12.解くのは煌めく黄金の異形なる
ユークリッド邸の中央棟は、岩壁を背面に当てて手前に家屋を建てた造りをしている。最奥の二間は岩肌をそのまま壁としているが、丁寧に削られ研磨されたうえに塗料を掛けてあるので一見してそうとは分からない。廊下を挟んで西側が書庫、東側が聖堂だ。どちらも三階分を吹き抜けにして高い天井を確保した上に明り取りの窓を設け、更に東西の壁面に大きく窓を取っているので陰湿な雰囲気はない。
幼少期のセインは書庫で過ごす時間が長かった。父や義兄、教師と共に学ぶときも、自分ひとりで書物と向き合うときも。逆に聖堂にはほとんど寄り付かなかった。祈りで『力』は解放されない、と幼いながらに冷めていたように思う。
その縁遠かった聖堂は、大きな両開きの扉を開けば、左手――岩壁側に祭壇が設けられただけの、がらんとした空間である。
祭壇は三段ばかりの階段状の大きな壇、その上に大の男一人が寝そべれそうな大きさの、壮麗な細工の箱が鎮座している。大箱の奥にこれも大きな壁掛け、図柄は中央にユークリッド家の家紋を置いて、上下は小さくもたくさんの人形らしきものが並ぶ。順を追って見ていけば紅で表された人物の生誕から葬送までの物語を成す。――初代、神の子〈アスカ〉の偉業を図案化したものだと言われている。
◆◆◆
――おはよう、愛し子。
「……おはようございます」
翌朝、指定されていた聖堂に赴くと、祭壇上の大箱にちょこんと腰掛けている初代が出迎えた。セインと同じ顔で満面の明るい笑みは、朝っぱらからセイン含め連れの精神的なにかを抉っている気がしてならない。
「……初代。その外見はどうにかなりませんか」
――え、駄目? 小回りが利くので気に入っているのですけれど。
「小回り……って」
幽霊、つまりは実体を持たず物理的な干渉はできないしされない状態であるだろうに、小回りが利くかどうかは問題になるのか。
言葉にはしないセインの疑問をユークは意に介さず、くつりと笑って流した。
――些事ですから置いておきましょう? 愛し子、同席させるのは彼らだけで良いのですか?
ユークの視線はセインの背後、閉じられた扉にくっつく大小の姿を捉えていた。杖を握りしめたルドと、それぞれ帯剣しているアレイク、カイル。ルドに張り付くようにしゃがんでいるミシリーだ。
――昨日、お茶をしていた人数より少ないようですが。
「構いません」
ガルゼスとエリオットには立ち合いを遠慮してもらった。信用しない訳ではないが、すべてを晒せるほどの信頼も置いていない。ユークの話の流れによってはクロッセの件が俎上に載せられるなら、詳細を伏せているセインは彼らに外して貰うしかなかった。
かなり渋られたものの、ガルゼスは午後には領主館に戻っておかねばならないので時間が取れず、エリオットも他人の家では我を通し辛かったのだろう、結果的には向かいの書庫に籠ることで引き下がってくれた。
――そう。では、まず解呪しましょうね。
言って、ユークは跳ねるように大箱から降り立つ。壇下に立つセインの手前まで移動して、ふと首を傾げた。
――愛し子。解呪後のことですけれど。これまで不自然に抑え込まれていた力が解放されるので、一時的に暴走する可能性があると思います。よければ私が制御しますけれど、いかがでしょう?
「……お願いできれば助かります、が、不安が過ぎるのはなぜでしょう」
法術士でも身に合わぬ大技を使おうとすると起こすことのある『力の暴走』は、基本的には術者の身を裂く形で現れる。だが、度が過ぎれば暴れる『力の刃』は周囲のものを巻き込むこともありうる。
ユークの提案はありがたいが、しかし、嫌な予感がビシバシとする。
――ふふふ。一時的に私が貴女の身体の主導権を持つ、すなわち小さき術士殿の身体を借りたときと同じような状態になります。
「………………。周囲に被害を出すよりはマシ、なので、お願いします……」
たっぷり悩んで、そう結論を出した。『小さき術士』というのがルドを指すなら、エレアザルでの憑依状態のことだろう。ルドの姿であれば違和感も少なかったにこやかぶりを自分の形でされるのは遺憾ではあるのだが。
仲間の精神的ななにかが摩耗して滅却されないことをそっと祈る。
――では暴走するようでしたら代替処理しますね。小さき術士殿、念のため結界を張って皆さんで閉じこもっていてください。
視線を向けられたルドが頷いて杖を胸の前に構えて呪を唱え始める。
ふわりと白い光が翻って扉前の一画を隔離したのを確認して、ユークは祭壇を振り返った。
――お願いします。
ユークの不可解な発言にセインが眉根を寄せるより早く、ソレは出現した。
檀上の大箱の手前に闇が蟠った。濃く深く、突如湧いた闇の塊から一筋の光が覗いた――と、感じた瞬間にぶわりと闇が内側からひっくり返されてひとりの男の姿が出来上がる。
