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紅の闇  作者: 水無神
第三章 シルグルア王国
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03.惑えども止まることなきこの歩み

※凌辱・虐待と取れる表現があります。

※流産に関する記述を含みます。


 見上げた空には晩秋の細い月。

 淡い光が枯れ葉の散り残る梢の向こうから弱々しく降ってきている。


 四肢を放り出して仰臥したまま、ぼんやりと傍らの気配を辿る。


 必要最低限にしか寛げなかった衣服を正して、男は少女を覗き込んできた。


「……疲れた? ゆっくり休んで、セイン」


 いつもと変わらぬ穏やかに凪いだ笑みが、朧な光を背負って仄暗く歪んで見える。


「ど、……して」


 泣き叫んで抗った喉は嗄れて、絞り出すようにしなくては言葉を紡げない。

 咳き込むセインを見詰める笑みを崩さずに、男は小首を傾げた。その様に苦いものを覚えながら、セインは同じ言葉を繰り返した。


「どぅし……て、こんな」


 もう涙は出ない。流し尽くしたそれが渇いて頬がヒリヒリしているが、最早気にもならない。言いようのない倦怠感と、身体の奥から未だ引かない違和感と、違和感を齎した最悪の痛みの方が酷い。


「僕の子を産んで、セイン? セインの魔力はここ数代のユークリッドの中では抜きんでているから、同じように強い『力』を持つ僕との子なら、より強大な能力を持つだろうね……」


 昏い笑みが、ささやかな月明かりを浸食して闇を呼ぶ。


「にいさん……」

「妹だと思ったことは一度もないよ、セイン」

「――っ、……」


 何を言おうとしたのだろう、喉に詰まった息は形を成さず、ただ見開いた瞳に細く整った貌の男を映し続ける。


 ……男の、クロッセの言う『妹じゃない』という言葉に、色はない。彼にとってセインは『力の器』で『力を継承させる道具』だ。


 彼のセインに対する感情については薄々察してはいた。“石”の闇に堕ちているのではという疑惑はずっとあった。それでも、他に頼れる存在が居なかった。幼い自分が縋れた『身内』はただ一人、この金に似た琥珀の双眸と艶やかに流れる黒髪を持つ青年だけ。


 未だ力の入り切らない身体を叱咤して起き上がる。無残に乱された衣服をざっと直して、傍らに放り出されていた剣を手に取る。


「どうしたの? いい子だからゆっくりお休みよ、僕のかわいいセイン」

「……かわいいのは、言うことを聞く良い子の『ユークリッド』だよね、兄さん」


 枯れた涙の代わりだろうか、頼り無げな月が照らす視界に紅が滲む。

 首にかけたままの紅玉の連なりが淡い光を返して紅の闇を作り出す。


 鞘を払って構えるセインに、クロッセは変わらぬ笑みのまま対峙する。


 ふわりとセインが一歩を踏み出した。



 壊れかけた少女と壊れた男の闘いは、それほど長くはかからなかった。




  ◆◆◆




 重い沈黙の中、そっと声を上げたのはアレイクだった。


「……流産それ、は……事実か?」


 頭を抱えるような姿勢を崩さないまま、しかし声音は平坦に戻ったセインは短く肯定し、話を続けていく。


「たぶん。彼らに嘘を吐く理由がなにもないから。

 ――拾ってくれたのは奥方で、屋敷の離れを丸ごと私の静養所にしてくれた。出入りは奥方と女中メイドたちだけ、私を診察する医師も女性と徹底されていた。その気遣いを考えれば、間違いないんだろうなと思うしかない」


 は、と短くて重い吐息を落とすと、ゆっくりと両手を頭から離す。開いた掌を見詰めるように俯けた顔の前に置いて、語るべき言葉を探した。


「ただ一度のことで、子が出来て、でもその存在を知る前に失くして、……ほっとしたんだ。どんな形であれ自分の血肉を分けた命だったはずなのに、育たなくてよかった、生まれてこなくてよかったって」


 いつかと同じように、目の前に紅が湧く。華奢な、けれど少女らしい丸みには欠けた硬い掌をじわじわと浸食し鮮やかな色に染め上げて溢れ、徐々に周囲のすべてを呑み込んでいく。


「――私の血なんて遺さない方がいい。兄と呼んで慕った人を殺して、子が流れたことを喜んで、それでのうのうと生き続けているような人間の、力に溺れ狂った一族の末裔の、こんな血を継いでいくことになんの意味がある」


