13.古に光と闇はまみえたり
「まず黄丹の君の質問に回答えましょう。……納得できずとも、取り敢えず聞いてくださいね」
そう前置きをしてセインは紅い瞳を僅かに細めた。
「先程の御方――金の御髪の、闇から出て闇に戻られた御方は、闇の眷属。その最も古き存在でいらっしゃいます」
闇の眷属とは『魔』を指す。形を持たず人の心を喰い荒らす、恐怖と憎悪の対象、その総称だ。形を持たぬ故に個別の名を持ちえない魔の中にあって、唯一個体として認識されるのが〈魔の最も古き者〉と呼ばれる、一際強大な存在。
すなわち、
「…………魔王…………?」
呆然とした呟きはアレイクのもの。傍でミシリーが「はあ!?」と驚愕に目を見開き、ルドは唇を噛み締めてユークを見据えた。カイルは鼻で笑って話の続きを待つ。
「人間がそう呼ぶこともあります。私は勝手にマグア様と呼ばせて頂いています」
儚い笑みを浮かべてユークが瞳を閉じた。
「私がエレアザルを去ってから後、人々は私のことを『神の子〈アスカ〉』と呼びましたが、それは正しくない。私がこの地に降ろされたとき、神に与えられた種族名は『狭間の者〈リィド・アスカ〉』といいます。私は唯一無二の存在として、新たに創り出されたものです。
――私の身体をお創りになったのは神。私の魂魄をお与えになったのは魔。神の天恵たる力と、魔の秘められし力とを、ひとつの力として扱うことが許されました」
再び開かれた紅の瞳はどこか哀しみに濡れていた。
呆然とアレイクが口を開く。答えを求めるというよりは、今聞いた話を否定して欲しいという思いが滲んでいるような、いつになく頼りなげな声が零れ出る。
「……魔力、は、魔から奪ったという話は……」
「生を得た時点で付与されています。神の慈悲たる法力と共に」
「そもそも、魔力と法力の違いってなんなの?」
「神直伝か神の子経由か、の差ですね。……そもそも、魔が生まれた、その理由をご存知でしょうか」
続いたミシリーの問いに、ユークは複雑な笑みを浮かべて答えだけを提示し、解説を問いで返した。
首を横に振るルドとアレイク、煙を噴きそうな様子で固まるミシリーと不機嫌な表情で沈黙するカイル。一同を見回してからユークは静かに口を開いた。
セインの女声低音と男声高音の中間の響きはそのままに、だがセインが表すことの無い柔らかな感情を乗せてユークは語る。
――現在、大陸に於いて知られる神と人と魔と、神の子〈アスカ〉の逸話を簡単に語ればこうだ。
数千年の昔。神はこの世界を創り、植物と獣と人とを置いた。
人は集落を造り、街を造り、やがて国を築いた。
長い平穏のとき。しかしその平穏に、いつしか影が射す。
闇に住まう者、魔の物、人を喰らう者――いくつもの呼び名が指すそれは暗闇の影。
「魔物」の呼び名が定着した頃、人々はそれを恐れ、忌み嫌い、駆逐しようとした。
不毛な戦いは平穏の時よりよりも長く長く続いた。
人々は疲弊し、魔物はさらに増長した。
そうして今からおよそ一千年前。
人々の願いに応えるように降臨した神の子〈アスカ〉は、一切の暗闇を祓い、世界に再び安寧を齎した。
人の世にいつの間にか射した『影』は『魔』と認識され、恐怖と憎悪と――滅尽の対象となったのだ。
ですが、とユークは瞳を伏せる。
「……魔は人の心を喰らう。彼らがそれを糧とするのは、彼らは人の持つ負の感情、悲しみや憎しみの感情の澱の中から生まれたからです。
神の子たる人は、全ての者ではないけれど神より法力を授かる。神の子から生まれた魔は人の心が齎した力を操る、これを魔力と称する。――魔力を与えた人が持つのは法力、法力は人を創りし神が与えた、という繋がりになる訳ですね」
言って見遣ったミシリーは反論も疑問も出す余裕がないらしい、小さく呻きながら頭を抱えていた。必要なら愛し子が再度説明するだろう、ということでユークは放置することにした。
「魔の生まれた当時、神は歓びも憂いもなさらなかった。神は被造物に左程の関心をお寄せにならない。神とはただそこに在られるだけと思うが宜しい。世界をお創りになられて後は――そこに住まうものたちが為す儘に置かれる。人がどれほどに祈ろうと、彼の御方が御手を差し伸べられることはまずありえません」
だが、大陸暦で一六〇〇年代末期、神は一条の光を北の大地に落とした。
それを熱望したのは人に非ず、魔であった。
魔と呼ばれる闇のものの、最も古き存在。人の感情の澱から生まれた昏き存在は、人に駆逐されることを望まず、また、人を駆逐することを望まなかった。己が人から生まれたことを知るが故に、知らぬ幼き眷属たちが欲する儘に人を喰らうことを――人の負の感情を喰らい尽くし、飽かず貪ることで心を破壊し死に追いやることを憂い、人が己らを滅さんと躍起になることを憂いた。