東の窓から射し込む明るい光に輝きを返す、眩いほどに濃い金の髪。新雪を思わせる白い肌に、艶やかに赤くも肉の薄い唇。けぶる睫に縁取られた大きな瞳は鮮やかな紅。極簡素なシルグルア衣裳を纏って壇下に降り立った、壮絶なまでの美貌を持った青年の姿。
僅かに身動ぎすることもできずに立ち尽くすセインの前に、男は静かに歩み寄る。見開かれて男を凝視している赤土色の瞳に、男は鮮紅の瞳を細めて薄く笑って見せた。
そして。
硬直するセインの顎を掬い上げて、軽く唇を触れ合せた。
「――ッてめぇ! なにしやがる!!」
怒号を発したのはカイル、剣の柄に手を添えて駆け出そうとして見えない壁に進路を阻まれる。
「ルド! 通せ!」
怒気そのままに数歩後ろで杖を構えるルドに叫ぶが、ルドは唇を引き結んで首を横に振った。顔色が、異常なまでに青白くなっている。
気付いたミシリーがそっとルドを抱き寄せ、背中を撫でてやった。
だが振り返らずに怒鳴るカイルにはルドの異常が分からない。アレイクに肩を掴まれて制止されてもその手を叩き落として金の髪の男を睨みつける。
「ルド!!」
「だめ、です……、カイルさん。アレは、だめ、です」
ガチガチと歯の根の合わない音を挟みながら、なんとか制止の言葉を紡いだルドに、しかしカイルは気遣うこともできずに前方を睨み続けた。
セインは瞠目したまま男の行為を受け入れていた。拒む余裕もなにもなかった。
至極短い間、啄むように軽く触れられた唇が離れた刹那、自分の内側に熱が生じたのを感じる。ぞわぞわと増殖し、熱さを高めていく感覚に思わず自分で自分を抱きしめるように腕を掴んだところで――熱が溢れ出した。
「……ぅあ、」
ドウッ! とセインを中心に風が聖堂を捲いた。
――やっぱり暴走しましたね。じゃあちょっと失礼。
言うなりユークの姿が揺らぎ、瞬きの間に消え失せる。同時にセインから吹き荒れていた風が已んだ。両腕を抱きしめた格好のまま膝をついたセインを見て金の髪の男が一歩後退すると背後に闇の塊が湧き、そこに沈むようにして姿を消した。
耳に痛いほどの静寂が聖堂に満ちた頃、ようやくセインが腕を解いた。
「うわー……、物凄く久し振りの感覚でむしろ気持ち悪ーい」
セインの口から、セインの声で、セインらしからぬ科白が漏れた。
ゆっくりと首を回して紅の瞳がルドを捉えると、にこりと笑みを浮かべてみせる。
「小さき術士殿、もう結構ですよ。――すみません、少々怖い思いをさせましたね」
セイン――の身体を借りたユークの言葉に、ルドが脱力して崩れ落ち、抱き寄せていたミシリーが咄嗟に受け止めた。ほう、と零れ落ちた吐息と共に結界の術式が霧散し、見えない壁に押し当てていたカイルの拳が空を掻いた。
拳が虚空に流れるや否や、カイルは足を踏み出していた。走ることはせず、どすどすと荒い足音を立てながらセインの傍へ歩み寄る。
よっこらしょ、とユークが立ち上がるのと、その襟首をカイルが捩じ上げて鼻面を突き合わせるのとがほぼ同時だった。
「ふっざけんなよ……!? なんの真似だ?」
「えーと、愛し子の魔力暴走を収めるのに身体の主導権をお預かりしています?」
「それもだがさっきの奴の話だ! アレはなんだよ!?」
「ご説明しますよ。ですから取り敢えずこの手は離して頂けませんか」
穏やかなユークの依頼だったが、カイルは聞かなかった。捩じ上げる手により力を込め、厳しい眼でユークの紅の瞳を射抜く。
「……想われていますねぇ、愛し子。…………照れない照れない」
対照的に肩の力を抜いてぼやいたユークが小さく笑ってから、目を細めた。
「実力行使で外しますよ、黄丹の君。これでは落ち着いて話せませんからね」
宣言と同時に軽く左手を振って見せれば、襟を捩じ上げていたカイルの手元に赤い光が走る。沸騰している湯に触れたような、或いは凍てついた鉄に触れたような鋭い刺激に一瞬、力が緩み――その隙にユークは身を翻して祭壇へと回り込んだ。
セインたちを出迎えたとき同様、大箱に腰掛けて聖堂を見下ろすユークを、壇下に寄って来たアレイクたちも見上げる。
忌々しげに弾かれた手を振りながら睨み上げてくるカイルに苦笑を漏らして、ユークは高い天窓を、そこから覗く夏の青空へ視線を転じた。
「愛し子、彼らにはすべてを語って宜しいですか?」
しばし虚ろな表情で、どうやら『内側』のセインと話していたらしいユークが、ひとつ頷いて再び視線を壇下に戻す。ゆっくりと左手を持ち上げ、やはりゆっくりと水平に一撫でしながら口を開いた。
「少し、長いお話になります。椅子はありませんが……冷えないよう術を敷きますので楽にされてください」
ユークの左手の動きに連動して壇下の一画、アレイクたちが立っている一面が薄く淡い紅の光を帯び――やがて光が儚く散ったあとには、ほんのりと石床が温まっていた。
タイトルの「解くのは」は「ほどくのは」とお読みください。
五七五のタイトル付けが苦しいと感じる今日この頃。
だってこんなに長くなる予定なkt……いえ、語呂遊びしたかったんですぅ。
熟語とか諺で統一はもっと無理でしたので……。