 この紅は血そのものだ。血に塗り込められた闇に、セインは堕ちる。

 首にかかる紅玉の色はまさしく一族の血を元に創られた。クロッセを斬ったときに流れた色も同じで、知らぬ間に流れて行った子も、きっと同じ色をしていた。



 保護してくれた貴族の屋敷で、意識を取り戻したあと更に三月と少しを過ごした。引き留める奥方たちを振り切って旅を再開したのは、他に縋れるものがなかったからだ。

 ――一族の負債である“石”の回収と浄化、すべてを生地せいちへ送還し恒久的に保管する手筈を整えること。

 その、父の遺した言葉だけが、生き延びた理由だと言い聞かせて。



「……イライアスには、クロッセが闇にのまれたとは話したけど、私が斬ったことや子供云々は一切話していない。でも私は、この詳細はなしを正式に報告するつもりはない。

 だから、国は私の心情など知りようがないから、夫を得て子をせと迫るだろう」


 瞼を閉じて掌を押し付ける。そうして作ったただの暗闇に安堵する。


 沈黙したセインに代わって口を開いたのはカイル、相も変わらず飄々と軽い声が広い部屋に響く。


「――で、全部の“石”を回収し終わったあと、死ぬ気だったわけだ?」


 響きは軽いのに言葉は重い意味を孕み、発した表情は硬く真剣だった。

 のろのろとセインが掌から顔を離し、長い前髪の奥からカイルを窺う。僅かに見える赤土の瞳には困惑が浮かんでいた。

 カイルは小さく苦笑を漏らして言葉を補う。


「セインが言ったんだろ、『恨み言は聞く、憎んでいい、でも命で贖うことはまだ・・できない』、だったか。ずーっと引っ掛かってたんだよなぁ、いつならいいんだろって」

「……いつの話だ?」


 怪訝そうに声をかけたのはアレイク、反対隣りでルドも首を傾げていた。


「んーと、ゼフィーアの牢獄で目が覚めて、セインとの対面二回目? ルドに説教喰らったあとだったかな」

「ルド君のお説教? 利きそうだわ~」

「喰い付くのそこかよ、姉ちゃん」

「その呼び方やめろって何度目かしらねバカ男」

「……ミシリーだって俺の名前一回も呼んでねえじゃん……」


 はああぁ、と大仰に溜息を吐いて見せてから、カイルは再び表情を硬くした。


「セイン」


 呼んでセインの顔がきちんと上がるのを待つ。セインは背をまっすぐには伸ばさないながら、顔だけは上げてカイルと視線を合わせた。


「全部終わったら俺が貰うぞ」

「…………ああ」

「了承したな? 言質取ったぞ?」

「……他に、償いようもないから。“石”のことが片付けば、どうなろうと構わない」


 これまで“石”の害を受けたのはカイルだけではない。生き残った被害者はそれなりに居るし、彼らの周囲にも迷惑を被った人々が居る。ひとりひとりを訪ねるのは困難だけれど、目の前の存在を代表として裁かれるのなら認められるだろうか。


 そう考えてセインは返答した、のだが――――


「よっしゃ嫁が来た!」


 沈黙。


 ひとり拳を握って満面の笑み――要はいつもの軽い表情に戻っているカイル以外の全員が、カイルの言葉の意味を掴み損ねて硬直していた。

 いち早く解凍されたのはミシリーで、黙って懐から細縄を取り出すと席を立ってカイルに向かった。


「お、っと姉ちゃんそれ待った、マジで首切れるから勘弁して」

「黙れ下半身でしか物事考えないバカ男に容赦は要らないでしょ」

「うーわー……、酷えぇ。セインがくれるって言ってんのにー」

「斜め解釈して都合のいいように言い換えるんじゃないわよ!」

「いや斜め解釈したのはセインの方……」

「バカのくせに責任転嫁かこれまた随分とご立派だわねぇ」

「えー、どこまでも俺が悪いのかー」


 息継ぎをどこでしているのかわからない勢いで責めるミシリーが細縄を巻きつけようとするのを、長椅子の背に回って避けながらカイルは抵抗の言葉を連ねる。

 元盗賊二人の攻防から距離を取るべくアレイクはルドを抱えてセインの隣に座らせると、自身は長椅子の肘掛に腰を下ろした。

 ぎゃあぎゃあと、いつ果てるとも知れない騒ぎに発展しているミシリーとカイルを見遣って思わず吐息が漏れる。


「まったく……深刻な話をしていたはずなんだがな……」

「あのお二人にかかると色々が笑い話になっちゃいますねぇ、なんででしょ」


 笑い含みに応じたルドは再び長椅子の上で膝を抱えてその上に顎を乗せた。未だ前傾姿勢で固まっているセインをちらりと見て、笑みを深めた。


「だいったい、セインさんがそういうのが嫌だって話をしてたってのになんだって蒸し返すどころか抉りに行くような方向に持ってくのよアンタは!!」

「あ、大丈夫だいじょーぶ、優しく上書きしてやれる自信はある!」

「バカやれないようにもいでやる!」

「おぅわっ、と、いやいや無くなったらセイン抱けないからやめて勘弁して」

「いいからいっぺん死んどけ――!!」


 呆然と騒ぎを見ているセインに、ルドはそっと声をかける。


「……ぐるぐるしてるのが莫迦らしくなるね、セイン?」


 ルドの言葉に、は、と小さな溜息で応じ――セインは肩を小刻みに震わせ始めた。

 セインの雰囲気の変化にアレイクも目を瞬かせて注視し、すぐに表情を緩める。


「セイン、笑いは堪えない方がいいぞ」

「っ、く、ふは……はは、……は」


 騒いでいた二人が、バッとセインの方を振り返った。

 片手で腹を押さえ、もう一方の手で顔を覆って、明らかにセインは笑っていた。


「おー、セインが笑ったぁ」

「あああ、セインさんお顔上げてください手を放してください笑顔が見たいです!!」

「……ん? あれ、これって笑ってるっつーか、俺らが笑われてんのか?」

「セインさーん!!」

「は、あははっ」


 堪えきれなくなったセインが身を仰け反らせ、長椅子に背を預けて大きく笑う。

 一頻り笑って、徐々に引き攣るような笑いに変わっていくと、――眦から一滴の涙が流れ落ちた。


「……っふ、ぅ……」


 セインの膝元ににじり寄っていたミシリーが、黙ってセインの隣に座ってその肩を抱き寄せる。



 セインの両腕が、ミシリーの背中に回るまで、左程の時間はかからなかった。



若干、下品だったかなぁとか…。(ミシリーとカイルのやり取り)

前書きに注釈入れるか悩みつつ、冒頭の暗め硬めの雰囲気壊れるのが嫌で

あえて入れませんでした。ご不快に思われた方がいらしたら申し訳ありません。

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