、ちょっと行っておきたい場所がありまして……サフィルは近付かない方が良い場所になりますから」

「……よどんだ風が吹いとる、か?」


 眉間に皺を寄せて小さく言ったサフィルに、ユークも小さく頷いた。


 冬籠り前、ユフィルを里に預けるにあたって入用いりような物を入手すべく、サフィルは里の向こうの少し大きな集落へも足を伸ばし、――かつて流離さすらっていたころに感じた澱んだ風を肌に覚えた。

 小屋に戻ってその話をユークにすれば、幼い外見に似合わぬ憂い顔を浮かべた。


 ――このお籠りが終わったら、見回りに行きましょうかね……。


 そう言ってユークは、己の『役割』を果たす覚悟を決めたようだった。


 だから本当は、今年の冬籠りは長めに過ごしてやりたかった。

 でもユフィルが居ない。

 雪が大人しくなるにつけそわそわとし始め、もう雪も終わりですね、というユークの言葉を聞いた途端、冬籠り終了の宣言をした。……して、しまった。



 自分の情けなさを恥じるような、悔いるような表情を隠しもしないサフィルに、ユークはゆっくりと笑んで見せた。


「貴方がまだ感知できない程度なら問題ないでしょうけれど……里のすぐ脇のようですし、空いている穴は塞いでおかないと落ち着かないでしょう」


 ふわふわと柔らかい笑顔でそう告げられて、重い息を吐きつつも、サフィルはユークの頭を押し出した。


「わかった。……気ィ付けろよ」




  ◆◆◆




 ――冬を里で過ごせ。


 そうユフィルに言ったのはサフィルだが、元々の提案をしてきたのは世話焼きアルマだったらしい。

いわく、慣れるまでは自分アルマが居た方が安心できるだろう、動転する(パニックになる)ことはなくとも男と子供しかいない小屋で引き籠もっていたのじゃお互い気を遣う、うちならボンクラ亭主とあたしのふたりきりだし亭主は置物だと思ってりゃぁいいから、と。


 ……怒涛の勢いで畳みかけられて、弾みでサフィルは頷いたのだと思った。

 だからユフィルは反発した。処置は覚えた、次はもう慌てないし気を遣わなくていいから一緒に籠る、と。

 だが、サフィルはそれを許さず、ユークも同調したためユフィルは味方を得られず、里に世話になることになった。そっとアルマに囁かれた一言が、ユフィルを辛うじて納得させた。


 ――花嫁修業と思いな。一冬じゃぁたかが知れるけど、みっちり仕込んであげるよ。


 春が来れば十五、成人おとなになる。婚姻が認められる年齢になるのだ。

 今までも家族だった、これからも家族だと思っている。けれど、――その形が、ほんの少し、変わるかもしれない。


 鬱陶しい、いらない、と思った月のモノは、ユークの言う通り素晴らしいことの先触れと言えるかもしれない。


 ユフィルは慎ましやかな胸の内に浮いた、ほわりと温かい感情を、冬の間にはっきりと自覚していた。



「アルマ、ちょっと外に出てくる」

「やれやれ、さすがにまだ下りて来ないと思うけどねぇ」

「……そ、んなんじゃ、なくて。オレはちょっと散歩に……っ」

「んん?」


 ぽろりと落とす言葉にもアルマは容赦がない。器用に片眉だけを上げて「もう一度?」と要求してくる。

 雪で外に出られない日々に、本当にみっちりと叩き込まれた言葉遣いを思い出す。


「…………わたし、は、散歩に行きます……」

「なんで片言になるんだい、しょうがないねぇ。まぁいいさ、散歩ついでにこれを里長さとおさの家に持って行って貰おうかね」

「……また?」

「うん?」

「……行ってきます」


 笑顔で押し付けられた籠を受け取り、引き攣った表情でアルマの家を出た。



「外に出る、って言うたびに里長ンへのお遣いがあるってなんなん……」


 ぼやきながら里の中央へ向かう。アルマの家も中央寄りだが、里長の家は中央の閑地を挟んだ向こう側だ。深い雪、しかし新雪のずぼずぼと埋もれる柔らかさはなく、ぎっしりと重い感触を踏み締めて歩を進める。