――我らを生みたる人を創りし者、我は我が造物主とその世界の存続を願う。
闇の声に応じて落された光は人形を成し、空の器として満ちる時を待つ。
光で練り上げられた肉体に、闇で砥ぎ上げられた命が宿る。
創世の時より幾千年。――このとき、只一度だけ、神は己の創造物に関心を示したのだった。
「創世の時代、人をお創りになられた神は、その感情の澱がそのままに人の世に留まればすぐに世界が濁り崩壊することを認められた。ために人の世とは薄絹を隔てるようにして分離され、ただ人の心の澱だけが届くだけの別空間を設けられた。澱を集め、浄めの流れに乗せて薄め、人界に戻す機能として。これによって人は正気を保ち世界の調和は保たれました。
……転機は、人の集落の規模が巨きくなって国という組織を形成した頃。人口の集中と増加に伴い、より強く、膨大な感情が生まれるようになりました。怒り、妬み、憎しみ、悲しみ。急激に流れ込んだ澱は溢れ、在らざるべきところに溜まり、凝って塊となり――人が赤子から幼児へと成長するにつれて物心がつくのと同じように、徐々にそれは自我を得た」
ふ、とセインの姿で吐息を漏らす。紅の瞳をゆっくりと友人たちに巡らせて、ユークは言葉を紡いだ。
「最初に意思を得た塊がマグア様、となる訳ですが――最も古くから在るが故に、人こそが己を形作ったと理解され、害する選択はなさらなかった。だが、マグア様の後に意思を発生させたものたちは己の根源を解さず、彼らの地と人界とを隔てる薄絹に綻びを作り、手を伸ばした。……彼らは彼らの地にある限りは流れ落ちてくる“糧”を享受するだけですが、人界に出れば度を失って人の感情――ひいては精神を只管に貪り、精神を喰らわれた人は発狂し、あるいは廃人となって果てる。
人が在る限り彼らは滅びない、けれど人が滅びれば彼らも滅びる。――マグア様は、それを厭われた。
故に、私は、彼らが人の世へ迷い出ぬよう境界を引き、薄絹の綻びを繕ったのです。闇を祓うなど……人を殲滅することと同義ですから、到底できませんよ」
沈黙が下りた。
華やかさの無い、ただ静謐であるだけの簡素な空間に、遣る瀬無い沈黙だけが降り積もる。
沈黙を払ったのは再び中性的なセインの声。
「――あなたは世界の均衡を保つために創られた、とエレアザルで仰った。その役目を私に継げ、とも。ご説明を」
それぞれの思考に耽っていた仲間たちが一斉に顔を上げた。
段上の箱の上に腰掛けた姿はそのままに、表情は見慣れた無表情、目元が翳って見えるのは瞳の色が濃くなっているからで――つまりは、本来の赤土色の瞳に戻っている。
『セイン!!』
計ったように全員の声が重なった。無表情が僅かに歪んで苦笑の形を作る。
「まだ初代は中だぞ、暴流は治まったけど自力で維持できる気がしない。なんだこれ」
「うん、まあ、そうだと思うー……。結界越しに『力』を感じてぞっとするとか、本当にぞっとしないー」
ルドが小さく軽口を返す。張り詰めていた聖堂の雰囲気が和らぐのを感じて、他の三人も肩の力を抜いたように姿勢を崩した。
「……初代?」
自分の内側に向けて話しかける、という少々怪しげな図式に苦笑を深めながらセインはユークに問うが、頭の中に響くユークの声は回答を拒否した。
――要は綻びを繕ってください、という話ですね。詳細はまたお話しますが、先に湖の件をよろしいですか?
首を傾げつつ、セインは了承の意を返した。意識の交代は滑らかに行われる。
「はい、すみません、私に戻りまーす。愛し子もちゃあんと参加していますから、もう少しお話に付き合ってくださいねー」
ユークは重苦しい空気を払拭せんと軽く笑って見せたが、聖堂の床に座る四人は、三人が苦笑交じりに溜息を吐き、ひとりが半眼になってそっぽを向いた。
「ええぇ……。……すみません。
湖のアレの処置についてなのですけれど、ね。『力』の根源となっているのは“石”なので、これを回収した上でアレに手を貸している魔たちを散らしてください」
愛し子の友人たちは手厳しい、と肩を落としつつユークは要点だけを述べた。
当然、簡潔過ぎて言葉が足りない、と胡乱な眼を向けられた。口を開いたのはカイルで、不機嫌な顔で雑な言葉を発する。
「お前が出張りゃあいいんじゃねぇの? あるいは魔王サマとかな。下のモンの責任取るのが親分の仕事だろ」
「マグア様は魔『王』と呼ばれますが、彼らに主と配下、という序列の概念はありません。弱肉強食の理屈のみです。よって、マグア様がアレに手を出すということは、説得云々ではなく言葉通り力で捩じ伏せて喰らうということになりますが――『魔王』が人界に出現して暴れる状況をお望みですか?」
――却下で。
友人たちの表情に声を当てるようにユークの内側でセインの言葉が響いた。