 目的地の一歩手前、中央の閑地で天敵に出会った。


「ユフィル、うちに用か?」


 爽やかな笑顔、と評するべきなのだろうがユフィルには噓くさく見える表情をした少年。里長の一人息子だ。ユフィルよりふたつ年上だったと記憶しているが、細身で頼り無い雰囲気がある。小柄なユフィルより頭ひとつは背が高いが――これがこの年代の少年の平均値かどうか、ユフィルは知らない。里には同年代の若者は彼しかいない。男女含めて彼の下はユフィルを除けば十になったばかりの子供、上は十九の家族持ちだ。


「……アルマが持ってけって。預けていい? よろしく」

「ああ。って、なにもう戻るのかよ、寄って行けよ」

「いらん。オレは散歩に行きたかっただけだし」

「――まだ下りて来ないだろ、おっさんも小僧も」

「おっさんって呼ぶな」

「お前が呼んでんじゃん」

「……もう呼ばんもん」


 ユフィルが彼を天敵と見做すのは、こうして執拗に絡んでくるからだ。幼少期から共に育った気安さがあるわけでなし、山に住み着いてからの数年、挨拶だけで過ごしてきた相手となにを話せというのか。

 旅の話でも聞きたいのかと、一度は真面目に話してみたことがある。だが、幼いユフィルは大人であるサフィルにくっついていただけの旅路だ、話の中心はどうしてもサフィルのことになる。――サフィルのことならいくらでも語れる、と調子付いたら彼は苦々しい顔をして去って行った。


 結局、彼が何を思ってユフィルに絡むのか、さっぱり分からない。


「おいって、寄ってけよ。寒いだろ」

「寒いの分かっとって出て来たし。じゃあね」


 さっさと籠を押し付けて踵を返すが、彼はその後ろをついて来る。


 ――だからなにがしたいん!? 文句があるならさっさ言い、男だろうがっ!


 雪を踏み締める足に力を入れ、とっとと距離を取ろうとしたが、後ろから肩を強く引かれて体勢を崩した。辛うじて転ばなかったものの、前進は難しくなった。

 声を掛けるのも不本意に過ぎてユフィルは掴まれた肩越しに彼を睨み据えた。

 その彼の、黒に近い茶色のはずの瞳が、妙に赤みがかってぎらぎらしていることに気付いて息を呑む。


「……ユフィルさぁ。あのおっさんとどんな関係な訳」

「な、ん……サフィルとは、家族、で……」

「でも血縁じゃないんだろ、親子っぽい歳の差なのにおっさんを『父さん』とか呼んだことないもんな。まさか兄ちゃん感覚なの、それとも親戚のおじさんのノリ? なあ、あのおっさんをなんだと思ってんの?」


 言いながら彼の瞳はどんどん赤色を強くしていく。

 ここまで来てユフィルは理解した。


 ――紅の瞳は魔性の証。私は、魔物ではないけれど、とても密接な関係を持ちます。


 二年前に家族にした子供がそう話してくれた。夜の炉を囲んで、ぽつりぽつりと。自身の特異な成り立ちも背負った役割も。神の子たる人間とは違う存在だと言われても、穏やかに笑う子供から恐ろしさは感じなかった。むしろ魔物の力を持っているというのにこんなにぽやぽやしていて大丈夫なのかと、明後日の方向に心配したほどだった。


 ――魔に憑かれた人間の瞳はこれ(・・)と同じ色になりますから、私以外の紅の瞳の持ち主からは逃げてくださいね。


 ……逃げられない状況に陥った場合はどうせいと。


「ユフィル。あいつがお前の父親だって言うなら俺もちゃんと頭下げるよ。でも、そうじゃないなら、あいつ、鬱陶しいんだよな」


 だらだらとまだ喋っていたらしい里長の息子の一言に、ユフィルは忍耐を辞めた。


じゃかあ(やかま)しい! さっきからうだうだと、鬱陶しいのはアンタの方だ! もう、なんが言いたいん!? いちいちオレに絡んでなんがしたいん!?」


 肩を掴まれていた方の腕を大きく振って少年の手を払う。向き直ってみれば彼の瞳は完全な紅を呈していた。


 ――あ、ヤバイかも。


 伸びて来た手から逃げようと身を捩ったものの足が縺れ、雪の大地に突っ伏す。


「なあ、ユフィル」


 覆いかぶさるようにして自分を捕まえた男が耳元で囁く。ぞわりと背筋を泡立てて、しかし強い力に拘束されて逃げられない。


「俺の嫁に来るんだろ? あのおっさんに必要以上に懐くなよ、もう」


 ユフィルの中で、なにかが壊れた。


「……サフィル――――ッ!!」


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